衣服にも食べ物にも価値置かず冥想する人をバラモンと言う

ダンマパダ 395

糞掃衣をまとい
痩せて血管が現われている
彼は独りで森の中で冥想している
私は彼をバラモンと呼ぶ


○この詩から学ぶこと

 「糞掃衣」とは、ごみ捨場に捨てられたぼろ布を集めて、洗い縫い合わせて作った衣のことをいいます。「 糞掃衣をまとい」とは、ぼろの衣服でも気にせずにということです。

 「痩せて血管が現われている」とは、美味しいものをたくさん食べていない、修行するために生きるのに必要な最低限の食べ物だけを食べているということです。

 つまり、この詩の一行目、二行目で、通常の人間の生き方とまったく逆の生き方をしている人間を表現しているのです。通常の人間は、なるべく立派な衣服を身に着けて、美味しいものをたくさん食べて、よく太って血管は脂肪に包まれてよく見えないのです。そのような生活に満足している。それが出来なければ、それが出来るようにあくせく働くのです。心を清らかにすることなど少しも考えていないのです。

 私が中学生の時、漢文の時間に学んだ論語に次のような言葉がありました。「道に志して悪衣悪食を恥ずる者は未だともに議するに足らざるなり。」(立派な人間になろうと志した人間が、もし自分の貧しい衣服や貧しい食べ物を恥ずかしがるような人間ならば、一緒に修行する価値はない。) 漢文の先生が自分の学生時代の弁当の貧しさの例に挙げて、「この言葉に励まされた」と講義の中で語ってくれましたので、それに共感して50年も前のことですが今でも覚えています。この論語の言葉も衣服と食物で、人間のあるべき生き方を示しているのです。

 では、通常の人間と逆の生き方をしている人間は何を求めているのでしょうか?「彼は独りで森の中で冥想している」のです。心を清らかにしようと思っているのです。心を清らかにすることがすべての苦から離れることであり、真の幸福にいたることだと考えているのです。

 冥想は心の汚れを落とし、心を清らかにするために行うものです。心の汚れとは欲や怒りや無知などの煩悩です。煩悩は妄想により現われるのです。妄想をなくせば煩悩をなくすことが出来るのです。ブッダの教えるヴィパッサナー冥想は妄想をなくす方法なのです。冥想し、妄想を止めると煩悩がなくなり、心が清らかになり、解脱するのです。そして涅槃に到達するのです。釈尊はそのような実践をする人をバラモンと呼ぶのです。そして釈尊はいつでも私たちにバラモンと呼ばれる人になることを勧めておられるのです。

○衣服にも食べ物にも価値置かず冥想する人をバラモンと言う


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

この記事へのコメント

2008年12月03日 06:23
ワンギーサさん、おはようございます。衣服と食事。広義に解釈すれば「物質」に価値を置かないことかな、と思います。今日の詩はあくまで「バラモン」についてであって、俗世間の考えと比較出来ない面があるかと思いますが、日常的に関連することを考えてみます。まず「衣服や食事が質素」だからいって、その人が心を重視してるとは限らないということです。例えば、私の父は衣服に全く無頓着でホームレス風で食事も質素ですが「仏教なんて」という考えです。一方、家柄も良く裕福な家庭環境で育った人にとって、贅沢品は当たり前で別に贅沢に感じない場合もあります。質素な衣服を着てるから精神性がある。贅沢そうな服なら精神性がない。という短絡的な発想を批判したつもりですが、よく聞くことです。大切なのは、心を重視し衣服や食事含め「物質」に絶対的な価値を置かないことだと思います。有難うございました。
ワンギーサ
2008年12月03日 08:10
新さん、おはようございます。昨日のコメントでも感じたのですが、新さんの読み方はおかしいと思いました。私の率直な感想を述べます。それはある文章から妄想して、その妄想に対して批判しているのです。昨日のコメントでは「ただ外見を軽視せよ」とはブログの本文には書いてありませんし、今日については、「 衣服や食事が質素」にせよと書いてありません。心を清らかにせよと書いているのです。このような妄想すると心に怒りが生まれているのではないでしょうか。これが私の妄想ならばよいのですが、自分の心に注意を向けて観察してみて下さい。私の批判に懲りずにまたコメントして下さい。
2008年12月03日 08:33
ワンギーサさん、ご指摘有難うございます。本文中の趣旨では、衣服や食事の贅沢を求め、心をないがしろにする人はバラモンではないと思います。しかし、衣服や食事が質素ならすなわちバラモンというわけでもないと思います。心を優先してるとが重要で、そういう人は衣服や食事にこだわらないと思います。それがバラモンなのだと思います。有難うございました。
ワンギーサ
2008年12月03日 10:17
新さんへ、追伸。「衣服と食事。広義に解釈すれば「物質」に価値を置かないことかな、と思います。」は私の意図していることと違います。「物質」と解釈すると観念的になり、実践と結びつきません。私の意図することは「生活」あるいは「生きるということ」です。「生きることに価値を置かずに、心を育てて下さい。」ということです。心を育てることは、新さんの場合、「妄想をするな」ということです。それは「考えるな」ということです。あれこれ考えることはすべて妄想になります。妄想は心を汚すのです。考えないで、感じる(観察する)だけに留めるのです。反論や質問があれば、一日置いて、明日コメントして下さい。新さんが幸せであることを願って。
ホーシノヒトリゴト
2008年12月03日 11:01
ワンギーサさん、大変ご無沙汰しておりました。毎日有り難く拝見しております。さて、私も妄想が大好きです。そこで昨日も妄想していました。それは「人間が幸せに生きること」についてです。私が現時点で気がついていることをお話すれば、「幸せになるためには、自分が成長(人格の向上)することです。別な言葉でいえば正しく変化することです。正しく変化するということは余計な妄想(思考)をせず、つねに自分に気づいて道徳を守り善行為、よいことを行うということです。よいこととは自分も喜び、相手も喜び、後で悔やまないことです。そのように努めながら、どんなことにも悩まない苦しまないで対応できる力(機能、能力)を強くすることです。そういうことに注意して生きていれば、智慧が開発されて幸福に生きられる」ということです。私は今まで特に外側の情報に気がとられて、その刺激で妄想し煩悩を大きくしてきました。お陰さまで少しずつ外側の刺激から離れられるようになりました。ワンギーサさんありがとうございます。
2008年12月04日 02:08
ワンギーサさん、色々有難うございます。冥想はともあれ、修行するのに必要な食事という点でもう既に観念的な理解になります。では、実際に解脱する目的のみで生きた場合食事含め、今の生活で修行に「必要最小限」とは具体的に何なのでしょうか?例えば、身の回りには冷蔵庫、電子レンジ、ガス台などの調理関連のモノや、その他冷暖房、洗濯機、携帯電話、パソコンなどの電子モノ、イス、机、テーブル、布団などのモノが揃ってます。どうしても生きる上で必要か?と問われればノーでしょうが、一切無くして原始的な生活することにも不自然さを感じるのです。私が「物質」と言ったのは上記のような数々のモノの総称です。ところで思考ですが、悟りに達する目的に関しては「大敵」でしょうが、その目的で必要最小限の生活をするには必要ではないでしょうか。効率を最大限に高めること、つまり無駄をなくすことは必要最低限の生活をすることに繋ります。冷蔵庫なしに生活して腐らせれば無駄が生じたり、冷蔵庫を使用すれば無駄なエネルギーが浪費されたりします。その解決には勉強や思考が不可欠でしょうがいかがなものでしょうか?買い物もしかりです。有難うございました。
ワンギーサ
2008年12月04日 08:08
新さんへの返事。「物質」の件はもういいですね。
 「思考」の問題ですが、反論は分かってました。生活に必要なことは、思考しなくても瞬時に分かります。新さんが思考と自覚できることは、実は思考しても分からないことか、どのように決めてもいいことなのです。どのように決めてもいいことはあまり妄想しないうちに決めた方がいいのです。思考しても分からないことは、しばらく思考しないで放置しておくことです。パティパダーの12月号の初めのページ「智慧の扉 真理の発見は『なぜ?』から始まる」は参考になります。ここでは考えるなとは書いてありませんが、「疑問を持ち続ければ」とあります。考えないで疑問を持ち続けるのです。ある時ひらめいて答えがでます。それは潜在的思考とはいえますが、それは顕在的思考(自覚できる思考)が邪魔します。ですから、思考しない方がいいのです。
2008年12月04日 08:44
ワンギーサさん、ご指導有難うございました。「なぜ?」という疑問を持ち続けることは、よく観察することに繋りますね。エジソンのような発明家も疑問を持ち続けたからこそ発見できたのだと思います。有難うございました。
身の丈修行者
2015年03月09日 07:43
私事ですが、13年程になる義母のお下がり軽自動車を愛用しています。どう見ても古い車ですが、半年に1回の点検に出し、手を入れ大事にしています。
もし誰かを載せるような状況の時、又は私の車は何?と見られる時、恥ずかしいな・レンタルで今だけそこそこ普通車等?にならないかな・・と思う時もあります。
ですがここまで学び、僕の古い軽自動車を見て評価する方はそれまで+そんな視線で心が曇るなら自分もそれまで・・と分かりました。
僕の車は実際、移動手段として何一つ困る事はありません。
「衣服にも食べ物にも価値置かず冥想する人をバラモンと言う」を身の丈で実践して参りたいです。

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