ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

アクセスカウンタ

zoom RSS 真の善なるものの出現

<<   作成日時 : 2017/08/11 10:33   >>

トラックバック 0 / コメント 4

ワン爺の独り言(2017年8月11日)
「真の善なるもの」とは、仏の智慧だろうと思います。それが人の口から発せられるとSRKWブッダは述べておられます。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou188.htm



(以下引用)


【真の善なるものの出現】



真の善なるものは、ことばの形をとって世に現れる。それは稀有なることであるが、間違いなく人の口から発せられるのである。



真の善なることばは、まるで唐突に、朴訥に世に出現する。しかし、そのことばは最上の高貴さを纏っているのでそれだと分かるのである。



円かなやすらぎを求める人は、自らの悪をとどめて端正な人となり、さらに端正さを超えた高貴さの世における出現を眼のあたりにせよ。

それによって、法(ダルマ)を心底に領解する人となれ。

この真の善なるものこそが、人を解脱せしめるものであるからである。


(以上引用)


注:この理法の中の言葉「端正な人」については、先日(2017年6月20日)のブログ記事で引用しました。そのアドレスは次の通りです。
http://76263383.at.webry.info/201706/article_20.html



*ワン爺のコメント
今回のポイントは、「真の善なるものは、ことばの形をとって世に現れる。」だと思います。しかし、このように考えていない修行者は多いと思います。だから、山中に入り、一人瞑想などの修行をするのです。しかし、「真の善なるものは、ことばの形をとって世に現れる。」のであれば、一人瞑想しても真の善なるものに遭遇することができないのではないでしょうか。今回の理法は修行方法に関わる重要な問題なのです。








テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
「自らの悪をとどめた端正な人」というのは、心解脱、もしくはルーパの脱落を成し遂げた人のことでしょうか。

Satya
2017/08/11 22:03
「自らの悪をとどめた端正な人」というのは、少なくとも心解脱をした人だと思います。そのような人は慧解脱を目指すようにと言っているのだと思います。
ワンギーサ西津(管理人)
2017/08/11 22:19
仏は油断がならない。予想の斜め上から来る。とてつもなく優しいようにも見え、仰け反るほど底意地が悪いようにも見える。
とりあえず、妬まず、嘘を言わず、事象に優劣をつけないように努力しよう。ヴィパッサナーやら読書やら増やそう。
そうして町中で普通に生きて、真の善なることばの現れを待とう。しんどいけど。
白ギツネ
2017/08/12 03:52
しかし……
>子も妻も 父母及び 財産も すべてを捨てて 一人で歩く<60>
こういう偈もありますよね。山中1人瞑想とかを否定するならこのスタンスだって否定されないとおかしい。そうすると執着を捨てろと言ってるだけで、責任放棄しろと言ってるわけではないとか言われる。でもね、執着の対象と一緒に暮らして尚執着しないで済むレベルなら、そもそも修行なってやってませんけどね。
白ギツネ
2017/08/12 10:46

コメントする help

ニックネーム
本 文
真の善なるものの出現 ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる