七覚支心を育てる修行法で執着捨てて涅槃に入る

ダンマパダ 89

七覚支に従って
正しく心を善く育て
執着を捨て去って
無執着を楽しみ
光輝く滅尽者たちは
この世で完全な涅槃に入る


○この詩から学ぶこと

 今回の詩は、「賢者の章」の最後になりますから、章のまとめです。はじめに七覚支という言葉が出てきます。パーリ語の原文では「七」という語はないのですが、覚支と言えば、七覚支と言う修行法なのです。

 また、新しい修行法が出てきた、頭が混乱すると方もいると思いますが、仏教の実践方法の基本は八正道です。その八正道を実践するために、その人に合ったいろいろな修行法があるのです。ですから、八正道と別のものと考えない方がよいのです。また、七覚支は悟りの七つの部分であると同時に、修行の段階でもあるのです。具体的に話しをしましょう。

1.念覚支:身体、感覚、心、法則を観察することです。八正道の正念とその完成形です。

2.択法覚支:身体、感覚、心、法則を観察して、昨日述べた黒い行為を捨てて、白い行為を選択することです。八正道の正思、正語、正業のそれぞれの完成形です。

3.精進覚支: 念覚支、 択法覚支の修行を努力することです。八正道の正精進の完成形です。

4、喜覚支:念覚支、 択法覚支、 精進覚支の修行の努力の後に、喜びが生まれます。マラソンを完走したり、登山で頂上に到達した時の喜びに似てますが、それとは少し異なります。欲や怒りがなくる時に生まれる精神的な喜びなのです。

5.軽安覚支:心身が軽やかになり、リラックスしてくる。 喜覚支は少し興奮している状態ですが、何度か 喜覚支を経験すると、落ち着いて 軽安覚支を経験すると言われます。この状態になれば楽に 念覚支、 択法覚支が実践できるのです。

6.定覚支: 軽安覚支を経験した人には、安定した集中力が現れます。そのため、現象の実相が洞察できるようになるのです。ここまでの過程で、人格も変わる、見方も変わります。八正道の正定の完成形です。

7.捨覚支: 定覚支が確立すると、善いことがあっても、悪いことがあっても動じない、感情がない状態、何事も公平で平等に見ることができる心になります。

 七覚支の2番から7番については、具体的によく分からなくとも、大丈夫です。1番の念覚支、正念を真剣に実践すると、自然に2番、3番と進むようになっているからです。1番をやらないで2番はないのです。しかし、参考図書を紹介します。スマナサーラ長老著「ついに悟りをひらく・・・七覚支瞑想法(国書刊行会)」

 その本の最後から、少し修正して引用します。「 捨覚支の状態になっても、その人には念覚支がずっとあるのですから、 択法覚支もあるし、 精進覚支もあるし、 喜覚支もあるし、 軽安覚支あるし、 定覚支もあるし、 捨覚支もある。捨覚支までそろったとき、そのとき瞬時に悟りの世界に入るのです。」ということです。

 賢者は七覚支に従って、正しく心を育て、悟りの世界に入るのですから、「執着を捨て去って
無執着を楽しみ この世で完全な涅槃に入る」のです。

○七覚支心を育てる修行法で執着捨てて涅槃に入る

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年03月05日 05:07
 おはようございます。
 身体の観察は、「上げます、下げます。」
 感覚の観察は、「重み、痛み。」
 心の観察は、「怒り、妄想。」
 法則の観察は、「観察する。怒りが無くなる。落ち着く。」
 観察と実況は、合っていますか。
2009年03月05日 05:13
ワンギーサさん、おはようございます。七覚支のことはよくわかりませんでした。しかし、今日の解説を読んでみて「八正道」を裏から見たような印象を受けました。「正思や正語」を完成させようとすればするほど「正念」が如何に必要か。がよく分かってきます。どういうことかと言えば、うまく出来ない時は大抵の場合、その原因は「念」が足りてないと経験的に理解せざるを得ないからです。その意味で「念覚支」つまり「正念の完成」を頑張れば「七覚支」も自動的に完成し、八正道も完成するという理屈は理屈の上ではなるほどと思いました。有難うございました。
PUN
2009年03月05日 05:14
この時間帯に目が覚めることはめったにないので、記念にコメントします。
あっきん
2009年03月05日 07:05
おはようございます。
 ニュースでは不景気で単に生活するだけでも大変だと報道していますが、涅槃に入ると、生きる事自体意味がない事と解るのでしょうね。涅槃とは別世界としか捉えられませんが、心を成長させるには、自分との戦いだと思いました。

高橋優太
2009年03月05日 07:57
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
質問なんですが、歩く冥想しかやっていません。立つ冥想、座る冥想もおいおい始める方が良いのでしょうか?あと、実況中継が、さいきん遅いかな?という気がします。感覚と感覚の間がけっこうあります。
高橋優太
2009年03月05日 08:01
ワンギーサ先生、
実況中継ですが、どのくらい細かくすればよいのでしょうか?教えてください。
まお
2009年03月05日 08:03
 ワンギーサ様、ツヨシさん、新さん、PUNさん、あっきんさん、おはようございます。
 ワンギーサ様が紹介された本のシリーズはまだ読んだことがなく、いつか読んでみたいと思っていました。その本を読んで挑戦したら七覚支瞑想は今の私に出来るのでしょうか?七覚支瞑想法はより上級者向けで難しそうに思えます。
 昨日座るヴィパッサナー瞑想をしたら体のことや外の情報に集中しないようにでき、体が泡のようにぶくぶくとざわついているのが観察できました(それ以前に座る瞑想したときはその感覚から逃げていました)。その前に歩くヴィパッサナー瞑想をしたら妄想を「妄想」とカット出来て、(言い間違いもあるけど)今まではゆっくりが出来なかったのですがゆっくりの動きに合わせて言葉を選べて、時間は短かったけどこれまでにないほど丁寧に瞑想できました。これからも慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想を続けて頑張ります。
まお
2009年03月05日 08:08
高橋優太さん、おはようございます。
ワンギーサ
2009年03月05日 09:37
皆さん、おはようございます。
高橋優太さんへ。
歩く瞑想だけでもいいですよ。実況と実況の間が長く感じられるようでしたら、その間の足の動きなどを十分に感じてください。座る瞑想も始めたければ、初めてもいいですよ。
まおさんへ。
あなたの歩く瞑想は間違っていますから、瞑想指導を受けてからヴィパッサナー瞑想を始めてください。
ツヨシさんへ。
昨日の質問の答えを書いておきました。その意味が分かったら以後の質問にお答えします。
まお
2009年03月05日 09:45
 まだ知らないことをああだこうだと妄想して話さないで実物(ワンギーサ様が紹介された本)を見てみることにします。そして挑戦するべきですが、どうするかを決めます。
高橋優太
2009年03月05日 09:56
ワンギーサ先生、コメントありがとうございます。歩く冥想をしっかりやります。ご指導、ありがとうございました!
まお
2009年03月05日 09:58
ワンギーサ様へ
 わかりました。間違っているなら指導を受けるまでやりません。歩く瞑想はわかりましたが座る瞑想の方はどうなのですか?
ワンギーサ
2009年03月05日 22:39
まおさんへ。
座る瞑想もヴィパッサナー瞑想です。まだ正式に指導を受けてないのですから、正しくはできないのです。指導を受けても皆さん自分勝手に行いますから、正しくできないのです。釈尊の教える瞑想法はそんなに甘くないですよ。
まお
2009年03月06日 07:47
ワンギーサ様へ
 私はまだ正式に指導を受けていないから正しくできないのですね。でも他の人たちも指導を受けても自分勝手に行うので正しくできないということは驚きました。それくらい間違った瞑想をしやすいのですね。自分でも一人で最低でもある程度まではうまくできるんじゃないかと思っていたことは甘かったのですね。ということなら、絶対に指導を受けに行けるように精一杯頑張ります。慈悲の瞑想を頑張ります。ワンギーサ様、ありがとうございました。
高橋優太
2009年03月06日 08:29
ワンギーサ先生、長老にご指導されたとおりできているか、しっかり確認します。まおさんへのコメント、参考になりました。ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年04月09日 07:01
ワンギーサ長老解説の「1番の念覚支、正念を真剣に実践すると、自然に2番、3番と進む」から、まず念覚を真剣にやってみたいと思います。

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