なぜなのか笑っているのか火事なのに世界は闇だ光を求めよ

ダンマパダ 146

誰が笑うのか、なぜ喜ぶのか
常に燃えているのに
暗黒におおわれているのに
灯明を探し求めないのか


○この詩から学ぶこと

 この詩146番から156番まで、「第11 老化の章」になります。

 今回の詩は、釈尊の私たちへの、叱咤激励の言葉です。この言葉を私たちはたびたび、思い出すべきだと思います。

 「誰が笑うのか、なぜ喜ぶのか」は釈尊が私たちに問いかけておられるのです。私たちは笑っていられる立場なのか、喜んでいられる時なのかと言われているのです。「笑っていいとも」というテレビ番組を非難するわけではありませんが、実は私たちは笑っている場合ではないのです。笑って、困難に立ち向かうという意味での、笑いには意味がありますが、ここで言われている笑いは、困難や問題を直視しない、ごまかすための笑いなのです。ごまかしては問題は解決しませんし、人間として成長できないのです。

 「常に燃えているのに」とは、何が燃えているのでしょうか? 私たちの人生が、欲望や怒りや無知の炎で燃えているということです。それを笑ってごまかしては、その事実に気付くことができません。私たちの現状を直視して、その現状に気付く必要があるのです。欲望や怒りと無知が私たちの悩みや苦しみの原因であることをはっきりと知る必要があるのです。

 「暗黒におおわれているのに」、なにが暗黒におおわれているのでしょうか? 暗黒とはなんでしょうか? 私たちが暗黒におおわれているのです。暗黒とは無明、無知です。私たちは無知・無明でおおわれているのです。そんな自覚がないから、笑っているのですが、またうすうす気が付いていても、その事実は知りたくないのです。知れば、余計に苦しくなり、惨めになると思っているのです。不幸になりたくないと、思いながら、不幸になる道を選択して進むのです。怠けてはいけないことは分かっていても、怠けるのです。身体に悪いとは知りながら、不健康になる食生活をし、体に悪い生活をするのです。これを無知・無明というのです。

 「灯明を探し求めないのか」、灯明とは「真の幸せを理解する智慧」です。この智慧を釈尊は教えているのです。これが仏教です。世界には六十数億人の人間が住んでいます。しかし、仏教徒はその内の一部です。幸いこのブログを読んでいる方は釈尊の教えに触れていますが、油断はできません。真剣に灯明を探し求めなければ、無明・無知から脱出できないのです。笑っている場合ではないのです。この釈尊の叱咤激励の言葉を常に思い出して、八正道を実践し、心を育てる修行に精進しようではありませんか。

 この詩に関するスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページにあります。是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa63.html

○なぜなのか笑っているのか火事なのに世界は闇だ光を求めよ

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
 

この記事へのコメント

2009年04月11日 04:22
釈尊に帰依いたします。おはようございます。
2009年04月11日 04:41
立ち止まって、考えていると、「何を考えていますか。」と、言われます。何度も、考えていると、「考えなくていいよ。」と、言われます。何があろうと、ニコニコしていれば、穏やかになれる、と思っていると「怒られているときに、ニヤニヤするな」と、言われます。生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。
2009年04月11日 05:14
ワンキーサさん、ツヨシさん、おはようございます。私の場合、どういう時に「真剣に」なれるか?というと、「真剣に」に趣味や仕事などから幸福を得ようとした時です。条件付きの幸福から完璧な幸福を求めると不安や虚しさを感じます。際どい表現ですが、世俗的に良いとされていることに頑張ってみると、やがて限界にぶつかり、仏蛇の教えに答えが見つかることが多いです。その場合チェックしてるのは判断基準の誤魔化し、無知に戻ろうとしている心です。有難うございました。
2009年04月11日 05:25
より「真剣」になるのはそうした過程を経て、法話や書物に「真剣」に取り組んだ時です。
2009年04月11日 05:36
私の場合、更に「真剣」になる時はそうした知識を実生活に活かそうとした時です。つまり八正道の実践ですが、納得とその反面ふがいなさの狭間で更に「真剣」さが増すようです。
まお
2009年04月11日 09:08
 皆様の悩み苦しみがなくなりますように。
 ヴィパッサナー瞑想を頑張ろうと思います。
 生きとし生けるものの願い事がかなえられますように。
あっきん
2009年04月11日 11:15
こんにちわ。
なぜ笑っているか?気付かない人だからです。
 政府が不景気対策としてやってくれない、周囲の人にあたりちらし責任転換しても幸せにはならない。だからこそ人のあらを探している暇があったら自分のあらを探し心を清らかにした方が幸せになれると私は思います。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年04月26日 06:19
日常生活は、うっかりしているとどんどん時間が過ぎて、そして自分の寿命も終わってしまう・・ように思います。
家庭を持ち、子供を育てて時間がなく・・等は言い訳にもならないように感じます。
無明・無知を自覚し、心を育てて参りたいです。










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