8.肉体を不浄と見て暮らす

ダンマパダ 第1章 ひと組 7、8

(肉体を)清浄と見て暮らし、感覚を守らない
食物の適量を知らず、怠惰で精進しない人
彼を悪魔が打ち負かす、風が弱い樹木を倒すように

(肉体を)不浄と見て暮らし、感覚を守って
食物の適量を知り、信があり精進する人
彼を悪魔が打ち負かせない、風が岩山を倒せないように



〇超訳の試み

肉体が求めるままに、感覚の欲を喜ばせ
好きなだけ食べ、怠けて努力しない人を
病魔は彼を身心ともに打ち倒す

理性に従い、感覚の欲を制御して
適量を食べ、理解して努力する人
病魔は彼を身心ともに打ち倒せない


〇子供のためのダンマパダ

好きなだけゲームして、テレビを見て
好きなものだけ食べ、勉強しない子を
悪魔は病気にして遊べなくするぞ

よく考えて、少しゲームして、少しテレビ見て
好き嫌いなくよく食べて、よく勉強する子を
悪魔はどうすることもできないよ


〇一口メモ

 今回の7番と8番の詩に関しては、スマナサーラ長老の説法が日本テーラワーダ仏教協会のホームページに掲載されています。そのアドレスは下記の通りです。また、私の前回の「この詩から学ぶこと」など盛りだくさんですから、「一口メモ」はこれ以上かきません。


〇スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「悪魔に勝つために(1)」 ~自分は美しい人間か~
 http://www.j-theravada.net/howa/howa4.html

「悪魔に勝つために(2)」 ~自由闊達な心を求めて~
 http://www.j-theravada.net/howa/howa5.html


〇前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200901/article_4.html
 この身体清浄と見て暮らす人感覚守らず悪魔に負ける


〇パーリ語原文

7.
スバーヌパッスィン ウィハランタン インドゥリイェース アサンウタン
Subhānupassiṃ    viharantaṃ,   indriyesu       asaṃvutaṃ;
美しいものと見る  暮らしている  感覚において   制御しない
ボージャナンヒ チャーマッタンニュン クスィータン ヒーナウィーリヤン
Bhojanamhi    cāmattaññuṃ,      kusītaṃ    hīnavīriyaṃ;
食物において  また適量を知らない 怠惰な    不精進な
タン ウェー パサハティ マーロー ワートー  ルッカンワ    ドゥッバラン
Taṃ  ve    pasahati    māro,   vāto     rukkhaṃva    dubbalaṃ.
彼を 実に  征服する  悪魔は  風が    樹木を ように  無力の

8.
アスバーヌパッスィン ウィハランタン インドゥリイェース スサンウタン
Asubhānupassiṃ     viharantaṃ,   indriyesu      susaṃvutaṃ;
汚いものと見て     暮らしている  感覚において  制御して
ボージャナンヒ チャ マッタンニュン サッダン アーラッダウィーリヤン
Bhojanamhi    ca   mattaññuṃ,   saddhaṃ  āraddhavīriyaṃ;
食物において また  適量を知り   信があり  精進を起こす
タン ウェー ナッパサハティ マーロー ワートー セーランワ  パッバタン
Taṃ  ve    nappasahati    māro,   vāto     selaṃva    pabbataṃ.
彼を 実は  征服しない   悪魔は  風が    岩を ように 山を

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp7-14.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

あっきん
2009年11月08日 00:37
悪魔君に狙われないように、ご飯をよく噛んでお風呂に入りました。オッとまた12:00過ぎちゃいました。忙しくゆとりある時間をとるのは難しいですね。でも妄想を少なくすると余計なエネルギーを使わずに合理的に短時間でできるそうです。つまり集中すると言うことなのかな。その余った時間で、このプログで勉強しま~す。
2009年11月08日 03:25
ワンギーサさん、おはようございます。目下、食事の適量に挑戦中なので、感想を書きます。生命を維持するための適量を知り、実行することは思ったより難しく、またスリリングです。今あまりに飽食な社会なので「明日食べ物があるだろうか?」という心配はまずないでしょう。しかし、死なない程度に食べる努力をそれなりにすると、真面目に「明日食えるかな?」と心配したりします。この心配は妄想なのですが、「五欲、生存欲」によって「苦しみ」が生じるということが、とても生々しく感じます。また死なない程度にをと気を付けても「どうせなら美味しいもの」という欲求(五欲)も絡んできます。こういう生活を基盤として瞑想してみると違います。まるでカラスがエサに飛び付くがごとく、「食」に飛び付き、「生きていた~い」という思いがいかに巨大であるか。そして「瞑想」で何とか巨大な「苦しみ」から一時的に逃れられる。ということがリアルに感じられます。「食」については、原始的な動物的本能の世界に身を投じてみるのも決して悪くないと思いました。有難うございました。
2009年11月08日 03:48
不浄観については、大腸の検査の際の写真を思い出すたびに見てます。どう考えても「美しくない」ですね。その他の臓器についてもやりたいと考えてます。「人はウンコの塊」。自分のウンコを触ったり、顔にくっつけたりすると「不浄度」が増すような気がします。風呂場なら全身にウンコを塗って「クソまみれ」の自分を鏡で見れます。臭さもたっぷり満喫できます。ただウンコが水道菅につまるのでやる際には注意が必要です。爪をきったら、それを残して、コレクションしてみるのもやってみていいですね。靴下やパンツの臭いを入念にかいだリするのも簡単でいいです。その際、「これは自分のこのからだから出たものだ」と念じてみるのが不可欠だと思ってます。まだ断言できませんが、いくら「瞑想」しても「からだが綺麗で最高」と思っていると、1000年やってもあまり進歩がないような気がしてます。前提妄想を崩していく必要を感じてます。有難うございました。
高橋優太
2009年11月08日 14:45
ワンギーサ先生、皆様、こんにちは。
友達から、「倫理の勉強をやっていたが、ブッダはすごいね。」という趣旨のメールが届きました。僕の家の周りにはお寺がないので、友達もいっしょに仏教を勉強する仲間になってくれればなあと思いました。仙台にもお寺が建立されればうれしいなと思いました。もし友達が仏教やお釈迦さまに興味を持ったら、このブログやスマナサーラ長老を紹介しようと思います。
2010年06月22日 09:03
必要なだけ感謝していただく。
このシンプルなことを
実践するのがなかなか難しいです。

それでも続けているうち
空腹なのか、食べてみたいだけなのか
足りないのか、足りているのに
欲でもっと食べたいだけなのか
などがわかるようになってきました。

欲にふりまわされぬよう
日々精進です。
まさこ
2010年07月14日 06:29

おはようございます。

食べすぎ、寝すぎ、両方あります。欲にまかせて、食べていました。本当は、少しの量で足りているのですね。食べすぎ、直すのなかなか、難しいです。空腹なのか、食べてみたいだけなのか、足りないのか、足りているのに欲でもっと食べたいだけなのか、この基準で頑張っていきます。
もく魚
2010年07月14日 19:10
ワンギーサ先生の言葉を、まさこさま用にアレンジしてみました。

くわばら くわばら あきはばら

     ↓

喰わ腹 喰わ腹 腹八分

お互い食べ過ぎに注意しましょう^^;;
先生、目次の作成有り難うございました。
身の丈修行者
2015年07月11日 07:36
本文の「肉体が求めるままに、感覚の欲を喜ばせ 好きなだけ食べ、怠けて努力しない人を 病魔は彼を身心ともに打ち倒す」
「理性に従い、感覚の欲を制御して 適量を食べ、理解して努力する人  病魔は彼を身心ともに打ち倒せない」その違いは自分の心・生き方次第というですね。前者は無明、後者は智慧も感じます。
是非後者で生きれるように精進したいです。

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