花求め 不満の人を 死神は 思いのままに 支配するなり(48)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


プッパーニ  ヘーワ     パチナンタン
Pupphāni   heva       pacinantaṃ,
花を     実に ように   摘んでいる

ビャーサッタマナサン   ナラン
byāsattamanasaṃ     naraṃ;
執着の意のある      人を

アティッタンニェーワ       カーメース
Atittaññeva           kāmesu,
満足しない人を 決して    欲において

アンタコー  クルテー  ワサン
antako     kurute     vasaṃ.
死神は    する     自在に


○直訳
実に花を摘んでいる(人)のように
執着の意のある人を
欲において決して満足しない人を
死神は自在にする。


○一口メモ
今回の詩は、昨日の47番の詩の後半の「眠った村を大洪水のように死神は取って行く」が、「欲において決して満足しない人を死神は自在にする」に変わっているだけです。

47番では、死神は人間を死で襲ってくると述べていましたが、48番では、死神は生きている間も人間を欲望の奴隷にして、自由に支配していることを述べているのです。

つまり、死神は人間を生きている時も死ぬときも支配しているということになります。
しかし、「欲において決して満足しない人」を支配するのであって、欲において満足する人は支配しないということでもあります。ですから、求めるものを必要なものに抑えられる人、少欲の人は支配できないということです。

死神の支配から逃れるには、少欲であればいいのであって、簡単なこととは言えませんが、できない課題ではないように思います。

また、いらない物を整理し、捨てるという行為は、始めは難しくとも、捨てるたびに、捨てる喜びを感じられるものです。このことはこのブログのコメントで何人かの方が書いておられます。

また、捨てるものは物質的の物ばかりでなく、精神的なもの、無意味なこだわりや、恨み、後悔などを心から捨てると、心は楽になるでしょうし、きれいになると思います。

最後に一言、死神という言葉が受け入れられない方は、死神とは煩悩のこと、欲や怒りや後悔、無知などの心の汚れと考えて下さい。

「花求め 不満の人を 死神は 思いのままに 支配するなり」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_31.html
http://76263383.at.webry.info/200912/article_4.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

2012年04月24日 08:52
動きたい、ジッとしていたい、どちらも欲に感じました。どちらも満足に至らないと思いました。動きたいのを辛抱したり。ジッとしていたいのを、その自分の心捨てたり、した時に、過去の自分に打ち勝って、満足するように思いました。

過去の自分に現れた感情に執着しない。渇愛から執着にならないようになることが、これが私の課題です。

花を摘みたい気持ちと、それが出来る喜び、しかし何時までたっても満足感は得られないと思います
あすか
2012年04月24日 11:14
物はだいぶ整理できてきました。
ためにならぬ人達との交流を絶つのも
つらかったですが必要なことですね。

今はネット上での不要な登録などを
整理しているところです。
必要な情報はありがたいですが
欲を煽るだけのサイトやメルマガは
全て退会、解除しています。

「○○ですが、本当に…」などと
言われると気持ちが揺らぎますが
刺激があると欲しくなる身なので
まず環境を整えねばなりません。

身を切る思いとはよく言ったもので
「捨てる」には実際に傷をおうくらい
痛みとエネルギーを要しますね。

それでも、エイヤッと行なってしまうと
あとはすっきり爽やか。ときに
寂しさや空虚感が残ることがあります。
そのぽっかり開いた穴に
別の欲が入っては元の木阿弥。
慈悲の瞑想をして善い心でいっぱい
にしておけばいいのでしょうか。

今日もおだやかに楽しみながら
精進に励みます。
カエルくん
2012年04月24日 12:51
先生、皆様、こんにちは。
人への執着を手放すのが苦手です。
もっと淡いつきあいかたを覚えたいです。
具体的にどうしたらいいか、考えました。
人と接していて心に感情の波が起こったら、丁寧に観察をする。相手の事情に深入りしない。こちらからは余計なことは言わない。
以上のようなことを思いつきました。
実践してみます。

あとはやはり、慈悲の瞑想をすることだと思いました。
2012年04月24日 17:44
今日ね、友達がこういったの、そして僕がこういったの、そしたら先生はこういったの、そして僕はこう思ったの。

って言うのは全部憶えてるでしょう。

それが会話だと思います。

一方的な言葉は全然覚えられないけど、

会話は憶えてる。

だからコメント欄は勉強になる。

新さんとの会話なんかでも、一年前の事でも、印象に残った事は憶えてる。だからコメント欄、楽しいです。

勉強になるから楽しいです。
青砂木
2014年03月07日 08:28
おはようございます。
確かにこの偈のように、執着が働いている心を持っている人には死神が現れるのでしょう。生を惜しむ人には死が現れるでしょうし、欲しいと思う人には「有る」が現れるでしょう。「有る」が現れるから「失う・無い」が現れるのでしょう。
思いの正体は、執着が働いている心だと思いました。だから、死神の正体は、執着です、と思いました。

生きとし生けるものは幸せでありますように
こころざし
2015年10月24日 07:49
本文の「死神の支配から逃れるには、少欲であればいい・・」を拝見し、見栄やプライドを満たそうと走らない生き方を思いました。
現在10数年目の軽自動車を愛用していますが「見栄えもあるのでもっとそれなりのを買ったら」と言われる時があります。ですがそれをしてしまうと、悪魔の方向に近づく印象も感じます。
本当に必要であれば買うような生き方をして参りたいです。