速い馬 のろまの馬を 抜いて行く 不放逸の人と 放逸の人のようだ(29)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アッパマットー  パマッテース
Appamatto    pamattesu,
不放逸の人が  放逸の人の中で

スッテース     バフジャーガロー
suttesu       bahujāgaro;
眠れる人の中で   多く目覚めた人が

アバラッサンワ     スィーガッソー
Abalassaṃva      sīghasso,
弱い馬を ように   速い馬が

ヒトゥワー  ヤーティ  スメーダソー
hitvā      yāti    sumedhaso.
捨てて    行く   賢い人は


不放逸の人が 放逸の人の中で 
多くの目覚めた人が 眠れる人の中で
速い馬が弱い馬を捨てて行くように
賢い人は(放逸の人を)捨てて(涅槃に)行く。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_15.html
http://76263383.at.webry.info/200911/article_18.html


○一口メモ
生命はただ生きているだけです。苦しみの輪廻を繰り返しているだけなのです。生命の親は子を産み、育て、死にます。その子も成長し、親になり、子を産み、育て、死にます。同じことを繰り返しているのです。この過程は決して楽なものではありません。苦しみと言ってよいのです。

しかし、ブッダは、輪廻の苦しみから解脱しました。そして、その方法を人類に教えたのです。そのため、生きる目的を持たなかった生命は、生きる目的を持ったのです。それは、苦しみから解脱して、涅槃に至ることです。

目的を持ったからには、ぼやぼやしていてはいけません。
目的に向かって、速く進むべきなのです。
速く進めるかどうかは、放逸か不放逸かで決まるのです。
放逸の人は遅く、不放逸の人は速いのです。
それはまるで、眠っている人と目覚めている人の違いのようなのです。
また、遅い馬と速い馬の違いのようなのです。

速い馬 のろまの馬を 抜いて行く 不放逸の人と 放逸の人のようだ


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。

この記事へのコメント

慈悲と知慧
2012年04月05日 09:36
ワンギーサ師のコメントにあるように、賢者から見れば私達は、本当にぼやぼやしていてのんきなんだと思います。

スマナサーラ長老が厳しいという方もいますが、それは、賢者から見れば私達が猶予のない危険な状態(気づいていない、怠けている)にあるからであり、今、目の前で車に引かれそうな人に優しく穏やかに声をかける人はいないように、危なっかしくてしかたないのではと思います。

このブログが始まった時も毎日あるとありがたいとか、あんさんのブログの際もそうですが、はっきり言って私達はあまりにものんきで危機感がないのだと思います。

もっと怠けに危機感を持つべきだと思います。

もっと慈悲の瞑想できる時間はあるはずです、無駄なことをしている時間があるはずです。


ぼやぼやしている場合ではないと思います。
2012年04月05日 14:15
この偈はまさに言い得て妙。

この震災、原発爆発、TPP、政府による放射性物質拡散計画と情報操作されて、黙っているとどんどん市井の人々はやられるだけ。

眼ある人々は
仏教の方法論を学んで欲界から脱出するしかないと思います。
特に何らかの形で被曝している多くの日本人には残された時間がないでしょうと感じますね。
カエルくん
2012年04月05日 18:49
ワンギーサ先生、皆様、こんばんは。
スマナサーラ長老が厳しい、という話を私もしてしまったことがあります。
月例講演会の帰りに、その日知り合った(そしてその後お会いしたことのない)方に。
厳しいけど本当のことだから仕方ない、と話したつもりですが、真意が伝わったかどうか分からないし、軽はずみだったな…とその後反省しました。

長老や先生から見たら、私などは何をのんびりしているのか、という感じでしょう。
それでも…。来週、職場で飲み会があります。乾杯の一口をきっぱり断れるのか…。自信がありません。
私が飲める体質なのはみんな知っています。ノンアルコールビールで許してもらおうか…。いまから思案中です。
あすか
2012年04月05日 20:00
たまたま人間に生まれ、
こうしてお釈迦様の言葉に出会え
学ぼう、実践しよう
という機会に恵まれたことに
感謝します。

ついつい怠けも顔を出しますが
気がついたら戻すを繰り返し、
短い人生の間に
少しでも先に進めればと
精一杯のことをするつもりです。
慈悲と知慧
2012年04月05日 20:30
長老がお釈迦様は自分は医者(こころの)であると仰られていたということをお話になったことがあります。
【医者にお酒を止められている】と堂々とお話になると良いのでは?

万が一、口にしてしまったらそれ以上口にしないことです。
反省はしても、後悔していたらお話になりません。


因みに、以前に音読を進めた方から、最近効果を実感しているとお返事を頂きました。
カエルくん
2012年04月05日 22:19
慈悲と知慧様
さっそくアドバイスありがとうございます。
なぜ悩むのか、自分でも考えてみました。そうしてら、「職場で立場を悪くしたくない」「職を失いたくない」という、不安(怒り?)と欲の入り交じった気持ちに気づきました。
医者にお酒をとめられてる、っていい断りのフレーズですね。近くに座る予定の同僚に前もって話しておこうと思います。
ありがとうございます。
あすか
2012年04月06日 09:30
お酒をすすめられて
困ることがあります。
「ドクターストップ~」
なら、場もしらけずに
のりきれそうですね。
ありがとうございます。
こころざし
2015年10月18日 07:50
私事ですが、現在40歳前半の年齢になっています。今まで生き続けるために必死になる事になっても、本当の意味で心の成長が出来るような修行はまだ始めたばかりのような状況です。
何となくの状態でさっと1年10年・・と時間が経過してしまう怖さを感じます。精進したいと心より思います。