355. 財産は愚か者を殺す、涅槃を求める人を殺さない

ダンマパダ 第24 渇愛の章 355


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                 お 知 ら せ

 この2010年7月9日(金)(今日ではありません。)に、「第24 渇愛の章」の356番から359番の詩の掲載を持ちまして、この章を終了すると同時に、このブログ「困った時はダンマパダ」を終了いたします。その理由はブログ開設者であるワンギーサが今年の雨安居(うあんご)をスリランカの瞑想道場で行うことに致したためでございます。

 しかし、ダンマパダでお釈迦さまの言葉を毎日読むという習慣の功徳ははかりしれないものがあります。ですから、皆様がこのブログで、毎日一つか二つブッダの詩を読む習慣を壊さないように、「困った時はダンマパダ」の目次を作ることに致しました。今後もそれを活用して、仏道修行に精進されますようお願いいたします。その目次は7月10日に掲載いたします。

 思い起こせば、2008年6月21日にこのブログを開設でありました。始まりの詩は、173番のアングリマーラ長老にちなむものでありました。あれから約二年間、ダンマパダには423の詩がありますが、どの詩についても2回か3回解説のようなものを書きました。その目的は、ブッダの智慧の詩集である「ダンマパダ」を日本人に普及するためでありました。その目的の達成までにはまだまだ道のりですが、スリランカでの雨安居を契機に、この目的について再考し、あらたな出発を考えたいと思っております。

 長い間の皆様のご愛読を深く感謝申し上げます。また、新米のブログ作者としては自分が書いたものが、皆様にどう受け止められたのか気になりました。その際、コメントしてくださる方は大変ありがたいものでした。初めて、コメントして下さった方はワタナベさんです。次はホーシノハタラキ(ホーシノヒトリゴト)さんです。はじめは、 ホーシノハタラキさんのコメントに励まされて続けてきました。それから、3ヶ月ほどして新さんが登場です。途中でホーシノヒトリゴトさんは引退されましたが、その後も新さんは、一日も休まずコメントをしてくれました。新さんと真剣勝負のつもりでブログを書いて参りました。ホーシノヒトリゴトさんと新さんには表彰状を差し上げたい気持ちです。大変ありがとうございました。

 尚、7月15日までは、コメントを受付ますが、それ以後のコメントの受付は致しませんので御了承下さい。私宛てのメールも読むことができないと思いますので、11月下旬までメールもお休みいたします。

 最後に皆さんに一つお願いがあります。それは、今までに一度でもコメントして下さった方々は最後にもう一度だけ感想のコメントをお願い致します。また、一度もコメントされなかった方、是非最後に一度だけ一言で結構ですから、感想のコメントをお願いいたします。

皆様に三宝の御加護がありますように
皆様が幸せでありますように
皆様の修行が進み涅槃に達せられますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

仏暦2554年(西暦2010年)7月6日
ワンギーサ

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ダンマパダ 第24章 渇愛の章 355

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生訳

もろもろの財は愚者を害し
彼岸を求める者を害さず
愚者は財への渇愛により
他人のように自己を害する



○日常語訳

財産は愚か者を殺す
涅槃を求める人を殺さない
財産への渇愛によって愚か者は
他人のように自分を殺す


○子供のためのダンマパダ

お金が一番大切と思う子は
お金があれば勉強しない
何をしたらよいかわからない
お金がないと悲しくなって
病気になって死んでしまう

立派な人間になろうとする子は
お金があってもなくとも
よく勉強して
皆のために働いて
元気で明るく生きる





○ひと口メモ


 この詩を前々掲載したのは、2008年10月28日です。その頃、宝くじで2億円当たった女性が、知り合いの男に殺された事件が起きたことが書かれています。これは正しく財産が愚か者を殺した例です。ここで注意したいのは、殺された女性だけが財産によって殺されたのではないのです。殺した男も財産によって殺されたのです。この男は裁判で裁かれ、死刑になる場合もありますが、死刑にならなくとも、この男の将来は最悪の結果(例えば地獄)になることは間違いないのです。これが因果法則です。法則はやぶられません。

 もう一つ例をあげましょう。最近面白い動画を見ました。新潟大学大学院の安保徹教授の講演です。この方は「病気が逃げ出す生き方」などという本を書いている大変ユニークなお医者さんです。
彼は癌の原因はストレスだと断言的に言っています。そして、遺産争いでもめている人々が決まって癌になるということです。もしこれが本当であるとすると、遺産という財産がなくなった方の遺族を癌にして、殺すという現象があるということです。よく考えてみる必要のあることです。

 しかし、財産は「涅槃を求める人を殺さない」のです。この詩にそって考えると、財産が愚か者を殺すということは、愚か者の財産への渇愛が、愚か者を殺すのです。涅槃を求める人は、渇愛をなくそうとする人です。このような人はまだ渇愛が残っていても、渇愛に執着しませんから、その人を殺すことにはならないのです。「子供のためのダンマパダ」に書きましたように、「お金があってもなくとも」どうでもよいのです。ですから、財産に殺されるということはないのです。

 前々回、前回のブログ記事も参考のためにお読み下さい。



○前回までのこの詩な関するブログ記事

*財産は愚かな者を殺すなり無執着の人は殺せない
http://76263383.at.webry.info/200909/article_3.html

*財産は愚かな者を殺すなり無執着の人は殺せない
http://76263383.at.webry.info/200810/article_27.html
 

○パーリ語原文

355.
ハナンティ ボーガー ドゥンメーダン
Hananti    bhogā   dummedhaṃ,
殺す     財は   智慧のない者を
ノー チャ  パーラガヴェースィノー
no   ca    pāragavesino;
ない しかし 彼岸を求める者たちを
ボーガタンハーヤ ドゥンメードー
Bhogataṇhāya    dummedho,
財への渇望で   智慧のない者は
ハンティ アンニェーワ アッタナン
hanti    aññeva     attanaṃ.
殺す   他人のように 自分を


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)



この記事へのコメント

裕子
2010年07月08日 21:11
ブログで毎日勉強させていただいていました。終わってしまうのは残念ですが、また新たなステージに進んでいくのだと思います。
これからも修行がんばります。
ありがとうございました。
鉄人
2010年07月09日 00:25
ワンギーサ様 今晩は。

一昨年亡くなった小生の父親は、「金はないが借金もない。」というのが生前の口癖でした。そしてその言葉通り、自分の葬式代だけ残してあの世に旅立ちました。

小生の手元にあるのは、父親が愛用していた安物の腕時計ひとつ。「何時も言っていたことは本当だったんだ。」と苦笑いしたものです。

面白かったのは、二人兄妹の妹と、遺品の中で欲しがったものが同じものだったこと。それは一冊の古い歌本でした。

幼い頃、挿絵が沢山入っていたその歌本を、ふたりで何時も見ていたんですね。その本は妹に譲りました。

遺産なんてなかったけれど、残念だと思ったことは一度もなかった。お陰で当然財産争いも皆無。お金の変わりに楽しい思い出を遺産として残してくれました。

小生も財産に対しては、さほど執着はない。まあそれが奥方にとっては少々不満なようですが・・・。お金というものは物質に過ぎません。が、それを使う人間のこころを、如実に反映するという特徴があると思います。そう云う意味では、お金は侮れませんね。

本当に必要なものは手に入る。一日一話の中の言葉です。財産も、最低生きて行くのに必要なだけは手に入るはず。そう考えたら渇愛が生まれずに済みそうです。


さみ
2010年07月09日 01:13
このブログで、ワンギーサさんの解説と、新さんを
はじめとした皆さんのコメントから毎日勉強させて
頂いていました。
ありがとうございました。
おかげさまで、以前に比べたら余計な考えを少しずつ手放せる様になってきて、大分楽になったな~と実感しています(笑)。

スマナサーラ長老、ワンギーサさんには不思議な程
タイムリーなアドバイスを本や講演会から伺う事が出来、言葉では上手く表せませんが心より感謝しています。

志の高い皆さまとこの場でご縁を頂けた事、幸せに思います。

これからも目次から毎日
このブログで勉強させて頂きます。
目次、ありがとうございます。

スリランカ、お気をつけて行ってらして下さい。お帰り楽しみにお待ちしています。

ありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
2010年07月09日 05:38
ワンギーサさん、おはようございます。

 ダンマパダを習慣にさせるのは大変よい事だと思います。

 毎日コメントする際、原則次の詩は見ないことにしてました。ダンマパダの配列はとても不思議で、深淵な智慧の賜物のように感じたことが何度かあります。

 自分の心を透かされているようによく感じました。
だから、毎日コメントする上で一番注意したのは日々の生活です。

 例えば、普段怒りっぱなしで、「慈悲の気持ち云々」などと偉そうなことは、段々コメント出来なくなります。嘘をついて、道徳について能書きは書けなくなります。

 しかし、ここはブッダの世界。理解がまだまだ浅過ぎることは、毎日コメントしたことで痛いほど思い知れされました。

 今後も、いい習慣を手放さず、「客観的真理」の世界に少しでも近づけたらと思います。

 この二年間で「いい習慣はなかなか身につかない。精進の重大性」ということが、ウンザリするほど理解できました。例えば、財産への執着心などは、労せずして日々増大していきます。逆はあくまで努力して、その結果です。

 いい事を習慣にするためにも、ダンマパダを読んでいこうと決めています。

 有難うございました。
nekobouzu
2010年07月09日 05:48
パーリ語の勉強のために欠かさず拝読いたしました。
大変な恩恵を戴いたこの恩は決して忘れません。
有難うございました。
ポメラニアン
2010年07月09日 11:03
はじめまして。
ブログを毎日楽しみに観ておりました。
おかげ様で、サンガの良書などに巡り合え、目的をなくした人生に励みになるものがなんとなく見えてまいりました。今までありがとうございました。
あっきん
2010年07月09日 12:16
 こんにちは。
溺愛に執着すると苦痛になる。
対象物(お金)ではなく自分の心が原因。
前回より分かってきました。
一日の中でいろんな事を考えます。意識がそちらに向かったりします。そんな中で、お釈迦様の言葉に触れると自分を見つめる事ができます。もしくは、気が付いてない点を教えて頂いてるようです。悪の大軍に押流されないよう、地道に学んでいきたいです。またこのプログに参加されている皆様ありがとうございました。堅苦しくなく楽しく学ぶ事ができました。生きとし生けるものは幸せでありますように。
bon
2010年07月09日 14:15
精舎に初めてお邪魔した時に、いらっしゃったのが、ワンギーサ先生です。
その時に先生のブログの事も教えていただきました。

ダンマパダから、沢山の事を学ばせていただき、本当に感謝しております。
先生が、雨安居に入られる間もブログは残されているとの事ですので、続けて勉強していきたいと思います。
それと、先生が、続けることの大切さを教えてくださった瞑想も頑張って続けてまいります。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

ありがとうございました。
空樹砂波
2012年02月05日 13:53
はじめまして。http://www.j-theravada.net/12-kaiin.html#l2からこちらへ参りました。今、(もちろん私の至らぬせいで)困っていてタイトルに惹かれました。現在、寄る辺無い状態で貯金が底をついて どうしたらいいのだろう?と思っていました。この章を見て、驚きました。私は子供のころまさに「お金が一番大事」という価値観で育てられました。確かにお金は大事ですが、それ以上のものでもなく、しかしそれを実感として理解できずに来ました。地縁血縁の無い 今住む土地で、知人友人に助けられてきた感謝はしているつもりです。そうして救われ、就職したものの (労基法違反の)多忙さに体をこわしかけて退職した今後、私はどう生きていけばいいのか ヒントを頂いたように感じました。お金があってもなくても、今私がすること、できることを冷静に探していこうと思いました。拙い感想ですみません。ありがとうございます。
こころざし
2015年10月07日 07:35
お金がある一定溜まると、人が出来ていないほど自慢したり高慢になったりするように思います。そしてお金がない人を見下します。まるで身分制度の上位の人みたいに振る舞い、商売で利益がある人以外に嫌われます。
離欲を意識して生きていると、そんなに日常でお金を使わないように思います。そして心を成長させていれば、財産相続等でも阿修羅のように変身する可能性は低いと思います。
そのように生きて参りたいです。

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