302.出家は困難で楽しむことも難しい、在家の生活も困難で苦しみです

ダンマパダ 第21 種々の章 302

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○スマナサーラ長老 訳

出家は難しく好めない
しかし在家も同じく難しい
心合わぬ共棲(ともずみ)も苦しい
輪廻の遍歴もまた苦なり
されば苦の遍歴たる
輪廻の旅人にはならぬこと


○片山一良先生 訳

出家は難く、楽しみがたい
家に住むのは難く、苦しい
異なる者と住むのは苦しい
旅をすれば苦しみに遭う
それゆえ旅をするなかれ
また苦しみに遭うなかれ


○日常語訳

出家は困難で、楽しむこともむずかしい
在家の生活も困難で苦しみです
共同生活は困難です
輪廻の旅人は苦難にあう
故に輪廻の旅人にならないように
苦難にあわないように


○子供のためのダンマパダ

生徒は勉強や部活で大変ですが
先生も授業や生徒指導で大変ですよ
嫌いな友とも付き合わなければ
生きている限り苦労は付き物だ
この苦労から抜け出す道はただ一つ
悟ってしまうことですよ





○一口メモ

 前々回のこの詩のブログ記事の「この詩から学ぶこと」を再掲載いたします。

(以下引用)

 釈尊は「この世には五つの困難と苦しみがある」と仰いました。それらは次の五つです。

1、家を捨てて出家することは困難なことです。
 私は出家することはあまり困難だとは感じていなかったのですが、でも困難なことなのかもしれません。ヤサさんと私が出家した後は、出家する人が続くと 思っていました。しかし、出家したいという人は何人かいましたが、実際に出家する人はまだいません。種々の理由で出家できないのでしょう。つまり、出家す ることは困難なことなのでしょう。

2.出家の生活や修行を楽しむことは困難なことです。
 出家しながら、世俗の楽しみを楽しもうとそれは困難と苦しみでしょう。しかし、出家者の生活は単純なものです。在家の苦しみはありません。ただ、出家の 生活になれないうちは、楽しむという境地にはなかなかなれません。私の場合は、在家の人々の目、出家者はこうあるべきだという思いをぶつけられるのは苦痛 でした。しかし、在家者の目というものはありがたいもので、自分ではできない自分に対する観察をやってくれる訳ですから、修行の役に立ちました。

3.在家の生活は困難なことが多く、苦しいことが多いものです。
 これはここで書くまでのことはありません。皆様がよく御存知のことです。どんな立場の人にとっても在家の生活は困難なものです。失業中やホームレスの人はもちろん、日本の最高の地位の総理大臣は二人も続けて辞任しました。仕事が困難で非常に苦痛であったのだと思います。

4.意見や考え方、性格の異なる人々と一緒に生活しなけれならないことは苦しいことです。
 意見が同じ人はいません。考え方の同じ人はいません。性格の同じ人はいません。一人ひとり違うのです。ですが、一人では生きて生けません。ですから、お 互いがぶつからないで生きていくためには、大変です。自分勝手に生きて行こうとすれば人とぶつかりますから、これは苦しいことです。
 
5.輪廻から解脱できずに、輪廻を繰り返すことは苦しみの連続です。
 輪廻を繰り返すとは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天界の世界のどこかで生きることです。地獄は耐え方難い苦しみが持続する世界です。餓鬼は望むもの が得られない苦しみの世界です。畜生は動物の世界です。修羅は怒り恨み嫉妬の世界です。人間の世界は御存知の通りです。天界は人間よりは苦しみは少なく、 楽しみの多い世界ではありますが、神々にも寿命があり生きるエネルギーがなくなれば死ぬのです。ですから、輪廻を繰り返し、どの世界に生きても苦しみはあ るのです。

 この詩では、「故に、輪廻の旅人にならないように 苦難に陥らないように」私たちに忠告しているのです。その方法は八正道の実践です。

(以上引用)

 「子供のためのダンマパダ」では、今回「悟ってしまうことですよ」と書いてしまいました。今まで子供のためのダンマパダでは、悟るとか涅槃という言葉を使わないで来ましたが、今回は使いました。それは、子供なりに、「悟ることが必要なのだな」と思ってもらうためです。私は中学生の時、悟れるならば、悟ってみようと思いました。

 さて、そこで子供に、「悟るということはどういうことか」聞かれたら、お父さん、お母さんはどう答えるでしょうか。子供にわかる答えをお父さん、お母さんに考えて頂きたいと思います。私の参考意見を述べれば、「すべての悩み苦しみをなくすこと」ぐらいに答えます。しかし、さらに良い答えがあれば、是非、コメント欄に投稿して下さい。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法

*隣の芝生は確かに青い ~不満を増やす妄想の悪循環を破る~

1.自分と自分がもっている者に不満を感じる
2.妄想は不満を繁殖させる
3.不満は妄想を繁殖させる
4.現状を満足するのも一概に良いとは言えない
5.実現できるなら「青い芝生」を目指すべき

 パティパダー(2009年12月号)の「今月の巻頭法話」に掲載されています。残念ながら、まだ日本テーラワーダ仏教協会HPにはまだアップされてませ ん。ですから、該当するパティパダーをお持ちでない方のために、スマナサーラ長老がまとめたポイントを列挙しておきました。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*出家者も在家の人も困難だ輪廻を離れ涅槃に向かえ
http://76263383.at.webry.info/200907/article_31.html

*出家は困難在家も困難輪廻苦痛脱輪廻
http://76263383.at.webry.info/200809/article_20.html
 

○パーリ語原文

ドゥッパッバッジャン ドゥラビラマン
Duppabbajjaṃ     durabhiramaṃ,
出家し難い      悦楽し難い
ドゥラーワーサー ガラー ドゥカー
durāvāsā       gharā  dukhā;
住し難い      在家の  苦
ドゥッコーサマーナサンワーソー
Dukkho'  samānasaṃvāso,
苦      共住することは
ドゥッカーヌパティタッダグー
dukkhānupatit'  addhagū;
苦に陥る     旅人は
タスマー ナ   チャッダグー スィヤー
Tasmā   na    c'addhagū    siyā,
それ故  ない  また 旅人は  あれ
ナ  チャ ドゥッカーヌパティトー スィヤー
na   ca   dukkhānupatito      siyā .
ない また 苦に陥ること       あれ


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

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この記事へのコメント

2010年06月07日 22:12
いつかは来ると覚悟していましたが
「悟り」って何?
ついにきました。^^;

嫌なことも苦しいこともないの?
じゃ本当の幸せ?

うーん、言いたいこと
いろいろあるけれど
折に触れ話すとして、

6歳さんとしては
ハナマルでしょうか。
CyberBaba
2010年06月07日 22:27
悟るとは自分の本質を自分自身で理解することだと答えます。そして悟れば、つまり自分の本質を理解すれば、全ての苦しみから解放されるそうだと答えます。

自分の子供時代を重ね合わせると、若い人たちは本当の自分というものを常に探し求めています。悩み苦しみについては、あるのが当然だと思い、それを無くそうとかにはそれほど興味はありません。

悟りが自分の本質を自分自身で理解するというのは悟りの定義そのものです。悟れば悩み苦しみがなくなるとされていますが、それは私にとっては受け売りでしかないので、子供に対しては、苦しみがなくなるそうだとしか言えないでしょう。
2010年06月07日 23:21
ワンギーサさん、こんばんは。

 難問ですね(笑)。ちなみに、私はそんなませた子供ではなかったです。中学生のころ「死んだらおしまい」と話してた同級生を思い出しました。


そこで想定問答です。もし私が子供(中学生くらい)なら、どう親に反応するか?です。


「悟りってなに?」

「すべての悩み苦しみがなくなるそうだよ」

「それなら死ねばいいじゃないか。死ねば無になるんだろ!」

「でもお前、もし死後の世界があったらどうする?」

「そりゃ天国や極楽にいきたいよ。そうすりゃ苦しまないだろうな」

「ところで、お前、2500年前のインドでお釈迦様が、「悟り」の智慧で、死んで終わりも間違え。永遠の天国も間違え。仮に天国にいっても、それは真の幸福ではない。と発見されたそうだよ」

「は?永遠の天国はない?天国じゃない真の幸福がある?」

「そうだ。それを仏教では悟り、解脱、涅槃とか呼んでるみたいだ」

「へえー、仏教っておもしろそうだな」

まあ、いい加減ですが、こんな感じに子供に仏教に関心を持たせる方向で話したいです。

あれ?いつのまにか、親になってました(^-^;)。

有難うございました。
慈悲と智慧
2010年06月08日 00:12
私は悟ったことがないのでスマナサーラ長老のおっしゃった【無色透明であること】です。
悟ってない人が悟りを考えると妄想に繋がる可能性が高いですから賢者に聞くことが一番安全で近道でしょう。
2010年06月08日 07:31
ワンギーサさん、おはようございます。

仏教に興味を持たせるには以前、スマナサーラ長老が話された「亀さん魚さん」の話しもいいかもと思いました。


「悟りって何?」

「亀になることだそうだ」

「亀?人間がかい?」

「いつも海で仲良しの亀と魚がいて、ある日亀が陸上に上がったそうだ」

「それで?」

「亀さん、陸上はどんなとこ?と魚が質問したそうだ」

「それで?」

「とてもいいところだよ。と答えたそうだ」

「それで?」

「亀さん、それじゃいい水が沢山あるんだね。と魚が亀に聞いたみたい」

「魚には理解できないんじゃない?」

「その通り。亀さんがいや水なんてないさ、と答えると魚はチンプンカンプンになったそうだ」

「でも僕なら亀のほうがいいね」

「まあ、そうだろうが、人間は悟った人から見れば、この魚みたいだそうだよ」

「じゃ、悟りって説明出来ないけど素晴らしい世界んだね」

「そうみたいだね」

以上ですが、魚と亀のやり取りに間違えがあるかもしれません(^-^;)。

あと、目の見えない中で一人だけ見えるのも比喩としてはいいのかな?と思いました。

有難うございました。



2010年06月08日 09:12
「悟り」をこどもに教える
とても難しいことですね
私なら・・・

難しい問題がおきたときに
みんなが幸せになる答えが、瞬時にあらわれること
困っている人を助けてあげられること


こんな感じで答えてみようかと
思いました
慈悲と智慧
2010年06月08日 10:12
筆箱を触った感覚を感じている時、そこにはドキドキ、ハラハラ、イライラ、ワクワク何にも無いよね。
その瞬間がずっと続いていることだよ。
逆上がりと一緒でたくさん練習すると悟れるんだ。

…こんな感じで説明するかんじでしょうか。でも繰り返しますが、私は悟ってないので、つまりゴールを体験していないので妄想になってしまっているおそれはあります。
358
2010年06月08日 10:51
◆すべての生命を慈しむ
 自分に意地悪な子に対しても幸せを祈れるかな?^^
◆すべての物事からの離欲
 ゲームやメールは楽しいけど何より大切なのは人の役に
立つことが一番って考えで行動してる人じゃないかな?^^
あっきん
2010年06月08日 15:56
  こんにちわ。
 あっきんが子供の頃。学校の先生が「心には善い心と悪い心があります。どちらが勝つかによって決まるんだ。」と言ってました。悪い心を無くすとhappyな悟りになります。それには八正道の道があります。
どんな人にも欠点があります。友達の悪口を言っても泥まみれになるだけです。自分が変わり完全な人になる。 苦労して生きても、報われず意味がないのは悲しいですから。。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
2010年06月08日 16:11
「欲も怒りも「どうしよ~」も無い状態なんやって。心をめちゃくちゃきれいにしたら、もう生まれへんねんて。」
生存欲などが判りやすくでている素直な長男は、「天国?」と言い、なかなかのあまのじゃくぶりの複雑くん的次男は「あ~。」
小さい子供でも、けっこう本音トークでも大丈夫みたいです。
って、大丈夫でなかったらゴメン息子2!!
みんなみんな幸せになれたらうれしいな~と思います。
チューラパンタカ
2010年06月08日 20:05
輪廻して、生まれましたよ、この私

 この人生で、終わりにしよう
2010年06月08日 21:20
「悟り云々」の話はともかく、この詩偈には本当に共感いたします。
「出家は難しく(好めない)
しかし在家も同じく難しい」
何をやるにしましても大変ですからね。。。。『存在している』っていうのがそもそも問題なんでしょうね。。。
こころざし
2015年09月27日 07:54
実生活が大変なので出家して・・と伺うような時があります。ですが出家生活は物凄く、色々な意味でキツイのではと想像致します。
また、ニュアンスが違いますが、仏道を在家で実践するのは難しいので、出家しないと無理ですと話す方に接した事があります。こちらは志がないだけでは、と感じました。
生きる事は苦と分かり、そしてそれを脱出出来るように解脱を目指したいです。
犀角独歩仏道修行者
2019年06月27日 09:17
スマナサーラ長老は弟子たちに「怒るな」と説きつつ、自らが最も怒りやすい性質(たち)である。
それだから長老は解脱していない。どうして解脱していない者が弟子をとり、彼らにいったい何を説こうというのか?自らが解脱していない者が、どうして解脱する方法を説けるというのか?

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