もろもろの欲望捨てて出家する欲望消えた彼はバラモン

ダンマパダ 415

この世の欲望を捨て去って
出家して遊行する
欲望の生活が消えた人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩から学ぶこと

 この詩では、「この世の欲望を捨て去って」この段階に到る前段階が難しいのではないのかなと思います。このような発想に至らないのです。この道に進むためには、仏教の情報が必要なのです。

 昨日も述べましたが、私たちは人生において多くの障害、困難に遭遇します。その時私たちはどうするでしょうか?今までの人生を振り返ってみればいくつか思い出されます。困難とは言えませんが、子供のころは欲しいものがあれば親にせがみました。欲しいものを与えてくれなければ、泣いたりわめいたりしました。もちろんその欲望を捨てようとは思いません。

 成長して、いろいろ悩みが増えます。それらの悩みの原因は自分の希望、期待です。それは自分の欲望です。しかし、その欲望が自分の悩みを作りだしているとは夢にも想像しません。欲望である希望や期待をあくまでも肯定して、その欲望が満足されないので悩んだり苦しんでいるのだと思っています。

 自分の希望、期待を実現するためには、自分の能力を向上させなくてはいけないと考えます。これは間違った考えではありません。能力を向上させるために努力することはよいことです。能力向上の努力は人間本来のあり方の一つですが、人間の期待はどこまでも増加しますので、また期待通りの結果が得られるとは限りません。正しい目標や能力向上の意味を知らないと挫折や失望ということになるのです。(正しい目標とは涅槃に到ることですが、ここでは説明は省略します。)

 挫折した人はなりふり構わず、自分の希望や期待を実現するために、悩みをなくすため、神仏の力を借りようとまで思い始めます。神仏に頼めば何とか成ると思うのです。この場合、自分の欲望を捨てなさいと言うような神仏には初めから近づきません。これがほとんどの人々のあり方です。

 しかし、少数の幸運な人々は、仏教では幸運とは考えずに良い業を持っている人と考えますが、これらの人々は仏教の教えに遭遇して、苦しみの原因が自分の夢や期待や欲望なのだという情報を得ることが出来るのです。これらの人々はこれをヒントに、ブッダの教え、四聖諦を学ぶことができます。四聖諦の一つである八正道を実践する意味を理解して、実践するのです。その時初めて、欲望を捨て去ろうと決意するのです。

 仏教を少しでも学ぼうかなと思う人は幸運(良い業)を持っている人なのです。なぜならばその人は自分の苦しみを完全になくす最高の幸福に到る可能性があるからです。あとはその人の勉強しだいだということになります。


○もろもろの欲望捨てて出家する欲望消えた彼はバラモン



~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年12月23日 06:31
ワンギーサさん、おはようございます。最近、近くのスーパーで傷もののりんごを買って食べました、が思ったより美味しかったです。安いので味に対する期待がなかったからです。一方それなりの価格のりんごは美味しくて当たり前なので、減点方式でさほど満足しません。そして傷ものりんごも最初の一個は良しとしても、だんだん喜ぶがうせてきます。期待が大きかろうが小さかろうがダメという一例かもしれません。何かを得ようとすると得る前にそれが変わってしまうし、得ようとする自分も変わってしまう。だから完全に満たされることはない。だから瞬間論でやけば期待する結果が得られるし、それは冥想実践でより高度なレベルに上がっていくのだと思います。やるかやらないかだけですね。有難うございました。
ツヨシ
2008年12月23日 11:06
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
 お腹が空いている時は、おいしいです。
 お腹がいっぱいの時は、おいしくないです。
 また、リンゴは、時間がたつと、甘みが増えたり、減ったりしますね。
 ただ、常に、食べるときは、味を感じることは、できますね。
高橋優太
2008年12月23日 12:49
ワンギーサ先生、新さん、ツヨシさん、こんにちは。
仏教に出会うだけですごく幸せなんですね!
昨日の仏教の生徒になるコメントですが、五戒を守るというのは、はじめはできるだろうと簡単に思っていましたが、最近すごく難しく感じます。
盗まないよう戒めても、人の物に対して欲がでるときもあります(実際に盗みませんが気持ちが)。
あと、1年くらい前に仏教に出会ったころは、三帰依とかそういうことはまったく気にしていなかったので、三宝に対して失礼な態度をとっていたかもしれません。生意気でした。ごめんなさい。

あとこの前の仙台公演のとき、冥想は一人でこっそりやるよう教えてもらいました。でも「現代人のための瞑想法」に慈悲の瞑想に関して「家族といっしょに言ってもよいでしょう」とあるので、習慣でお母さんといっしょに唱えています。このままお母さんといっしょにやってもいいんでしょうか?それとも一人でやったほうが良いでしょうか?あと慈悲の瞑想は決まった時間どのくらいすれば良いんでしょうか?

ワンギーサ
2008年12月23日 22:19
新さん、ツヨシさん、高橋優太さん、コメントありがとうございます。
高橋優太さんへの答え。仙台講演でスマナサーラ長老がどのような話の流れの中でお話になったか分かりませんが、冥想は大勢の中で行っても冥想は一人で行うものです。自分の心を育てることは自分しか出来ないのです。しかし、慈悲の冥想をお母さんとこれからも一緒にやってください。時間や回数は自分で決めて行って下さい。最低1回は時間を決めてしっかり行った方がいいです。
高橋優太
2008年12月23日 23:26
ワンギーサ先生、いつも丁寧な回答ありがとうございます。ではこれからもお母さんと一緒にやります。
おやすみなさい。
身の丈修行者
2015年03月16日 06:17
以前自己啓発系?で大人は成長して生まれた色々な思考・脳能力から悩みが増えます。
子供はそのような思考・脳能力がないので悩まず、心が透明です。
ですので、それらの考え方・もう細胞を捨ててみればいいのです・・と習った事を思い出しました。
ニュアンスが似ている・・かもしれませんが、今振り返ると根本的な所が違うように思います。
こちらで正しく学び身につけていきたいです。

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