98.阿羅漢が住む所は楽しい土地になる

ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 98

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


村においても、森においても
低地においても、平地においても
諸阿羅漢が住むところ
その地は楽しいところなり


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

村でも森でも
低地でも高地でも
阿羅漢が住む所は
楽しい土地になる


○子供のためのダンマパダ

山でも野原でも
お寺でも学校でも
アラカンのおじさんがいると
楽しいよ





○一口メモ

 前回の「この詩から学ぶこと」では、「なぜ阿羅漢が住む所は、どんな所でも楽土になるのでしょうか?」という問いから文章を始めました。そして、その問いに答える形で書いた文章は、なぜ阿羅漢の周りの人々が楽土と感じるかというものでした。それはそれで間違いないと思いますが、その前に、阿羅漢自身が、どんな所でも満足し、楽土と感じているのだということを書かなければいけなかったと今は思います。実はそのことに関しては次の詩99番で述べられているのです。

 もう一つ、前回の「この詩から学ぶこと」では、生老病死を受け入れた阿羅漢の穏やかな静かな生き方から、人々は楽土を感じるという理解でしたが、それだけでなく、阿羅漢には、周りの人々を穏やかにし、満足させ、平和で幸福な状態にする巨大な力があると感じるのです。なんとも、非論理的な説明で申し訳ないのですがそういうことです。私の理解力が増せばもう少し論理的に話せるようになるかもしれません。

 「子供のためのダンマパダ」では、子供でも、いや子供は大人以上に阿羅漢の穏やかな落ち着いた波動を感じるでしょう。それは人間だけでなく、動物や植物まで感じるのではないでしょうか。


○前回の「この詩から学ぶこと」

阿羅漢の住む所みな楽土だよ村であろうが森であろうが
http://76263383.at.webry.info/200903/article_14.html


○パーリ(語)原文

98.
ガーメー ワー ヤディ ワーランニャー
Gāme    vā   yadi   vāraññe,
村で    又は もし  又は 森で
ニンネー ワー ヤディ ワー タレー
ninne    vā   yadi   vā   thale;
低所で  又は もし  又は  高地で
ヤッタ アラハントー ウィハランティ
Yattha  arahanto    viharanti,
所の  阿羅漢は   住む
タン ブーミラーマネッヤカン
taṃ   bhūmirāmaṇeyyakaṃ.
その  土地   楽しい

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp87-99.pdf


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

名古屋人
2010年01月17日 22:33
本当に蛇足で申し訳ありませんが、「楽しいところ」の『楽しい』とは、俗世間でいうところの楽しさとは、まったく違うことを忘れてはなりますまい。
ワンギーサ
2010年01月17日 22:38
名古屋人さん、コメントありがとうございます。
その通りです。

ワタナベ
2010年01月17日 23:00
この日本に上座仏教僧の方々が来られ、仏陀本来の「離欲」の教えをお伝え頂けたと言う事は本当に有り難く思います。
基本的に世の中の価値観や日本葬式仏教の多くやあらゆる宗教のほとんどは、「眼耳鼻舌身意」の刺激を増やすことや、人間のあらゆる欲や怒りを増やすことを目的としていると思います。そのような泥沼の娑婆のなかにあって、戒を守られている寂静の僧侶に出会うことができた事は運が良かったと思います。ありがとうございます。
2010年01月18日 04:39
ワンギーサさん、おはようございます。哲学思想ランキングのことは知りませんでした。「確信」を考えるにあたって、様々な「認知基準」があり、特に帰納論理、つまり経験則から判断するやり方を認知基準にしない(かつて車が走ってる音を聞いた。今それと似た音を聞いている。故にそれは車の音だ。など)。があります。私見になりますが、これは凄い基準だと思います。生きる上では大抵「経験に基づいて」判断しているからです。だから「経験主義」のジレンマがあります。自分の経験だけを絶対視し、その枠から出られない。だから、データが豊富で経験豊富な専門家は一般人より頼りになるでしょう。ところで、かなり複雑な問題についてスマナサーラ長老に質問したことがあります。地域住民、行政、弁護士を巻き込んで紛糾した問題ですが、簡単に答えられました。その答えを実行して平和が訪れたのです。これは驚くべき事実です。長老御自身はそんな経験をされてないからです。智慧の「完成者」お釈迦様は俗人の細々とした問題に答えられました。超越した「智慧」の力で問題解決され、平和をもたらしたものと理解してます。有難うございました。
ワンギーサ
2010年01月18日 08:24
ワタナベさん、新さん、ぱんさん、おはようございます。

ワタナベさんへ。
日本にテーラワーダ仏教が日本人に認知されつつあることは大変うれしいことです。これで本来の仏教が何か日本人が知ることができるようになるからです。日本仏教の祖師方の努力は尊敬しますが、それは当時の日本人の状況を考慮した仏教の一部部分の教えであると思います。今となっては、本来の仏教の全体を日本人に知らせる必要があると思っています。

新さんへ。
凡夫には複雑に見える問題も、智慧ある方には簡単な問題に見えるのでしょうね。

ぱんさんへ。
いいですよ。ゆっくりお読み下さい。
おんがえし
2010年01月18日 19:54
 ミャンマーやタイなどから上座仏教を学んで帰ってきた方々に、コンプレックスを持ったりする人が多いように思います。
 しかし、ブッダの教え(客観的真理の教え)の本場は、賢者がいらっしゃるところだと思います。
 私は、ワンギーサさま、その他、スマナサーラ長老の下で、ブッダの教えを学ぶ方々は、ブッダの教えの本場におられると思っています。
 むしろ、私は、海外からスマナサーラ長老の下にブッダの教えを学びに来るべきだと思います。
 これは極端な意見に思われるかもしれませんが、真理を探究するならば、それが正しい道だと思います。
 真理は賢者しか知らないと思うからです。
こころざし
2015年08月08日 07:42
阿羅漢の方がいらっしゃると、その欲のない・無執着の生き方の姿等々から、接する人は心が安らぐと思います。
精舎の近くに引っ越したいと思い下宿先を探した事がありますが実質無理なので、今の環境で阿羅漢の姿を学ばせて頂いています。そして少しでも、接して下さる方の心の安定に繋がるような生き方を目指したいです。
たか坊
2016年10月26日 20:47
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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