落ち着いて経典の意味説く比丘の語る言葉は甘味なりけり(363)

ダンマパダ 第25章 比丘 363

言葉を制御し、経典を語り
落ち着いている比丘が
真理の意味を明らかにする
その語られる言葉は甘味です


○この詩の蛇足

 人間どうしが理解しあうことは、不可能くらいに難しいことです。話す人は自分の感じ方、考え方で話します。聞く人は聞く人の感じ方、考え方で聞くからです。そこで話される事柄が正しく伝わらないのです。そのため、トラブルや不仲、争いが起こったりします。

 しかし、釈尊は不可能に思われること、すなわち真理を言葉で語りました。釈尊は初めの五人の弟子たちに真理を言葉で伝えました。そして、成功しました。その証拠は、釈尊の初めての説法である、法輪経を聞いた一人の弟子がその説法を理解して、悟ったのです。その時、釈尊は「おお、コンダンニャは悟った。おお、コンダンニャは悟った。」と感嘆の声を発したということです。

 その後の説法「無我相経」を、聞いて残りの4人の弟子も悟りました。これは釈尊が正しく真理を言葉で伝えたという証拠です。

 不可能に近いこと、言葉で真理を他人に伝えるということは、言葉を制御すること、言葉を使いこなすことが必要です。真理を知っているという前提はあるのですが、つまり正見が完成していること、正しく思考できる、正思惟が完成されていること、正語が完成されていることが必要なのです。

 仏陀の智慧で語られた説法(経典)を説明する比丘は、経典をよく理解して、よく考えて、落ち着いて行なわなければなりません。そのように語られる経典の説明は、人々の幸福のためであります。
その言葉により、欲が消え、怒りが消え、智慧が現れば、心には喜びが生まれるでしょう。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200811/article_1.html
 落ち着いて経典の意味説く比丘の語る言葉は甘味なりけり

○この詩のパーリ語原文

363.
ヨー ムカサンヤトー  ビック
Yo   mukhasaṃyato  bhikkhu,
その  口を制御し   比丘が
マンタバーニー アヌッダトー
mantabhāṇī     anuddhato;
経典を語り    心に動揺のない
アッタン ダンマンチャ  ディーペーティ
Atthaṃ   dhammañca   dīpeti,
意味を   法を  又   明らかにする
マドゥラン  タッサ バースィタン
madhuraṃ  tassa   bhāsitaṃ.
甘味     その   言説は


○落ち着いて経典の意味説く比丘の語る言葉は甘味なりけり(363)


~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

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この記事へのコメント

2009年09月08日 05:25
ワンギーサさん、おはようございます。まさに「仏法僧の三宝」ですね。今日の内容はとても難しいと思いましたが、何故仏教が観念的・形而上的な理解ではダメなのかを考えるヒントになりました。「超越した命題について語る時は超越的に明晰でなければならない」確か数学者デデキントが無理解の中で逝った天才ガロアについて述べた言葉です。人類がいまだかつて発見出来なかったことは、発見当初多くは「誤解」されるか「理解不可能」かです。その原因として、「それを理解しようとする側が、それまでの既成理論からその理論を考えようとするから」というようなことが指摘されてます。アインシュタインの相対論もしかり。それまでの常識から考えると極めて「非常識」ということでしょう。ここから類推すれば、ブッダの教えを理解したければ、まずは「自分のそれまでの常識」を捨てなければならないことになります。例えば「正語」と聞いたとたん連想してしまうイメージを捨てることが必要になります。さもないと不毛な「観念的」なイメージの世界へ進んでいくのでしょう。それが理解ではないことくらいなら私にも理解出来ます。有難うございました。
みい
2011年05月04日 18:27
人に話して意味を違えてとられたり悲しみ経験します。言葉で皆頭の中の妄想するところが違う為難しい時が多く私は辛い事が多い。
身の丈修行者
2015年06月16日 12:05
私事の変な話を恐縮です、知人が「これはお釈迦様も取り入れてたものです」と紹介してきた事(お金を払って癒しをする方法?)があります。その証拠となる経典は何ですか?と質問したら、返答出来ない・・でした。
経典を元にお釈迦様の教えを真意に教えて下さる事は、本当に分かっていないと難しいのではと思います。長老に学ばせて頂きながら、自分もパーリ語を勉強し経典を拝見してみたいです。

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