己こそ己の守護者躾けられた己は得難い己の守護者

ダンマパダ 160

己こそが己の守護者
他の人が守護者でありえようか
よく躾けられた己こそ
得難い守護者になりえる


〇この詩から学ぶこと

 昨日、スマナサーラ著「仕事でいちばん大切なこと」(マガジンハウス、1240円)がゴータミー精舎に送られて来ました。内容は 第1章 人間関係は仏教に学べ 第2章 今日一日を生き抜くために 第3章 あなたをパワーアップする瞑想法 第4章 ビジネスマインドを磨く 等ですが、ビジネスマンが驚くようなユニークな、しかも納得できる話が満載です。長老の説法を何回も聞いた人も改めて目を開かせる新鮮な内容です。ビジネスマン向けにお書きになったようですが、本の中にも書いてありますように、仕事とは、生きることでもありますから、誰でも必要な大切なことが書いてありました。皆様も是非購入してお読み下さい。はじめに、この本の紹介をしましたのは、この本から今回の詩の解説のアイディアーを頂いたからです。

 私たちはいつも不安や恐怖があります。いやそんなことはない、私には不安がないし、怖いものがないと言える人はいますか。私たちは不安や恐怖のために、何かに頼ろうとしていますし、頼っています。

 何に頼っているでしょうか? 親や兄弟でしょうか。昔はそのようなことはありましたが、今では、核家族化が進んでいますから、親兄弟を頼りにしようとも思ってないと思います。お金や財産でしょうか。これらは頼りたくともない人は頼れません。しかし、頼りになるかと思って、お金や財産を作るために、命をすり減らしている人はいます。これは成功するとは限りませんし、たとえお金持ちになったとしても、幸福になるとは限りません。むしろ、お金持ちになったがゆえに不幸になる人は多いのです。

 手っ取り早く保険を頼りにする人もいますが、アメリカの大保険会社でさえ倒産しそうですから、保険もあてになりません。最後は宗教でしょうか。いろいろな新興宗教ができたり、カルトを盲信している人々もいます。しかし、これらのものは頼りになるのでしょうか。それらを頼りにして、裏切られて、不幸になった人々に関するニュースがあとをたたないのです。

 釈尊はこの詩で、「己こそが己の守護者」、すなわち自分が自分にとって一番頼りになるのだと仰っておられます。そして、「よく躾けられた己こそ 得難い守護者になりえる」と述べられています。自分自身の心を育てれば、生き方に確信を持つことができ、不安を解消し、恐怖のない安心できる幸福な人生が送れるということです。

 心を育てるには二つの方法があります。一つは慈悲の瞑想をして、慈悲の心を育てることです。もう一つは、ヴィパッサナー瞑想をして、智慧を開発することです。どちらも、自分自身を躾けることによって、自分の頼りになる守護者を作ることです。

 この160番の詩に関するスマナサーラ長老の法話が日本テーラワーダ仏教協会のホームページにあります。是非お読み下さい。http://www.j-theravada.net/howa/howa74.html

○己こそ己の守護者躾けられた己は得難い己の守護者

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年04月23日 04:43
三宝に帰依いたします。おはようございます。
2009年04月23日 05:04
3度考えたつもりですが、不安です。
よければ、質問に答えていただけないでしょうか。
「お酒をついでくれ」と言われたら、どうすべきですか?
「つぎません」と、やさしく断るべき、だと思っています。
下記は考えです。

「お酒をつぐことになるよ」と、言われました。お酒をつぐことは、善いか。お酒を飲むは、悪です。放逸の原因になるからです。つぐことは、飲むことの原因になります。ただ、注いでも、飲まないことは、できます。飲むために、つぐことは、悪だろう。「ついでくれ」と、頼まれて、注いで上げることは、悪だろう。つがなければ、飲めません。
 「どうぞ、お飲みください」と勧めるのは、悪に誘惑しているだろう。「飲むと、不幸になりますよ」は、導きだろう。「つぎません」と断って、怒らせてしまうと、悪だろう。怒らせるは、悪です。

以上が考えです。
よろしくお願いいたします。
2009年04月23日 05:25
「頼りたがる気持ちを乗り越えるべきです。」という長老の文を、読みました。質問することは、頼っていることだ、と思います。未熟です。ヴィパッサナーします。
2009年04月23日 05:30
生きとし生けるものの悩み苦しみが無くなりますように。
2009年04月23日 05:52
ワンギーサさん、ツヨシさん、おはようございます。早速、長老の著書を購入したいです。生きるための道具をいくら揃えても頼っても、不安があり幸福にはなれない、ということでしょうか。道具はある程度は人生の役に立ちますが、最終的には「生きる」というそのものと対峙し、更には乗り越える必要がある。それを指導してくれるのが仏教だと思います。自信をつけたいです。有難うございました。
2009年04月23日 06:25
ツヨシさんへ。答えではありません。そう考えるということは、その人との関係を悪くしたくないからなのでしょう。他のことで関係を良くしておけば、酒を強要されることも減り、やがてなくなる。というのが私個人の体験から言えることてす。要は嫌われてもよい相手かそうでないか、を自問して、どうでもよい相手なら酒に付き合わない。付き合っても「手酌にしましょう」と断る。自分にとってどうしても大切な相手なら、普段お菓子でもプレゼントしてギブしておけば(他に方法がない場合ですが)よいように思います。気持ちの問題だと思うので、その場でつまみを皿にとってあげる。とか?(裏方に回って役割を果たす)…色々工夫はできそうですね。
あっきん
2009年04月23日 07:32
おはようございます。
昨日、パティパダーが届きました。ボランティアの皆様ありがとうございました。これに全部目を通すのもエネルギーが入ります。内容が濃い。真っ先に関心ある再生の仕組みを読んだ。何で生まれてきたのか。親のせいでない、やはり自分の心が望んだ結果なのだ。だから愛情持って育ててくれた親を感謝するのだ。心を育てるのは、自分。人のせいにしないで心を観察しないとね。
 (^▽^;)あっきんビフィズス菌
日本では、仕事がらみでビールをつぐ事がビジネスマナーになってるかも。私は飲まないがつぐ事に罪悪感はない。相手の自由をうばう権利はない、という考えで飲むなと言うとよけい飲んだりして、それよりヨーグルトでも食べよう。
高橋優太
2009年04月23日 07:36
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
誰かを好きなる(=頼る)のはけっこう苦しいと思いました。気持ちが狭くなると感じました。あの人がいるから私は幸せ。という考えは完全に依存していると思いました。恋愛や家族、友人も依存する関係になると、苦しくなるので、注意します。自分は友達、家族にかなり依存していますが、今日のお話の通り頼りになるものはありませんので、やはりしっかりしなければと思いました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
まお
2009年04月23日 10:31
 皆様の願い事がかなえられますように。
 私はいろいろな物事に依存していました。生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。
 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように。
2009年04月23日 11:05
ツヨシさん、今日は。ところで今月号のパティパダーの巻頭法話は慈悲の瞑想についてでした。実はいかにも酒のやりとりがありそうな席で、「皆さんが幸せでありますように」と二時間ほど念じていたら、誰も私の酒に全く関与しませんでした。データ不足なのでそれは答えにはなりませんが、色々試してみてはいかがでしょうか?ある女性が持ち帰り用のパックを持参してきたことがあります。皆の印象はよかったですね。その意味では酒にこだわりすぎない方がいいかもしれません。ご参考までに。
2009年04月23日 11:21
「巻頭法話」ではなく最初の「智慧の扉」でした。
ワンギーサ
2009年04月23日 12:18
みなさん、こんにちは。
ツヨシさんへ。お酒の件ですが、お酒をついでくれと言われないのに、お酒をすぐのはお酒を勧めていることになりますが、ついでくれと言われて、つぐのは別に勧めているわけではないと思います。相手の人が飲みたいからついでくれと言っているのです。それをとやかく言う必要はないのです。考え過ぎです。日常生活でよい人間関係を作っておけば、お酒の席でも、自分が飲まないことが問題になりません。
2009年04月23日 18:18
質問への返事をありがとうございます。ホッとしました。
身の丈修行者
2015年04月30日 07:58
自立して生きていける自分でないと、周りを助ける事は出来ないと感じます。自立して働ける事は広い意味では社会に役立つ事と思います。
自立するには、心が成長している事が不可欠と思います。
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「慈悲の瞑想をして、慈悲の心を育てることです・・ヴィパッサナー瞑想をして、智慧を開発すること」実践して参りたいです。

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