ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 聖者らは この世の絆 捨て去って 凡夫のなかで 落ち着いている<912>

<<   作成日時 : 2015/06/12 03:57   >>

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○少年少女のためのスッタニパータ<912>
・・・
義理・人情は悪くはないが、
人々はこれらによって悩み苦しむ。
聖者らは智慧によってこれらを乗り越える。


第4 八つの詩句の章 13.大集積経 18.

○毎田周一先生訳
912.
静かな人は この世の中で色々のつながりに縛られることなく
人がいい争っても そのどちらへつくということもない
彼は不安にとりつかれた人々の間にありながら しかも安らかに 喜びも悲しみも届かぬ処にいて
人々が捉われるどんなことでも その一つすらとり上げようとはしない


○中村元先生訳
912
聖者はこの世で諸々の束縛を捨て去って、
論争が起こったときにも、党派にくみすることがない。
かれは不安な人々のうちにあっても安らけく、泰然として、執することがない。
──他の人々はそれに執著しているのだが。──


○正田大観先生訳
919.(912)
牟尼(沈黙の聖者)は、ここに、〔この〕世において、諸々の拘束を捨てて、
諸々の論争が生じたとして、〔特定の〕党派に走り行く者ではありません。
寂静ならざる者たちのなかにいながら寂静で、〔諸々の主義や主張を〕放捨する者は、彼は、〔特定の見解に〕執持する者ではありません
――他者たちは、〔各自の見解に、各人各様に〕執持するとして。(18)


○パーリ語原文
918.(912)
ウィッサッジャ   ガンターニ     ムニーダ     ローケー
Vissajja        ganthāni      munīdha      loke,
捨て去って     束縛を       聖者は・この   世で

ウィワーダジャーテース   ナ    ワッガサーリー
vivādajātesu           na    vaggasārī;
論争において          ない  群れに流され

サントー    アサンテース      ウペッカコー  ソー
Santo      asantesu         upekkhako    so,
寂静      寂静のない人の中で 無関心で    彼は

アヌッガホー    ウッガハナンティ   マンニェー
anuggaho      uggahaṇanti      maññe.
執着しない     執着しているが   他の人々は


○一口メモ
今回も自分の主義主張に固執しない人について述べられています。今回はそのような人を聖者と表現されています。毎田先生はそのような人を「静かな人」と訳されるのです。

中村先生の訳で今回示された聖者の特徴を調べてみましょう。@この世の諸々の束縛を捨て去る。A論争が起こっても、党派にくみすることがない。B不安な人々のうちにあっても、安らけく、泰然としている。C執することがない。

毎田先生訳では、@この世の中で色々のつながりに縛られることがない。A人がいい争っても、そのどちらへつくことがない。B不安にとりつかれた人々の間にありながら、しかも安らかに、喜びも悲しみも届かぬ処にいる。C人々が捉われるどんなことでも、その一つすらとり上げようとはしない

正田先生訳では、@〔この〕世において、諸々の拘束を捨てる。A諸々の論争が生じたとして、〔特定の〕党派に走り行く者ではありません。B寂静ならざる者たちのなかにいながら寂静で、〔諸々の主義や主張を〕放捨する者です。C〔特定の見解に〕執持する者ではありません。

@は、世間では義理人情と言ったり、絆と言って大切にしていますが、聖者はそれにも価値をおいていないようですね。今回は以上の通りです。


聖者らは この世の絆 捨て去って 凡夫のなかで 落ち着いている<912>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜

◎特別連絡:6月12日(金)から6月16日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では、通常は毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。また変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090−2311−9317に御連絡下さい。


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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
今回の偈を読み、「いよいよ佳境だな」としみじみ感じました。「悟りに導くスッタニパータ」の真髄・真骨頂にように思えます。ここまで導いて下さったワンギーサ先生に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。
kempsford
2015/06/12 04:13
世間的には「どちらにも加担しない」と両者の主張が当事者よりよく分かる。ということはよくあることです。

揉め事で相談された場合、その両者に共感した場合は適切なアドバイスが出来たりします。

ブログでの論争や政治家の討論会も、贔屓目にみることがなければないほど、本質的なことが分かります。
逆に自分では「重大だ!」だと思ったことでも他人に話してみると、意外にそれがどうでもいい問題であることに気づく場合があります。

「落ち着き」が何より大切です。

2015/06/12 04:47
絆と言えば聞こえはいいが、人々は情欲に随って互いに縛り合い、苦の世間を出離することがない。感謝の無限ループに陥り、あるいは恨みの連鎖・増幅に翻弄されて、互いに悪行を積み重ねてしまう。この絆こそが喜怒哀楽の温床であり、苦の根源である。

この情欲を超えたとき、人は一つの解脱(=心解脱)に達する。このような人は世間をすでに脱していて、死してのちもうこの世には還ってこない(不還)。

***
SRKWブッダ
2015/06/12 05:35
おはようございます。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「義理・人情は悪くはないが、 人々はこれらによって悩み苦しむ」心に響きます。
丁度お中元のシーズンで、上記の言葉をまさに感じる機会があります。
義理や人情を優先させるのではなく、智慧で生きれるようになりたいです。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。
身の丈修行者
2015/06/12 06:08
おはようございます。毎日、ご講義ありがとうございます。

「絆」や「仲間意識」さえ持たないのが聖者。慈悲の瞑想では「生きとし生けるものが幸せでありますように」というフレーズがあります。私たち世間一般者が「仲間」「絆」とっているものより、仏教でいう慈悲の対象は宇宙全体に及ぶもので限りなく大きく広い意識なのでしょう。

「義理・人情」も大切かもしれませんが、心に留めておく行動規範はやはり「慈悲」と「無常」という考え方の方がいいかなと思います。
みき
2015/06/12 09:17
聖者や相当善行を積んだ人でもない限り、絆や仲間意識を捨ててもなお安全に生きることは難しいと思いました。情の束縛によって怠惰にならないように努めたいと思います。
エル
2015/06/14 22:19
義理や人情の世界があるとそれに縛られて、自分の行動が決められるような流れが出来てしまうと思います。それは智慧がない状態ともいえる様に感じました。義理・人情に縛られず、それらを超えれるような、そんな生き方が出来る様に精進したいです。
こころざし
2016/11/15 19:50

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