善人は楽しみ求めしゃべらない 賢い人は動揺しない

ダンマパダ 83

人格者はどんなとこでもこだわり捨てる
善人は楽しみ求めてお喋りしない
賢者は楽しい時も苦しい時も
舞い上がったり落ち込んだりしない


○この詩から学ぶこと

 賢者とは賢い人、智慧のある人という意味ですが、この詩では賢者の他の面について述べています。

 賢者は人格者です。人格者はこだわりが少ない人ですが、何かにこだわりがあってもそれを捨てることができるのです。ですから人間関係においても、人との対立が少なくなります。ですから、人格者は角の取れた人と言われるのです。

 賢者は善人です。善人は悪いことをしません。仏教ではしてはいけない十悪を明確にしています。十悪は、殺生(殺す)・偸盗(盗む)・邪淫(邪な行為をする)・妄語(嘘を言う)・両舌(噂を言う)・綺語(無駄話を言う)・麁悪語(悪口を言う)・瞋恚(心で勝手に妄想する怒り)・貪欲(心で勝手に妄想する欲)・邪見(間違った意見を持つ)と言う十種類の行為です。

 悪いことは十あるのに、善人の特徴に「楽しみ求めてお喋りしない」、これは無駄話をしないことですが、なぜこれを選んでいるのでしょうか。無駄話はそんなに悪いことなのでしょうか。十悪すべて悪いのですが、無駄話は軽視できないのです。スマナサーラ長老著の「的中する生き方」では、無駄話は「時間をものすごく無駄にしてしまい、頭がどんどん悪くなる点です。人格のためによいことは、一かけらもありません。」と述べられています。無駄話は、ほとんど妄想に基づくのです。妄想は自分の心を汚します。それに基づく無駄話は人の心まで汚すのです。また、妄想から他の悪行為も生まれます。無駄話は軽視できない悪行為なのです。

 逆に無駄話を止めると、時間の余裕ができ、頭が軽くなり、頭がよくなります。無駄話は楽しいと思っている人も、無駄話をやめると、頭と心に落ち着きができて、今までに感じたことのない爽快感を感じます。ですから、賢者は無駄話はしないのです。

 普通の人は、楽しいことがあると興奮し、舞い上がります。また悲しい辛いことがあると、暗くなり、落ち込みます。感情の起伏が激しいのです。考え方や行動が感情に支配されています。いわば泣いたり、怒ったり、笑ったり、騒がしいのです。

 しかし、賢者は、世の中のことは無常であることを知っています。また不完全なものであることも知っています。変わらない実体(我)がないことも知っています。ですから好いことがあっても、それだからと言って興奮せず、悪いことがあっても悲観したり、落ち込んだりしません。いつも理性的であり、冷静です。

 このような賢者は、八正道を実践し、最高の幸福である涅槃を目指すのです。

○善人は楽しみ求めしゃべらない 賢い人は動揺しない

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年03月01日 05:22
おはようございます。
2009年03月01日 05:32
「どこか旅行に行きましたか。」姉。
「北海道に行きました。」僕。
「何ていう所ですか。」姉。
「トマムです。」僕。

無駄話になっていますか。
2009年03月01日 05:37
ワンギーサさん、おはようございます。十悪の中で一番やってしまうのが無駄話だと気づいて以来、毎日注意してます。話したいと思ったら「それは事実に基づく考えか?敢えて話す必要はあるものなのか?(話す場合のメリット、デメリット。話さない場合のメリット、デメリット)話す時、まず相手が聞く耳をもっているのか?自分だけのの力ではどうすることもできない問題についてグダグダ話してないか?…」という点に注意してます。話したい衝動だけで話すのが一番ダメです。これは重要な話題の話しの際も役立つ考えです。よく痛感することですが、必要な時に必要なことを適切に話すには「智慧」が必要です。「智慧」がなければ「無駄話」になってしまうのでしょうが、「無駄話」をしない努力は「智慧」への入り口だとは思ってます。少しは場合によってはかなり頭がよくなることを実感できるからです。ところで、私の場合「無駄話」を聞くと妄想が出やすくなります。仏教の「法話」を聞くと妄想が極端に減ります。「無駄話」かどうかわからない場合は「妄想」である程度判断できるかと思います。難しいからこそやりがいがあります。有難うございました。
まお
2009年03月01日 07:01
ワンギーサ様、ツヨシさん、新さん、おはようございます。
今日の法話は今の自分が努力して改善すべき問題を適切に教えさとしています。今までの自分のコメントは自己主張や個人的な意見が多かったように思えました。新さんのコメントを読んで、自他のために話す無駄のない智慧があれば妄想はなくなり無駄話もなくなり、頭がよくなり落ち着きが出て爽快感を感じるようだとわかりました。自分の思考が妄想であると判断するためにはどうしたらわかるようになりますか?例えば自分の悪行為を促したり非難したりする幻覚や周りの人々の行為の訳を妄想してしまうことなどですが、これらはヴィパッサナー瞑想をすれば改善できますか?それとも瞑想とは別に観察して智慧で断ち切るべきでしょうか?
ワンギーサ
2009年03月01日 07:22
ツヨシさん、新さん、まおさん、おはようございます。

ツヨシさんへ。
無駄話かどうか、自分で判断できなければ、無駄話を止めることができません。コメントの場合も自分で考えて見て下さい。分かったらまたコメントして下さい。

新さんへ。
いつも皆さんの参考になるコメントありがとうございます。これからも宜しくお願いします。

まおさん。
自分の誤りを、素直に、すぐ認める態度は立派です。
妄想かどうかは事実に基づいているか先ず判断して下さい。架空のこと、想像上のことは妄想です。これらは結論の出ない話です。次のレベルは、心を育てることに役に立つかどうかも考えることです。どうでもいいことは無駄話です。
高橋優太
2009年03月01日 08:27
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。僕も喋ることが事実に基づいているか、判断して喋ります。
あっきん
2009年03月01日 09:07
皆さんおはようございます。
事実に基づいた発見!
①プログでの気持ち球が以前見た時より変化している。
2/26日や他の日でも。これこそ無常。また人によって反応が異なる。私的にはウケてます。楽しい。
②気分転換の為にコンビニへ行く。
知り合いと分かれる際、無意識に「気分転換に行って見てくるね」と言って分かれた。家に帰りあれ?いつも心は移り変わっているのに 仏教始める前から、使っていた言葉だ、心が変化することは知っていたんだな。
まお
2009年03月01日 10:39
高橋優太さん、あっきんさん、こんにちは。

ワンギーサ様へ
けっこう難しそうですが、挑戦してみます。まずは事実に基づいたことを考え話すようにし、空想や想像は妄想なんだと気をつけます。あとどうでもいいこと(無駄話)をよく喋っていたのでそれも喋らないように気をつけます。
心を育てることに役に立つかどうか考えて喋ること。これは相手や自分のためになるかどうかなのでそれ以上に難しそうです。そのためには一体どういう点を考えて話をするべきですか?
高橋優太
2009年03月01日 16:09
ワンギーサ先生、怠けて妄想してしまいました。だけど今からしっかり妄想に勝つよう、ここに一切の過ちを懺悔し誓願いたします。
4月ごろ(まだ協会のスケジュールがわからないので、正確な日時はわかりませんが)、またゴーダミー精舎に行かせていただきます。そのときはまたよろしくお願いいたします。
身の丈修行者
2015年04月08日 07:42
私事で恐縮ですが記載させて下さい。
(客観的に見て)自分中心で問題行動もある職場・同僚がいます。その為、どうしてもその人の苦情系の噂話?悪口?に花が咲く事があります。
そうなると仕事は止まるし・遊んでるような状態になり、実り・・はありません。
またその人が受けた怒りが再生し、さらに怒りだすような時もあります。
十悪の中の「両舌(噂を言う)・綺語(無駄話を言う)・麁悪語(悪口を言う)」が浮かび、それが悪の中に入っている理由を実感します。
出来るだけそんな機会を作らない・少なくする方向で接しています。戒めて参りたいです。

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