ワン爺の独り言(旧困った時はダンマパダ)

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zoom RSS 解脱の根拠

<<   作成日時 : 2017/08/09 10:15   >>

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解脱の根拠

ワン爺の独り言(2017年8月9日)
『そもそも人々が、皆やさしくありたいと願っていること。これが、人が誰でも解脱できると期待され得る根拠のすべてである。』この言葉以外はいらないと思います。
http://www.geocities.jp/srkw_buddha/rihou186.htm



(以下引用)


【解脱の根拠】

 

自分も、解脱することができるのか?

この問いに関して、もろもろの如来は同じく答える。



 『望むならば、誰でも解脱できると期待され得る』



しかしながら、さらにその根拠を問うものがある。それに対しては、次のように答えなければならない。



『そもそも人々は、皆やさしくありたいと願っている。ただ、心が妄執に覆われて、真実のやさしさを知らずにいるのである。それゆえに、人がたった一つでも真実のやさしさ(=智慧)を知ったならば、かれ(彼女)は心を覆う妄執を超え、ただちに解脱して仏となるのである。そもそも人々が、皆やさしくありたいと願っていること。
これが、人が誰でも解脱できると期待され得る根拠のすべてである。』


(以上引用)


*ワン爺のコメント
昨日は「解脱が起きるその瞬間」について学びましたから、次は「自分も、解脱することができるのか?」と考えるでしょう。それに対しては諸々の如来は『望むならば、誰でも解脱できると期待され得る』と答えるそうです。

そうすれば、その根拠を確かめたくなります。それが、『そもそも人々が、皆やさしくありたいと願っていること。これが、人が誰でも解脱できると期待され得る根拠のすべてである。』と言われます。

以前(2017年1月25日)のブログで「人が信じるべきことは『人は実はやさしい』とうことです」と言う記事を掲載しましたが、共通の趣旨ですね。
http://76263383.at.webry.info/201701/article_25.html


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
「人が実はやさしい」のであればどんなに良いかとはおもうけれど、現実に人はまったくやさしくなく、自分自身人にやさしくない。自分を除く全ての人が自分にやさしければ極めて都合がいいが、そういう考え方自体まるでやさしくない。

どうもここで語られているやさしさとは、凡人が通常口にするやさしさとは別物のようだ。ボランティアとか募金とか高齢者に席を譲るとか、無関係ではないのかもしれないが、多分そういうものではない。

んー…根拠はないが、自分をも含めた人を諦めないというか、切り捨てないというか。たとえどれほどダメダメで醜悪であっても、そうなってしまう理由やら背景やら環境やら、そういう諸々を瞬時に見抜く人格的包容力+知恵みたいな。仏陀なら更にそこに「導く」というサービスが付くのだろうか。
白ギツネ
2017/08/10 02:54

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