90.あらゆる束縛を捨てた人には悩み苦しみは存在しない

ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 90

阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


旅路を終えて憂いなく
あらゆるものから解脱して
束縛すべてを断つ者に
苦しみ悩みは見られない


(片山一良先生 訳)


〇超訳の試み

輪廻の旅を終え憂いを離れ
あらゆることから解放されて
あらゆる束縛を捨てた人には
悩み苦しみは存在しない

〇子供のためのダンマパダ

君たちに人生の悩み苦しみは
まだわからないと思うけれど
それを乗り越えていくのが人生だ
そのようにして心が強くなり
頭がよくなるのだよ





〇一口メモ

 前回の「この詩から学ぶこと」にも書きましたが。この90番から99番までは、「阿羅漢の章」ですので、阿羅漢の境地が語られているのです。私には読みきれるものではありませんので、このメモは参考文章としてお読み下さい。

 この詩は仏陀の第一の教え四聖諦を詩にしたもののように理解できます。

 旅すなわち人生あるいは輪廻は憂いであることを述べているのです。
 憂いとは心の苦しみです。心の苦しみは一切の苦しみなのです。「苦の聖諦」

 苦しみ悩みの原因はあらゆる束縛です。束縛は渇愛からくるのです。「苦因の聖諦」

 「あらゆることから解放されて、あらゆる束縛を捨てた人には、苦しみ悩みは見られない」とは、束縛、渇愛を滅することでこれは「苦滅の聖諦」です。

「苦滅に至る道の聖諦」については前の詩、89番ではないかと考えています。

 詩の言葉にそった説明は前回の「この詩から学ぶこと」を参照してください。

 「子供のためのダンマパダ」では、子供たちに「君たちに人生の悩み苦しみは、まだわからないと思うけれど」と呼びかけましたが、もう既に充分悩みや苦しみがあると訴える子供もいると思います。そのような子供には、悩みや苦しみはゲームの難問のようなもの、それから逃げるのではなく、それに挑戦した方が楽しいと教えられないでしょうか。その難問に挑戦することによって、心が強くなり、頭がよくなるのだと教えるべきだと思います。その際、正しい、清らかな心で行うこと、慈悲喜捨の心で行えば、結果は必ず良い方に向かいます。それが法則です。大人は自信を持ってそのことを教えるべきだと思います。


〇この詩に関するスマナサーラ長老の説法

聖者(阿羅漢)の心(1) ~すべての束縛の繋ぎから逃れ出るために~
http://www.j-theravada.net/howa/howa30.html


〇前回の「この詩から学ぶこと」

旅を終え憂いを離れた阿羅漢に悩み苦しみは存在しない
http://76263383.at.webry.info/200903/article_6.html

〇パーリ(語)原文

90.
ガタッディノー ウィソーカッサ
Gataddhino    visokassa,
旅を終え     憂いのない
ウィッパムッタサ サッバディ
vippamuttassa   sabbadhi;
解放された    一切処で
サッバガンタッパヒーナッサ
Sabbaganthappahīnassa,
一切の束縛を捨てた者には
パリラーホー ナ  ウィッジャティ
pariḷāho     na   vijjati.
苦悩は     ない 見出され

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp87-99.pdf


〇慈悲の瞑想

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。


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この記事へのコメント

2010年01月11日 05:57
ワンギーサさん、おはようございます。「バラモンの章」の時は、あまり実感が沸かなかったものです。ではなぜこのようなことを学ぶのか?一番感じるのは、「逃げないため」です。ある程度で「妥協」することは結局「欲、怒り、無知の世界に居たい」ということになります。「苦しみたい、輪廻したい」ということにもなります。これは矛盾です。バラモンの章の時、内容はともあれ、この矛盾を一番感じました。そして、そのことを念頭に置くことで、「花の章」や「愚者の章」などの理解が深まりました。そういう意味では「分からないが学んでみる。全く理解できない境地が存在することを知る」ことは決して無駄ではない。と考えてます。勿論、本当に理解できればそれで「終わり」ということもありますが。有難うございました。
ワンギーサ
2010年01月11日 07:16
新さん、おはようございます。
そのポイントには、考えていませんでした。そうです。その通りですね。
ぱん
2010年01月11日 09:30
おはようございます。ワンギーサさん、皆さん、今年もよろしくお願いいたします。阿羅漢は、最終目標です。一歩づつ近づきたいと考えています。そのためには、昨日学んだ七覚支を一つ一つ整えて、一つ一つの完成度を高めてゆくこと。去年は的外れなコメントばかりでした。今年はなるべく、良いコメントができるように心がけたいと思います。生きとし生けるものが幸せでありますように。
あっきん
2010年01月11日 11:00
何年か前に?成人式したアッキンです。
子供の頃は早く大人になりたかった。好きな事できるし
大人になったら、子供が羨ましくなった。無邪気だ。
結局、満足してない。私的、子供のダンマパダの方が分かりやすいですが、年だけとるより精神的に大人になったほうがよいと感じるしだいです。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
ワンギーサ
2010年01月11日 20:54
ぱんさん、コメントありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
七覚支は念覚支から始まります。念覚支を真剣に続けていけば、捨覚支に自然に進むようになっているそうですから、念覚支に真剣に取り組んでください。明日のブログ記事もこのことに関するものです。そちらも参照して下さい。
ワンギーサ
2010年01月11日 20:59
あっきんさん、お忙しい中コメントありがとうございます。
あっきんさんにとって今は正念場です。
余計なことを考えずに、看護に取り組んでください。
慈悲喜捨の心で取り組めば、すべてうまく回転していきます。看護の喜びも感じるでしょう。生きている喜びも感じるでしょう。
こころざし
2015年08月05日 07:54
私事ですが小6・4年の子供がいます。先日同級生に嫌な目にあったと泣いてましたが、本文の「難問に挑戦することによって、心が強くなり、頭がよくなるのだ」を教えたいと思います。そして本文の「慈悲喜捨の心で行えば、結果は必ず良い方に向かいます」ですが、自分の生き様から子供に示したいと実践中です(思考錯誤の面もあり、日々反省しています)
たか坊
2016年09月20日 02:35
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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