264.265.頭を剃っても戒行のない虚言の者は沙門とならず

ダンマパダ 第19 法住者の章 264、265

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ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


頭を剃っても戒行のない
虚言の者は沙門とならず
欲、貪りのある者が
どうして沙門となりえよう

微細なものも粗大なものも
悪をすべて静める者は
悪が鎮静しているゆえに
まさしく沙門と称される


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

坊主頭で出家になるのではない
戒を守らず、嘘を言い
欲求と貪欲ばかりの人が
どうして出家であろうか

大小の一切の
悪を静めた人は
色々な悪を静めたことで
彼は出家と呼ばれる

○子供のためのダンマパダ

なぜお坊さんは頭をそるの?
お釈迦さまが決めたことだから
スマナサーラ長老は
「めんどくさいから」と答えました





参照記事:根本仏教講義9.心の法則(1)心はうんちく好き
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi43.html


○一口メモ

 テーラワーダ仏教の比丘(僧侶)が毎日唱えるべき「十法経」というお経があります。今回の詩に直接関係のあることは十法の第一番目ですが、出家でなくとも在家の方も参考になると思いますので、その日本語訳を以下に掲載します。

 十法経

比丘たちよ、出家した者は、常に観察すべき法が十あります。その十は何ですか?
1.私の容姿は変わりましたと比丘は観察すべき。
2.私の生活は他人に依存していると比丘は常に観察すべき。
3.(在家とちがった、出家に相応しい)変わった立ち振る舞いをすべきであると比丘は常に観察すべき。
4.私の良心が戒律をおかしていると訴えているかどうか比丘は常に観察すべき。
5.智慧のある修行仲間が戒律について私を批判しないかと比丘は常に観察すべき。
6.一切の自分の好きなものが離れて消えていくものだと比丘は常に観察すべき。
7.私は業により構成され、業を相続し、業により生まれ、業を親族として、業を依存して生きているものである。何か悪行為か善行為をしたらそれを私は相続しなければならないと比丘は常に観察すべき。
8.私は日夜どのように過ごしているのかと比丘は常に観察すべき。
9.私は出家生活に満足を感じているかと比丘は常に観察すべき。
10.私は人間の知識を乗り越えた、聖なる法といえる智慧の一つでも経験しているでしょうか、最期を迎え集まった修行仲間に訊かれた時、絶句しないようにと比丘は常に観察すべき。

 以上。

 目で見える形や外観は分かりやすいのです。もちろん大切なのは外観ではなく内面、心なのですが、外観を通じて、内面に注意を向けるとは有効な方法です。上記の十法経の第一は、外観の容姿が変わった点は、頭を剃ったことです。頭を剃れば終わりでなく、なぜ頭を剃ったのか常に心に留めて置く必要があるのです。

 この詩にそって述べれば、戒律を守り、欲や貪りを捨てて、もろもろの悪をなくすために、出家したのです。その印として頭をそったのです。印だけではいけません。中身を実践することです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*「形の出家と心の出家」~道は世間に合わせることではありません~
 Formalities do not represent the purity of the mind
http://www.j-theravada.net/howa/howa154.html

○前回までのこの詩に関するブログ記事

*出家には坊主頭でなるのでない欲のかたまりどうして出家
http://76263383.at.webry.info/200907/article_5.html

*坊主頭が沙門でないぞ 悪を止めれば沙門だぞ
http://76263383.at.webry.info/200808/article_20.html


○パーリ語原文

264.
ナ ムンダケーナ サマノー
Na   muṇḍakena   samaṇo,
ない 剃頭によって  沙門で
アッバトー アリカン バナン
abbato    alikaṃ  bhaṇaṃ;
不戒の者 虚言を  語る者は 
イッチャーローバサマーパンノー
Icchālobhasamāpanno,
欲貪りのある者
サマノー キン バウィッサティ
samaṇo   kiṃ    bhavissati.
沙門で  どうして  ある(か) 

265.
ヨー チャ サメーティ パーパーニ
Yo     ca   sameti   pāpāni,
所の者 しかし 静める  悪を
アヌン トゥーラーニ サッバソー
aṇuṃ   thūlāni  sabbaso;
微細な 粗大な  すべて
サミタッター ヒ パーパーナン
Samitattā    hi    pāpānaṃ,
静まった故に 実に 諸の悪が
サマノーティ パウッチャティ
samaṇoti pavuccati.
沙門と  言われる


〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


この記事へのコメント

2010年05月16日 00:22
十法経とは実に良いものを学ばさせて頂きました。
特に
6.一切の自分の好きなものが離れて消えていくものだと比丘は常に観察すべき。
7.私は業により構成され、業を相続し、業により生まれ、業を親族として、業を依存して生きているものである。何か悪行為か善行為をしたらそれを私は相続しなければならないと比丘は常に観察すべき。

6と7が本当にその通りだと思いました。
「一切の自分の好きなものが離れて消えていくものだ」と常に観察する。そのように唱えてみる(無常想)。そうすると今この瞬間に自分の心の貪りが消えますね。この瞬間、心が楽になる。これが初期仏典の「即効性」だと感じます。だから僕は初期仏教をやっているんですね(^^;
今思い出しましたが、相応部経典(南伝14巻P242~渡邊照宏訳)で釈尊はこう解説されています。(取り急ぎの僕の現代語訳)
「比丘達よ、無常想を修習し多習するならば、一切の欲貪を永尽し、一切の色貪を永尽し、一切の有貪を永尽し、一切の無明を永尽し、一切の我慢を永断する。」
ありがとうございます。
初期仏典によりまして皆様のこころが安らぎに満たされますように。
2010年05月16日 04:27
ワンギーサさん、おはようございます。

「十法経」ご紹介していただき、有難うございます。

正直痛いところを突かれたなあ、と感じました。

ですので、今後多いに参考にしたいと思います。

以前私は、「僧侶など外観がよくても中身はインチキな場合が多いんじゃなんじゃないか?」と疑ってました。

しかし、内面的に修行されているかいなかなどはわかりません。それは単に自分の差別感情を、もっともらしい理屈で正当化するために利用していただけの話でした。


最近はテーラワーダの衣のお坊様をよく街中で見かけます。

それに備え、常にお布施の品を用意してあります。それはあくまで自分自身の「ケチ」を直す目的です。どのお坊様が真剣に修行されているか?などわかりません。以前は見かけ(好み)で判断して、自分のエゴイズムを正当化してました。

今後も自分の内面を洞察していくよう頑張りたいと思います。

有難うございました。
あっきん
2010年05月16日 08:57
 おはようございます。
毎朝このプログで、仏陀の教えにふれる事ができ、気持ちが引締まる気がします。フッ~すがすがしい風です。
また知識だけ得ても無駄で、少しでも実践していきたいと思いました。私も絶えず変化しているので。。
生きとし生けるものはしあわせでありますように。
慈悲と智慧
2010年05月16日 19:48
【生きとし生けるものが幸せでありますように】の一文をパーリ語にしたサッベ~をカードにパーリ語で書いたものを写メールで撮影し、携帯の待受画面にしてみました。
やり方が分からないのでここに公開は出来ないのですが、結構オススメです。
日本語だと周りの視線が気になる方にはパーリ語がオススメです。
携帯の待受画面は良く目にしますからこころに刻みこまれるかもしれません。
チューラパンタカ
2010年05月16日 20:16
こんばんは、

月のあんなに近くに、星が見えるんですね

はじめて知りました

チューラパンタカ
2010年05月16日 21:40
本日も、スマナサーラ長老、ワンギーサ比丘の御言葉を、読ませていただきました

有難う御座います
2010年05月17日 14:51
十法経ありがとうございます。
お言葉通り、出家の方ならずとも役に立ちますね。
朝晩のぷち礼拝に十法経も加えてみます。

慈悲と智慧もおっしゃるとおり
パーリ語は他の人にふれるところでも
抵抗がなくていいですね。
音も心地よくて好きです。^^
こころざし
2015年09月15日 08:32
以前、インドの聖地に比丘の格好をした物乞いがいると伺った事があります。聖地にそのような格好の方がいるので、訪れた方がお布施をして下さるそうです。何か違和感を感じますが、これも現実?みたいな事を思いました。
日本で実際に見た光景ですが、街角にたって鉢にお金を入れて下さるように何か唱えているお坊様の格好をした方がいました。(歩いていく方向の為)近づいた時にその人が「これだけしか貰えてない」と鉢の中を誰かに見せてました。何か違う印象を受けました。
尊敬出来る生き方ってなんだろう・・みたいに考える機会に成りました。
ご紹介下さった十法経、是非参考にさせて頂きたいと思います。在家ですが少しでも通じるような生き方を目指したいです。

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