ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 静まって 善と悪とを 捨て去って 生死を超えた 彼が沙門だ<520>

<<   作成日時 : 2014/07/08 04:30   >>

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○少年少女のためのスッタニパータ<520>
・・・
善と悪を捨てるとは
よく分からないよね。
とりあえずは悪を捨てて
善いことを行って下さい。


第3 大きな章 6.サビヤ経 11.

○中村元先生訳
520
安らぎに帰して、善悪を捨て去り、
塵を離れ、この世とかの世とを知り、
生と死とを超越した人、
──このような人がまさにその故に<道の人>と呼ばれる。


○正田大観先生訳
526.(520) 
〔心が〕静まった者となり、〔規範化した〕善と悪を捨棄して、
〔世俗の〕塵を離れる者となり、
この〔世〕を、さらには、他世を、〔あるがままに〕知って、生と死を超克した者
――真実なることから、如なる者は、『沙門』〔と〕呼ばれます。(11)


○パーリ語原文
525.
サミターウィ      パハーヤ   プンニャパーパン
‘‘Samitāvi       pahāya     puññapāpaṃ,
静まった者となり   捨て      善と悪を

ウィラジョー    ナトゥワー    イマン    パランチャ   ローカン
virajo        ñatvā       imaṃ     parañca     lokaṃ;
塵を離れ     知って       この     あの・と     世を

ジャーティマラナン    ウパーティワットー
Jātimaraṇaṃ        upātivatto,
生と死を          越えて行く

サマノー   ターディ       パウッチャテー     タタッター
samaṇo    tādi          pavuccate        tathattā.
沙門と    そのような人が   言われる        それ故に


○一口メモ
今回の偈は遊行者サビヤさんの6番目質問に対するブッダの解答です。彼の質問は次の通りです。「何によって<道の人>と呼ぶのですか?(何によって、『沙門』と言うのですか。)」

ブッダの解答は、Samitāviという言葉で始まります。この意味は「安らぎに帰して(静まった者となり)」です。この言葉はsamaṇoと始めの三文字samが同じです。つまり、ダジャレのように聞こえますが、samaṇo(沙門)は静まった人ということをブッダは言いたかったのだと思います。

沙門は出家修行を意味するときがありますが、そうすると比丘と同じような意味になります。しかし、出家修行者の内面に注目すると、心が静まっているということが重要なのです。

この観点で520偈を読んで見ると、善悪を捨てての後の内容は心が静まるために必要なことなのです。もちろん悪を行わないことは当然ですが、ものごとを良い悪いとこだわると心が静まりません。世間の塵とは欲や怒りのことでしょう。これらの煩悩から離れると心は静まるのです。

善悪を捨てることについて少し考察すれば、善と判断しても、悪と判断しても単純には決められないということがあります。台風や地震などの自然現象は、その被害者にとっては大変な悪ですが、自然現象は善とも悪とも言えません。もちろん被害を少なくして、人災の面はなくす努力は必要です。善悪を言って騒がずに、冷静に必要な対応・対策をするべきなのです。

また、この世のこと、あの世のことを知って、生死を超越すれば、心は動揺することなく、心は静かな状態です。やはり、人間の最大の関心事は生と死でしょう。食べること、働くこと言っても結局それは死にたくないからだと思います。この問題に決着をつけるためには、この世あの世についてよく知る必要があります。心を静まった沙門はこの問題に決着をつけた人なのです。


静まって 善と悪とを 捨て去って 生死を超えた 彼が沙門だ<520>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜

◎7月4日(金)から7月8日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎7月11日(金)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。当日、ゴータミー精舎で雨安居入りの法要が行われるためです。瞑想はできなくともその法要に是非参加してください。


◎7月12日(土)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会もお休みいたします。当日、スマナサーラ長老の月例講演会が中野ゼロホールで行われるためです。テーマは「どうして仲良くできないの?〜差別と区別の違いを知る〜」です。まだその講演会に予約されてない方は、是非日本テーラーワーダ仏教協会のホームページから申し込ん
で下さい。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090−2311−9317に御連絡下さい。


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは。
今日の偈を読んで『生と死を超えて行く』を自分なりに洞察してみました。行き過ぎた表現は、愚か者の粗末な洞察とお許しください。お読みくださるお一人お一人によって補って頂けましたら幸いです。
『塵を離れ』は、思いや考えのことかなと思いました。
『この世』は、死ぬところ。
『あの世』は、生まれるところ。と、思いました。
『生と死を』は、生きること。と、思いました。
「生きることは苦です」とブッダは説かれているので、『生と死を越えて行く』は、苦を越えて行く。と、思いました。
『善と悪を』は、とても難しく、心に溶けているものを表現されたのかなと思いました。
これらを整理してみました。
心に溶けている善いもの悪いものを捨てて、心は静まった者になりました。思いや考えを離れ、死ぬところ、生まれるところを知りました。生きることは苦ですと、苦を越えて行きます。
ブッダは、苦を越えて行きなさいと言われているのだと思いました。
死ぬことで苦しみから逃れられるという思いは、大きな誤りです。
どこかに新しく生まれ変わったら苦しみから逃れられるという思いは、大きな誤りです。
生きることの真実に気付いて下さい。
苦の真実に気付いて下さい。
苦を越えて行くことだけが、今、死にたいと願うほどの苦しみから逃れられる唯一の方法です。
と、ブッダは説かれたのかなと思いました。

生きとし生けるものは幸せでありますように。


てくてく
2014/07/08 19:55
おはようございます。
今日の偈を自分なりに洞察してみました。
『この世』は、死ぬところと思いました。
『あの世』は、生まれるところと思いました。
『生と死を越えて行く』は、生きることを越えて行くと思いました。
このように洞察してみると、「生きることは苦です」と説かれたブッダの四聖諦につながるように思います。
死んだら苦しみから逃れられるかもしれないという思いも、どこかに新しく生まれ変わったら苦しみから逃れられるかもしれないという思いも、生きることの真実、苦の真実に気づくことで越えなさいとブッダは説かれているのかなと思いました。

生きとし生けるものは幸せでありますように。

生きとし生けるものは幸せでありますように。
てくてく
2014/07/11 08:46
ただ善を極めるだけでは、もちろん悪に染まるだけでも、善悪を捨て去ることはできない。(観(=止観)の完成によって)情欲を超えたとき、善悪の軛そのものを離れ捨て去ることを得る。

塵を撒き散らさない人が、塵を離れ、(蓮葉のような)客塵に汚されない身体を得る。

(識別作用の滅を見て)一切智者となったとき、この世とあの世(と法界)の真実を知る。すでに(妄執を離れているので)生死を超克しており、道による勝者とも呼ばれる。

***
SRKWブッダ
2014/07/20 22:58
悪い事は気を付けないと誘惑が日常の至る所あり、容易に落ちるように感じてます。善と悪を捨てるとは、受けた刺激から思考を回し、善や悪を判断していく過程を捨てる、という意味になるのかなと感じました。それは道理がしっかり分かってないと不可能と思いますので、とにかくサティを実践したいです。
こころざし
2016/07/19 10:18

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