ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 切実な問いに対する答え

<<   作成日時 : 2017/08/10 10:13   >>

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ワン爺の独り言(2017年8月10日)
切実な問いとは「どうすれば正しい道を見い出して確固たる歩みを営めるのであるか?」です。この問いに対して、SRKWブッダはこの理法で述べておられます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou187.htm



(以下引用)


【切実な問いに対する答え】


人をして円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に導き至らしめるこの一なる道の歩みにおいて、いわゆる修行法と呼ぶべきもの(手続き的なもの)は何一つ存在していない。けだし、人の覚りの道はそれぞれの人の明知によってそれぞれに見い出され、それぞれの人が自ら為す精励によってその歩みが確からしめられるものであるからである。



しかしながら、それでも人々が「どうすれば正しい道を見い出して確固たる歩みを営めるのであるか?」と切実に問うならば、それには次のように答えなければならない。



 『真実を知ろうと熱望することが、その最初であり、また終わりである』



このまるで呆けたような答えがこの切実な問いに対する完全な答えである。



人は、熱望するゆえに世を正しく遍歴することを得る。人は、熱望するゆえに善知識と出会う。人は、熱望するゆえについに法(ダルマ)を体得する。正しい熱望は、終焉のあるものであって果てしのないものとはならない。正しい熱望は、その始めにおいて大いなる決意を起こし、その終わりにおいて崇高なる決心を生ぜしめるものである。



正しい熱望を起こした人は、必ず解脱するであろう。なんとなれば、熱望する人の身にそれがまさしく起きてこそ法は法(ダルマ)として世に証されるのであるからである。



(以上引用)
 

注:「明知」及び「精励」についてはそれぞれ次のアドレスの理法を参照してください。

http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou114.htm

http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou024.htm



*ワン爺のコメント
切実な問いに対する答えが、『真実を知ろうと熱望することが、その最初であり、また終わりである』というのは、確かに呆けたような答えで、期待ハズレな気がします。しかし、期待というのは人間が考えた範囲の答えであり、真実はそれ以外のところにあるというのが真実の実情ではないでしょうか。人知を乗り越えて、「真実を知ろうと熱望すること」これが大切です。



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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
どこか、例えばチベットやミャンマーの寺院の奥深くに、覚りに至る秘密の経典とか、秘密の行法が隠されていて、それを知れば世界の秘密が解き明かされるとか、神通力が身につくとか、その手のオカルト話は基本信じない方が良さそうだ。

むしろ自分の煩悩、アホさ加減、山のような欠点と、ウンウン言いながら格闘して行く以外道はなく、そこで手を抜くと高確率で地獄だのに落ちそうだ。

幼少期からこの世界のリアリティというものに対して根本的な猜疑心が強く、裏返して万一地獄に落ちたらどうするよ?という恐怖は今日まで続き、死んだら無ならいいけど、地獄で何阿僧祇とかドS拷問受けるのは勘弁だ。痛いのは苦手だ。無か地獄か、2分の1の確率ならリスクをヘッヂする方を採る。それが自分の真理への熱望の正体である。

もの凄い良因縁に恵まれて覚れて、結果死んだら無が真理だと了解したら、ネットを用いて全世界に「地獄なんてないからなー修行なんて時間の無駄だぞー」と全力で拡散してやる。坊主という坊主を失業に追い込む。もしも地獄があると了解できたら、好きな人だけにこっそり耳打ちし、後は黙ってニヤニヤ見てる。
白ギツネ
2017/08/10 17:51
こんばんは。てくてくでございます。書き込み失礼致します。

もしも、自分がネット上で『地獄なんてないからなー修行なんて時間の無駄だぞー』と説かれた言葉を見つけたとしたら、きっと、こう思うだろうと思います。

(自分は、仏になるために修行します。)

どうして仏になりたいかは、知らんぷりが出来ないからです。人が覚って仏になることに。

では、どう修行するかは、自ら決めます。健康であること、後悔しないことをします。
てくてく
2017/08/10 21:12
てくてく様

悟りたい…と言うか、この世界の正体が知りたいんですね。で、そのためには慈悲の徳行が必要だと言われるから、嫌々、やっとやっとやっている。慈悲(他者への関心)が決定的に欠けているんです、生来。

幼少期から基本スタンスが「知らんぷり」で、それが少しおかしいと言うか、他人からはおかしいと認識されていると漸く気付いたのは10代も半ばの頃でした。
白ギツネ
2017/08/11 01:48
こんばんわ。てくてくでございます。書き込み失礼いたします。

『この世界の正体が知りたい』と語られた言葉を拝読いたしまして、自分は、こういうことを考えたことがなかったので、とても考えました。

ここに語られました言葉とは異なるかもしれませんが、自分は、この言葉を拝読して、『ローヒタッサ経』を思いました。とても短いお経なのですが、ここにそのお経の終わりの部分を引用いたします。

『(省略)天子よ、生まれず、老いず、死なず、(それぞれの有情の仲間から)変異せず、再生しない世界の辺(涅槃)を、歩いて行って知り、見、到達することができると私は説かない。また天子よ、世界の辺に到達しないで、苦を滅するとも私は説かない。天子よ、実は想があり、意があるこの身長一尋(ひとひろ)の肉体において世界と世界の因と世界の滅と世界の滅に至る道(四聖諦)とを私は説くのである。

 世界の辺に、歩いては決して到達できはしない。世界の辺に到達しないで、苦から逃れることもない。

 それゆえ、世界を知り、世界の辺に到達し、修行を完成した寂静の賢者は、世界の辺を知り、この世とあの世を求めないと。』
ローヒタッサ経 終わり
てくてく
2017/08/11 19:44
天使の名、ローヒタッサの意味が血液、赤兎馬である事が面白いですね。体内を隅々まで駆け回る血液、地上で最も早いものの例えである赤兎馬の対比が興味深く感じられます。
クリームコロッケ
2017/08/13 10:00

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