欲のつな怒りのひもを断ち切って悟りを開くバラモンたちは

ダンマパダ 398

紐(怒り)と革紐(渇愛)と
綱(六十二邪見)を手綱(煩悩)と共に切断し
門の鍵(無明)を開け、悟った人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩から学ぶこと

 この詩が出来た因縁物語は次の通りです。二人の男が自分の牛の優劣を競うために、それぞれの頭の牛に重い荷車を引かせました。しかし、どちらの荷車も少しも動かず、荷車をつないでいる革紐が切れてしまいました。この様子を見ていた比丘たちは釈尊に報告しました。釈尊は革紐でも簡単に切れるが、怒りという紐や渇愛という革紐、六十二邪見という綱、煩悩という手綱はなかなか切れない。これらを切断して、無明という門の鍵を開け、四聖諦という真理を悟るように説法されたとのことです。

 上の詩のカッコ内はパーリ文注解によるものです。六十二邪見とは、長部経典第一「梵網経」に解説されています。釈尊の時代の「我」と「世界」に関する六十二の哲学的見解であります。これらは現代にも通じる人間が考えられるすべての見解を網羅されています。

 その邪見の概要の項目数だけを示します。
 過去に関する十八の邪見
1.常住論(四種)、2.部分的常住論(四種)、3.有限無限論(四種)、4.詭弁論(四種)、5.無因生起論(二種)
 未来に関する四十四の邪見
1.有想論(十六種)、2.無想論(八種)、3.非有想非無想論(八種)、4.断滅論(七種)、5.現世涅槃論(五種)
 以上六十二の邪見は、すべてが囚われた見解であることが上記のお経で指摘されています。

 今回の詩でもバラモンは、怒りと欲などの煩悩という私たちを拘束している紐、綱を断ち切るように述べられています。一人の人間が六十二の邪見を持っているわけではないのですが、いろいろな人間がいますから、いろいろな見解を持っています。それらを整理すると、六十二の邪見になったということです、自分が持っている見解がどの邪見にあてはまるかわかれば、すぐこの邪見を克服できるでしょう。そして無明という鍵を開けて、智慧の扉を開けるように教えています。

 無明とは真理が分かってないということです。より具体的に言えば、四聖諦が理解できないことです。あるいは、諸行無常、一切皆苦、諸法無我が理解できないということです。逆に言えばこれら一つだけでも悟れば、無明ではないということです。これらの一つだけでも悟って、無明の鍵を開き、バラモンのような人間でありたいものです。

○欲のつな怒りのひもを断ち切って悟りを開くバラモンたちは

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~

この記事へのコメント

2008年12月06日 06:10
ワンギーサさん、おはようございます。今日の内容は複雑怪奇です。まず、邪見を克服して無明という門の扉の鍵を開けるということに関してはとても解り易いです。ところで、渇愛という革紐や煩悩という手綱を切れば、それはもう「悟り」なのではないでしょうか。それから何故無明の鍵を開ける必要があるのでしょうか?この疑問は私の誤読によるものかもしれませんが、ひとつ理解出来るとすれば、悟りの智慧で真理の世界を更に探究するなり、観察するなりする、というニュアンスです。又、煩悩がある限りは、無常、苦、無我を完全に理解したとは言いがたいのですね。有難うございました。
ワンギーサ
2008年12月06日 07:06
新さん、おはようございます。疑問の点については、釈尊は愚か者の私たちのために、くりかえし、いろいろな方面から、一つのことだけを私たちに説いておられるのです。
2008年12月06日 07:47
ワンギーサさん、ご指導有難うございます。一本の木を見て森を理解するのは我々凡人には無理ですね。又、間違えて理解しないためにも、お釈迦様は繰り返し教えられたのですね。有難うございました。
ツヨシ
2008年12月06日 08:02
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
 お釈迦様から教わったことを、自分が自分に、繰り返し教えています。
 「それは、妄想です。今を観察しましょう。」と、1日の間に、何度も考えますね。
ワンギーサ
2008年12月06日 10:55
ツヨシさん、コメントありがとうございます。「それは、妄想です。今を観察しましょう。」と、自分に言い聞かせるのはよい習慣です。続けて下さい。
身の丈修行者
2015年03月10日 07:53
ワンギーサ長老の分かり易い解説「六十二邪見とは・・「我」と「世界」に関する・・現代にも通じる人間が考えられるすべての見解を網羅・・」のこちらは62もあるんですね。
「四聖諦が理解できない・・諸行無常、一切皆苦、諸法無我が理解できない・・。逆に言えばこれら一つだけでも悟れば、無明ではない・・。これらの一つだけでも悟って、無明の鍵を開き・・」こちらは4つと数が少ない印象を感じました。邪見は妄想で広げてしまうから数が増えるのでしょうか。
無明でない状態になれるように精進したいです。

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