ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

アクセスカウンタ

zoom RSS 自分も解脱できるのか?

<<   作成日時 : 2017/07/29 10:27   >>

トラックバック 0 / コメント 2

ワン爺の独り言(2017年7月29日)
「どうすれば解脱できるか?」の続きは「自分も解脱できるか?」それにSRKWブッダは答えておられます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou175_sub.htm



(以下引用)


【自分も解脱できるのか?】



そもそも覚りの境地とは何か? また、どうすれば解脱して覚りの境地に至れるのか?



この二つに次いで人々が知りたい第三のことは、次のことであろう。それは、個人的な問いである。



 自分も、解脱することができるのか?



釈尊をはじめもろもろの如来は、この個人的な問いに直接的には答えていないが、間接的にはその答えを示している。それは、次のことである。



 『望むならば、誰でも解脱できると期待され得る』

 

これは決して気休めではない。仏は嘘はつかないからである。そもそも仏とは、やさしさの究極の相を持つ人である。それゆえに、仏は言動によっていかなる人をも悲しませない。したがって、もしもこの世に望んでも解脱できない人がたった一人でもあるならば、仏が広く理法を説くということはあり得ないであろう。もしそうであるのに敢えて理法を説けば、その覚れない人を悲しませるに違いないからである。しかしながら、もろもろの如来は広く理法を説く。それは、この世には、望んでも解脱し得ない人などただの一人もいないことを知っているからに他ならない。



ただし、そうは言っても円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至ることを望まない人が覚りに至ることはない。覚り(=解脱)は、聖求にもとづいて起こることであるからである。



(以上引用)


*ワン爺のコメント
私は、いつの間にか「人はその人の望むような人になる。」と思うようになりました。ですから、「円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至ることを望まない人が覚りに至ることはない。」と言うSRKW
ブッダの言葉は全くその通りだと思います。







テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
このブログを読み、書き込むことによって、真如が生じたときの感動とは異質の感動がなぜ生じたのか。

聖求はもちろんのこと、今自分にできる精一杯の書き込みを為したからではないかと。

もうしばらく、働くつもりでいる60代のオッサン(いやもう爺さんです)が感動を生じたのですから、

聖求ある方がこのブログを読み、自分が為したことの責任を背負うだけの決意をもって、書き込むなら、いずれその因縁が現れる。如何なることが起きるのかは本人次第です。

何十年と聖求をもちつづけ、今でも働いているときはストレスがありますが、「望むならば、誰でも解脱できると期待され得る」というのは、ほんとうのことです。
Satya
2017/07/29 12:33
<追記>
「決意」と「決心」の違いも理解しておきましょう。
Satya
2017/07/29 20:36

コメントする help

ニックネーム
本 文
自分も解脱できるのか? ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる