ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS どうすれば解脱できるのか?

<<   作成日時 : 2017/07/28 07:27   >>

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ワン爺の独り言(2017年7月28日)
「そもそも覚りの境地とは何か? また、どうすれば解脱して覚りの境地に至れるのか?」これらに諸仏は答えている。SRKWブッダも答えている。それを学んでみよう。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou175.htm


(以下引用)


【どうすれば解脱できるのか?】



 そもそも覚りの境地とは何か? また、どうすれば解脱して覚りの境地に至れるのか?



人々が知りたいことは、この二つの集約されるであろう。釈尊をはじめもろもろの如来は、これらの問いに答えているが、それは次のように要約される。



・ 覚りの境地とは、苦悩がしずまった円かなやすらぎである。

・ 気をつけることによって、人はついに解脱する。



さて、もろもろの如来は、なぜ覚りの境地がこのようなものであり、解脱がこのようにして起こると語るのであろうか。それは、もろもろの如来が、覚りの境地がこのようなものであり、解脱がこのようにして起こることを身を以て知っているからである。



ところで、もろもろの如来は、なぜ人々を覚りの境地に至らしめんとして敢えてけしかけないのであろうか。それは、もろもろの如来が、けしかけられた人が解脱することはあり得ないことであると知っているからである。



もろもろの如来は、「この教義によって人は解脱するであろう」とは言わない。もろもろの如来は、「これを履修することで解脱に至るであろう」とも言わない。もろもろの如来は、「この儀式や振る舞いが人を浄めるであろう」とも言わない。もろもろの如来は、「苦しみ(=苦行)の果てに人は解脱するのである」とは決して言わない。



聡明な人は、気づくであろう。もろもろの如来が言わないことを行なっても、それによって人が解脱することはあり得ないことであるということをである。こころある人は、つとめはげめよ。『気をつけること』によって人がついに解脱するのは、本当のことであるからである。


(以上引用)



*ワン爺のコメント
「『気をつけること』によって人がついに解脱するのは、本当のことであるからである。」とありますから、『気をつけること』について復習してみます。
復習と言いますのは、2017年2月4日にSRKWブッダの理法「気をつけること」を引用したからです。そのアドレスは次の通りです。
http://76263383.at.webry.info/201702/article_4.html

そのうちの、最後の部分を引用します。

(以下引用)

なお、具体的に述べるために、強いて逆説的に言うならば、正しく気をつけることは次のようなことを為さないようにすることであると言い換えることができる。

■ 善かれと思って後悔する行為を為してしまうこと
■ 口では何と言おうとも、自分が世界で一番やさしい人間だと頑迷に決め込んでいること
■ 法(ダルマ)を求める気持ちは誰にも負けないと自負しながら、他の人の正しき発心を軽んじてしまうこと
■ あらかじめ恥を知っていたのにそれを失い、恥知らずになったゆえに煩悩に翻弄されていることに気づかぬこと
■ 自分では一歩も動くことなく人をけしかけ、しかも人が失敗して苦しむのを楽しみとしている自分の姿に気づかぬこと
■ 自ら老いる身でありながら、老いた人を嫌悪し、面倒だなと思い、しかも自分だけは老いないと思っていること
■ 自ら病にふせる身でありながら、病にふせった人を嫌悪し、面倒だなと思い、しかも自分だけはいつまでも健康であると思っていること

こころある人は、このような行為を為さないように、よく気をつけて日々を送るべきである。

(以上引用)








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