瞬時のひまなく心を守れ 怠けた者は地獄行く

ダンマパダ 315

内外を守られた
辺境の城街のように
自分を守れ
瞬時も見逃すな
見逃した者たちは
地獄に引き渡され嘆き悲しむ

○この詩から学ぶこと

  始めに、この詩ができた因縁物語を紹介します。
 何人かの比丘たちは辺境の城街の近くで雨安居を過ごしました。人々は比丘たちの世話をし、必要なものを用意してくれました。しかしある時盗賊が城街を進入しました。それからは、人々は城街の守りを固めたために、比丘たちは充分な世話を受けられなくなり、惨めな生活をしなければならなくなりました。
 雨安居が終わったあと、彼らは仏陀に会いに行き、その話をしました。釈尊は彼らに「欲張るべきではない。わずかのもので満足すべきだ。」と説法し、上の詩を唱えました。

 詩と因縁物語を読んでどう思いますか。私は仏教を勉強し始めの頃、自分を守ることを怠ったことで地獄に行くというのは罪が重すぎるのではないかと思いました。当時の私は自分を守るなどほとんどやっていませんでしたから、もしその通りであれば私は地獄に行くことになると心配しました。そこで、 私は「自分を守らないだけで、地獄に行くというのは罪が重すぎではないですか?」とスマナサーラ長老に質問しました。

 長老は「自分を守るとは、心を守ること、自分の感覚器官とその対象に注意を向けることです。目と色と形、耳と音、鼻と香り、舌と味、身体と接触するもの、意思と概念、これらのものが心に刺激を与え、狂わせる恐れがあるのです。ひどい場合には殺人まで起こすのです。
 城街の守りを怠り、盗賊が侵入すると何人も殺される恐れがあります。一人を殺すより、守りを怠ることは罪が重いのです。自分を守らないと、人間は何をしでかすか分からないのです。ですから罪は重いのです。」とお答えになりました。(この言葉は当時の記憶を再現したものですので、長老御自身の言葉、そのままではないと思いますが、趣旨は以上のようなものでした。)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

ホーシノヒトリゴト
2008年10月01日 16:24
ワンギーサさん 315の解説ありがとうございます。さて、解説の中に「一人を殺すよりも・・・」と書かれてありますが、殺人のような悪行為を行わないために心を観察し守ることが必要なのではないでしょうか。それなのになぜブッダは「一人を殺すよりも・・・」と比喩されているのでしょうか。宜しくお願い申し上げます。
ワンギーサ
2008年10月01日 19:33
ホーシノヒトリゴト様
御質問の件ですが、城内に賊が入ると、何十人、何百人にも殺されることになるからです。つまり、見張りを怠ったために、何十人、何百人も殺すなるのです。
文章の書き方が不十分でした。
ホーシノヒトリゴト
2008年10月02日 06:59
ワンギーサさん ご返答ありがとうございます。よく理解できました。何かを犠牲にしなければ得られないこともあります。ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年02月07日 15:46
恐れ入れますが「瞬時のひまなく心を守れ 怠けた者は地獄行く」ですが、心を守らないと地獄行きに繋がっていく可能性がありますよ。だから心を守りなさい、というような解釈で宜しいでしょうか。
何時も注意出来るか・・とも思いますが、出来る範囲で実践して参りたいです。

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