ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

アクセスカウンタ

zoom RSS 「二番目に不可思議なこと」は人が聖求を起こすこと

<<   作成日時 : 2017/04/03 04:14   >>

トラックバック 0 / コメント 2

ワン爺の独り言(2017.4.3.)
この世において最も不思議なことは解脱という現象があるということとすれば、二番目に不思議はそれが始まるのに必要な現象が聖求と言われますが、それが起きるということです。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou075_sub.htm


(以下引用)
【二番目に不可思議なこと】

この世において二番目に不可思議なことは、人々が未だ覚りの境地について覚知していないにも関わらず〈聖求〉を起こすということである。

人は、世にも不可思議なこの第二の事実によってこの一なる道を見い出し、歩み行きて、ついにこの不滅のやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至るのである。
(以上引用)

*注:SRKWブッダは<聖求>について、下記の「聖求経」を引用して説明しておられます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou_syougukyou.htm
(以下引用)
【聖求経】
釈尊の原始経典(中阿含経-聖求経)には、次の言葉が見られる。
●「修行僧たちよ、何が”非聖求”であるか。修行僧たちよ、ここに一人の者がいて、みずから生けるものの存在にして生けるもののみを求め、自ら老いるものの存在にして老いるもののみを求め、みずから病むもの...みずから死ぬもの...みずから憂いるもの...みずから染汚せるものの存在にして染汚せるもののみを求める。 {これが”非聖求”である}」

「修行僧たちよ、何が”聖求”であるか。 修行僧たちよ、ここに一人の者がいて、みずから生けるものの存在にして生けるものの過患を知り、無生・無上・安穏のニルヴァーナを求める。 みずから老いるものの存在にして老いるものの過患を知り、不老・無上・安穏のニルヴァーナを求める。 みずから病むものの存在にして...無病・無上・安穏のニルヴァーナを求める。 みずから死ぬものの存在にして...不死・無上・安穏のニルヴァーナを求める。 みずから憂いるものの存在にして...無憂・無上・安穏のニルヴァーナを求める。 みずから染汚せるものの存在にして...無染汚・無上・安穏のニルヴァーナを求める。 修行僧たちよ。 これが”聖求”である。」
(以上引用)


※ワン爺のコメント
ゴータマ・ブッダは自分が覚りを得ていない菩薩の時、非聖求の者であったが、ある時聖求の思いを持ったらどうだろうと考えるようになったと述べています。それこそが、この世の二番目の不思議なのです。しかし、私たちもいつでも、非聖求の思いから聖求の思いに変えることができるのです。ただそうするか、そうしないかだけです。


〜〜〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜〜〜
◎このブログ記事が参考になったと思われた方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。ランキングが上昇すると閲覧者が増えると思われるからです。御支援をお願い致します。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
過患の患は、串+心なので、とても興味深い文字だと思いました。
OHBA
2017/04/03 11:21
どのような人であっても、睡眠時には真如覚知の門がほんの少し開くので、睡眠中に心身が癒されるのだと思うのですが、聖求を起こす方はその開きが聖求を起こさない方より多少なりとも大きいのではないかと。

そういうこともあり、睡眠に入る時や、目覚め時に不思議な体験を覚知しやすいのもベースになっている可能性がありうる。そして、そのような方は、睡眠時の安らぎと目覚め時の心情とのギャップや、この世の「苦」にも気づきやすい。それが「聖求を起こすことの不思議」のひとつの因になっているのかもしれません。
Satya
2017/04/03 21:11

コメントする help

ニックネーム
本 文
「二番目に不可思議なこと」は人が聖求を起こすこと ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる