ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS こころの目に照らして恥じることのない行為を為す「端正な人」であれ

<<   作成日時 : 2017/06/20 03:59   >>

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ワン爺の独り言(2017.6.20.)
「端正な人」の正しい意味について、SRKWブッダは次のように述べておられます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou144.htm


(以下引用)

【端正な人】

人が欲にかられ、種々の思惑を生じてあれこれと奔走し、自分ならざる何かに依拠して行なうならば、かれ自身思いもよらない結果を見ることになる。かれは、自らの行為の行き着くところを見て愕然とするのである。

しかしながら、ここなる人が聡明であって、慳みの心を捨て去り、自他(の優劣)を区別・裁量する不当なる思惟の根本を断じて、悪を離れ、偽りを語らず、両舌をこととせず、言葉と行為と想いとを慎しんでいるのであるならば、かれの風貌とは何ら関係なく、かれは「端正な人」だと知られ称される。かれは、肉体の重荷を降ろすことにも増して、心の重荷を降ろしているのであり、それゆえに端正であると言われるのである。

こころある人は、何を為そうとも、他の人の一々の目を気にすることなく、ただ自らのこころの目に照らして恥じることのない行為を為す端正な人であれ。けだし、人は自らの端正さによってこそ、人々の真実のすがたを知り究めるに至ると期待され得るからである。

(以上引用)


※ワン爺のコメント
「端正な人」という言葉は、中村元訳のダンマパダの262番と263番にあります。
「嫉みぶかく、吝嗇で、偽る人は、ただ口先だけでも、美しい容貌によっても、『端正な人』とはならない。」
「これらを断ち、根絶やしにし、憎しみをのぞき、聡明である人、――かれこそ『端正な人』とよばれる。」
ちなみに「端正な人」のもとの言葉であるパーリ語は「sādhurūpo」で、sādhuとrūpoの合成語であります。直訳は「善い容姿」です。

当然のことでありますが、「端正な人」の意味は、人間の外面について述べているのではなく、人間の内面について述べられているのです。


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
2012/08/20 srkw_buddha twitter〜

自分で自分を主導・牽引しているように思っているが、実は自分ならざるものに翻弄され引きずり回されているのが衆生である。ここで、自分が引きずり回されるだけならばまだしも、他の人々をも道連れにするならば、行き先は地獄と決まっている。
クリームコロッケ
2017/06/20 10:44

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