訓練で危険な動きする心幸福もたらす心に育てる

ダンマパダ 35

捕まえ難く、動きが速く
好きな所へ行く心を
訓練することは善いことだ
訓練された心は幸福をもたらす


○この詩から学ぶこと

 心は姿や形がないため見ることができません。ですから、心はどのようなものか知るのは難しいのです。また、私たちは、自分の外部の現象には関心を示しますが、自分の内面にはあまり関心を示しません。なぜならば、外部の現象が五感で観察できますが、内面は五感では観察できないので理解しにくいからです。また、自分のことは自分で知っているという思い込みもあるのです。

 この詩では心は「捕まえ難く、動きが速く 好きな所へ行く」と述べられていますが、どのように理解したらよいでしょうか。本格的に心を観察するためには、ヴィパッサナー瞑想を行う必要がありますが、その前にこの詩を理解するために、心と身体の関係を考えてみましょう。

 ダンマパダの1番と2番の詩で、「物事は心が先行し、心が主で、心よりなる」と述べていますが、そのように、身体の動きは心の動きを非常によく反映しています。ですから、身体の動きを観察して心の動きを知ることができます。もちろん、心と身体の関係は単純ではないので、曲折した表れ方をする場合があります。しかし、小さな子供の場合などは素直で、比較的心の動きは身体の動きに反映しています。心がうれしい時はうれしさを示す身体の動きをしていますし、悲しい時は悲しさを身体で表現しています。ですから、子供の動きを見ると心は「捕まえ難く、動きが速く 好きな所へ行く」ことが分かります。

 そこから分かることは、子供が好きなようにさせると、好きな所に行き危険です。同様に、心に好きなようにさせておくのは危険だということです。前にも述べましたが、訓練されてない心の衝動は欲と怒りと無知なのです。ですから、心を訓練しなければ、欲の心や怒りの心、無知の心によってその人の人生は不幸になってしまいます。そうではなく、心を訓練し、欲のない心、怒りのない心、無知のない心を育てるならば、その人の人生は幸福なものになるのです。

○訓練で危険な動きする心幸福もたらす心に育てる

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
 

この記事へのコメント

2009年01月21日 06:45
ワンギーサさん、おはようございます。今日の子供の話、とてもわかりやすいですね。逆に言えば、童心に戻れば「心の正体」がつかめやすいという事になるかと思われます。逆に仏教をやるとだんだん小学校の入学式の時のような気分になることがあります。右も左も分からなかったあの頃。貴重な教えが心に響きました。それを忘れて「自分はもう大人だ」という思いが成長を妨げていることを肝に銘じるべしと改めて思いました。有難うございました。
2009年01月21日 08:04
 ワンギーサさん、新さん、おはようございます。
 自分のコメントが、無くなっていました。
 「無い、無視されてる。ひどい人だ。変なこと書いたからか。知らない人からコメントされて、困ったかな。」と、思いました。
 コメントが消されたとき、どう思うべきでしょうか。
ワンギーサ
2009年01月21日 09:00
新さん、ツヨシさん、おはようございます。
ツヨシさんのコメントですが、この欄のコメントを消せるのは私だけの筈ですが、私はコメントを消してませんので、ツヨシさんの手違いではないですが。あとはサーバーが消すというということはあり得ますが、そんな内容のコメントだったのですか?不思議ですね。必要ならばもう一度書いてください。
2009年01月22日 08:09
 ワンギーサさん、言葉足らずで、ごめんなさい。
 「コメントがなくなっていた。」というのは、ワンギーサさんのブログではありません。
 他の人のブログです。
身の丈修行者
2015年03月26日 08:39
職場の新人教育でも同じ事が言えるなと思いました。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「訓練されてない心の衝動は欲と怒りと無知・・心を訓練しなければ・・その人の人生は不幸に・・」はそのまま職員教育に当てはまります。
無知でも欲があっても怒りがあっても、仕事は出来ません。
教えていく中で無知を無くす・・は分かり易いですが、欲や怒りの方はなかなか気が着けない所と思います。今の職場はこの点で大変弱いです。
心の成長も少しでも出来るような流れをつくれたら、と身の丈で心温めています。

この記事へのトラックバック