ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 世の人は 自分が一番と 思うので 自説最上 論争たえない<796>

<<   作成日時 : 2015/02/16 03:54   >>

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○少年少女のためのスッタニパータ<796>
・・・
人はみんな自分の判断が
一番正しいと思っているのです。
そうでないという人も
その考えが正しいと思っている筈です。


第3 八つの詩句の章 4.最上八詩句経 1.

○毎田周一先生訳
796.
世間の人は自分の重んじるものを
「最上のもの」とする考えを離れず
それ以外のものをすべて「劣っている」という
だから人は論争から離れることが出来ない


○中村元先生訳
796
世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているとみなす見解を
「最上のも」のであると考えて、
それよりも他の見解はすべて「つまらないものである」と説く。
それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。


○正田大観先生訳
803.(796) 
諸々の見解について、「〔これこそ〕最高である」と〔独善的に固執し〕固着しながら、
世において、人が、それをより上と為すなら、
それより他のものについては、〔その〕一切を、「劣る」と言う。
それゆえに、〔人は〕諸々の論争を超克しない。(1)


○パーリ語原文
802.
パラマンティ    ディッティース    パリッバサーノー
Paramanti      diṭṭhīsu        paribbasāno,
最上のものと   諸見解の中で    固執している

ヤドゥッタリ    クルテー   ジャントゥ    ローケー
yaduttari      kurute     jantu       loke;
優れていると   彼が思う   人は       世間の

ヒーナーティ    アンニェー    タトー   サッバマーハ
Hīnāti        aññe        tato     sabbamāha,
劣っていると   他の        それより  すべては・言う

タスマー    ウィワーダーニ   アウィーティワットー
tasmā      vivādāni        avītivatto.
それ故     論争を        超えることがない


○一口メモ
今日から「最上八詩句経」が始まりますが、前回「清浄八詩句経」の最後の偈の「最上」の言葉を受けて、「最上」について説かれることになります。

では、今回の偈について考えてみましょう。人は結局その人が自分にとって一番良いと考えていることをやっていると思うのです。この事は自分の好きなことを喜んでやっている場合はよく分かるのですが、嫌なことをやっている場合もそうなのです。例えば、ある人が嫌いな仕事をやっている場合も、もしその仕事を止めてしまえば経済的等で困ると考えるから、止めないでその仕事をやっています。彼にはその仕事を続けることが彼にとってベストだと思っているのです。それがベストだと思えなければ、嫌な仕事を止めるでしょう。ただし、その判断は自分のいろいろな偏見に基づいて行われているので正しい筈はありません。

同様に、ある人がある見解を持ったとします。それはその時点で彼にとってその見解がベストだと思っているのです。その他の見解は自分の採用した見解より劣っていると見なすのです。他の人も、自分なりの判断基準で判断し自分の採用した見解をベストだと思い、他の見解はそれより劣っていると見なすのです。人の判断基準は、それぞれ異なりますから、最上と思う見解も異なります。そのため、論争が起こり、
論争から離れることが出来ないのです。これがこの世の中の実情なのです。


世の人は 自分が一番と 思うので 自説最上 論争たえない<796>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜

◎2月10日(火)から2月16日(月)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサ比丘が熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090−2311−9317に御連絡下さい。


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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
そうですね。

本気で間違ってると思った「行為」なら出来ません。

我々は「適切な判断」ではなく「正しいと「思った」判断」で日々の生活を送りがちなのでしょう。

2015/02/16 04:21
おはようございます。
ワンギーサ長老の分かりやすい解説
「ある人がある見解を持・・彼にとってその見解がベスト・・その他の見解は自分の見解より劣・・。他の人も、自分なりの判断基準で判断し自分の採用した見解をベストだと・・そのため・・ 論争から離れることが出来ない・・」
この状況が毎日のようにあると感じます。
自分・その人の気持ち・プライド等々が入って戦いになり・・になる光景もある程度日常と思います。
自分が一番と思わなければ、また違う流れになりそうですね。
冥想で自分観察をすると「自分って相当頂けないな」と思わざるを得ません。すぐに煩悩が出て妄想しそれが膨らみ・・の方に行ってしまいがちで、大した事のない自分・・です。
謙虚に生きていきたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
身の丈修行者
2015/02/16 06:11
この世には、欠点のある、また欠点のない、種々さまざまな見解が存在する。ここに争論を生じる見解は、少なくとも理法(ことわり)に適った正しい見解とは言えない。また、争論を生じなくても、それだけによってその見解が正しいものであるとは断定できない。

理法(ことわり)に適った正しい見解は、世の一切の見解と争わない。また、この見解はこの見解によっても汚されることがない。この見解は、(自分を含めて)誰一人悲しませることがない。そして、正しい見解は、単なる見解ではなく、人をしあわせの境地へと導く先導者となるものである。

***
SRKWブッダ
2015/02/16 12:34
自分の判断が正しいと思い込んでいる。
そして、そのことに気づけていない(無自覚)なのが
特に問題だと思います。
気づければ、その判断を見直したりするチャンスが出てくるかもしれません。
りんご
2015/02/16 12:42
時間を置くのも一つの手ではないでしょか。一旦停止して、自分が正しいという感情が静まるのを待つ。(無常だから放っておけば静まる)それから行動する。
まるで雨がやんでからピクニックに行くように。
悟っていない以上「自分が正しい」は必ず生まれる感情なので、消えるまで放っとくのがいいと思います。
浜中
2015/02/17 06:05
私事ですが、以前、自分の考えをひたすら肯定してほしかったら(スナックなど)飲み屋さんに行くしかないよ、と言われた事があります。高いお酒を飲んでお姉さんに相手をして頂くような感じでしょうか。余談ですが、友人がそれを実行して、お支払いした金額を聞いて・・に思った記憶があります。
もっと違う対応法、見解を超えるような方向で精進したいです。
こころざし
2016/10/05 22:11

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