ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 無明から 無垢の人々 悩ませば 地獄への道 歩むことなり<再277>

<<   作成日時 : 2016/09/27 04:06   >>

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○ワン爺さんの独り言<277>
・・・
私たちは無明という霧の中にいることを
知っておいた方がよい。
そのために、真実が見えてないことを
知っておいた方がよい。


第2 小さな章 6.法行経(カピラ経) 4.

○中村元先生訳
277
かれは無明に誘われて、
修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、
煩悩が地獄に赴く
道であることを知らない。


○正田大観先生訳
280.(277) 
自己を修めた者たちを害している者は、
無明によって〔特定のものを〕偏重する者は、
〔心の〕汚染(雑染)が
地獄に至る道であることを知らない。(4)


○パーリ語原文
277.
ウィヘーサン    バーウィタッターナン
Vihesaṃ       bhāvitattānaṃ
悩ませた      自己を修めた人々を

アウィッジャーヤ   プラッカトー
avijjāya          purakkhato
無明に          導かれ

サンキケーサン   ナ     ジャーナティ
saṃkilesaṃ      na      jānāti
穢れが        ない    知る

マッガン     ニラヤガーミナン
maggaṃ     nirayagāminaṃ.
道を       地獄へ行く


○一口メモ
カピラ比丘は、「あなた方は律をしらない。経を知らない。論を知らない。老いぼれ出家どもが」と、他の修行している比丘たちを悩ましていました。ですからブッダは、この偈で述べているのです。カピラ比丘は三蔵(律、経、論)を文字として学んでいましたが、その意味は分かっていなかったのです。これは無明(無知)によるものなのです。このような行為が地獄につながる道であることも解っていなかったのです。

ここで、無明とは何か説明しなければならないでしょう。無明を理解するために、日本テーラワーダ仏教協会のホームページを調べてみましょう。

「Q: 無明とは何ですか?

A: 無明というのは、ものすごく巨大な暗黒状態、暗闇と考えるとよいでしょう。その巨大な暗闇に、生命が覆われているということです。暗闇のなかにいると何も見えませんね。ですから我々は、何でも手探りで触って、何とか理解しなければなりません。 智恵という光があれば見えるのですが、人間にあるのは『知識』だけなのです。
知識というのは、ひとつのものについて、様々な意見が出てくるようなことです。たとえば第二次世界大戦に日本は参戦しましたが、それは正しかったか正しくなかったかと聞くと、いろいろな意見が出てきますね。そのように、「これ」という答えの出ない状態は、知識の世界なのです。

私たちがどのように生きていけばいいかということにも、何も答えが出てこない。皆、知識の世界に生きていますから、何か質問すれば、知識がたくさんある人は、たくさんのことを言うかもしれません。昔は知識があまりなかった世界でしたが、今は知識がある世界。昔の人も問題をいっぱい持っていました。

なぜ人は病気になるのか、病気になればどうすればいいのか、畑を作ったのに雨が降ってくれない、どうしたらいいのか、或いは雨が降りすぎて、作物が何も採れなくなってしまった、また、平和に生活していたのに隣の国に攻められて、殺される羽目に陥った、いったいなぜ……。その時代の人々にも、それなりの知識はありました。

現代の我々にはもっと知識がありますが、未だに同じ問題が我々にはあります。病気になったらどうすればいいのか、ガンになったら何を食べればいい、あれを食べればよい、これを食べればよいと、ありとあらゆることを言いますが、どれも完全じゃないのですね。答えは出ないのです。知識というのは、暗闇のなかでものを触ってみる状態、そしてそれを無明というのです。もしすべてのものに答えが見つかったら、そこには無明はないのです。

生きている間に生まれてくる問題に答えを持つ人はいない。それが無明だと理解していただければよいと思います。無明というのは、我々がふつうに生きている世界のことです。」(以上日本テーラワーダ仏教協会ホームページより。)

つまり、私たちは無明の中で生きているというわけです。水の中で生活している魚が水を理解していないように、私たちは無明を理解していないのです。しかし、水から出た魚が「水とは何か」を理解できると思います。そのように智慧を開発して無明から出た人間は無明を知ることが出来ると思います。その道をブッダは人類に示されたのです。

○前回のこの偈の解説

無明から 無垢の人々 悩ませば 地獄への道 歩むことなり<277>
http://76263383.at.webry.info/201311/article_22.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

生きとし生けるものは幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごことが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


○アラナ精舎雨安居日記
2016.9.26日(月) 第69日目
時々、娘さん連れて食事のお布施に来てくれる方が今日も娘さん(小学校5年生)を連れて、お布施にきてくれました。今日は月曜日なのに学校はどうしたのだろうと思っていたら、昨日は小学校の運動会で今日はその代休という訳でした。昨日は良く晴れていたので、快適な運動会だったでしょう。ちなみに、娘さんの白組は優勝したそうです。
食後は昨日のクサラダンマ長老の説法の要旨をかいつまんで紹介しました。人間として生まれ、仏教の教えにめぐり会えたことはまれなことで、この機会を活かさなければならないという話しです。
その話の中で、娘さんは友達との関係が問題になりました。人間関係の問題は小学生にもあるのだなと、いじめなどが問題になっているので当たり前のこととはいえ、ある種の感慨がありました。子供の時から人間関係を学ばなければいけないのだと思います。私自身のことを言えば、中学生になった時、私は友達を怒らすつもりは全然ないのに、ある友達が急に怒りだしたのです。私はなぜ彼が怒りだしたか全然分からなかったのです。その頃の自分は自分の感じ方は他人も同じように感じるものと思っていたのです。本当に幼稚だったと思います。他人の感じ方は自分と違うことも、そのような経験から学ばなければなりません。

この時期は 青空の下 あぜ道に 稲穂にそって 曼珠沙華咲く  


〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜

◎私ワンギーサは、7月20日から10月15日まで、大阪府岸和田市のアラナ精舎で雨安居をしています。カテナ法要まではこちらに滞在することになります。それ以後についてはどこで生活するか分かりません。宜しくお願い致します。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
「無明とは、真理を知らないことです。即ち、四聖諦と因果法則を知らないことです」と、スマナサーラ長老はアビダンマ講義で説かれています。また、アビダンマッタサンガハでは、さらに「現世のみしか信じないこと」も含まれています。いずれにしても、「無明というのは、ものすごく巨大な暗黒状態、暗闇と考えるとよいでしょう」との説明に、納得できます。無明の恐ろしさを痛感致します。ご指導ありがとうございました。
kempsford
2016/09/27 04:20
おはようございます。
私事ですが、以前は真理を知らず、大事でないことを大切に思うような変な価値観を持っていました。また真理を教えて頂けても、それが自分の中の知識で回転する状態で満足するような状況でいました。多少でも修行して、その時の事を振り返りますと、まさに無明の霧に覆われていたと思います。勿論今もそれに近い状態ですので、霧が晴れる様に精進したいです。
ワンギーサ長老・皆様の、今日も素晴らしい一日となりますように。
こころざし
2016/09/27 07:18
今晩は。毎日ありがとうございます。
この自他の区別ある分別の世界では、どうしても自分が存在し、自分さえ良ければいいや! という思い行動になってしまいます。なんだか地獄への道のようです。自分という思いが消えるといいんでしょうが、なかなか消えてくれません。
こんせん
2016/09/27 22:02
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪
たか坊
2016/11/29 23:48

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