悪いこと 為にならぬこと 為し易い 為になること 実に為し難い(163)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします


○子供のためのダンマパダ

おいしいものの食べすぎや
勉強を怠けることはすぐできる
早く寝て、早く起きることや
宿題をすぐやることはなかなかできない
なぜかな?


○パーリ語原文と訳語

スカラーニ  アサードゥーニ
Sukarāni   asādhūni,
為し易い   悪いことは

アッタノー   アヒターニ  チャ
attano      ahitāni    ca;
自分にとって  益なきこと  また

ヤン    ウェー  ヒタンチャ  サードゥンチャ
Yaṃ     ve    hitañca    sādhuñca,
所のこと  実に   益あること  善いこと

タン   ウェー  パラマドゥッカラン
taṃ    ve    paramadukkaraṃ.
それは  実に   最高に為しがたい


○直訳
悪いことは為し易い
また自分にとって益なきことも(為し易い)
実に益あること、善いこと
実にそれは最高に為しがたい


○一口メモ
「悪いことは為し易い」
十悪行は以下の通りです。 1.生き物を殺すこと。2.与えられてないものを取ること。3.邪まな性的な行為をすること。4.嘘をつくこと。5.二人の 仲を悪くするような言葉を言うこと。6、暴言を吐くこと。7.無駄話をすること。8.欲張ること。9.怒ること。10.邪見を持つこと(因果法則を否定する 考え方など)。
これらは為し易い。

「自分にとって益なきことも為し易い」
暴飲暴食。不規則で不健康な生活。賭け事。時間の無駄使い。怠け。これらも為し易い。

「善いことは為しがたい」
 十善行は以下の通りです。1.生き物を殺さないこと。2.与えられてないものを取らないこと。3.邪まな性的行為をしないこと。4.嘘をつかないこと。 5.二人の仲を悪くする言葉を言わないこと。6.暴言を吐かないこと。7.無駄話をしないこと。8.欲張らないこと。9.怒らないこと。10.邪見を持たないこと。

「自分にとって益があることは為しがたい」
適量な食事。規則正しい健康的な生活。他人に親切にすること。仏教の勉強すること。
慈悲の瞑想をすること。ヴィパッサナー瞑想をすること。
これらは為しがたい。

これらの理由については、過去のブログ記事をお読みください。

多くの人々にとってはこの通りです。しかし、最高に為しがたい益のある善いことを実践する人々もいます。これらの人々は、自己に打ち勝って、貪(欲)瞋(怒り)痴(愚かさ)を克服する努力をしている人々です。

これらの人々について103番の詩で述べています。
「戦場で 百万人に 勝つよりも 一人の己に 打ち勝ちがたい」
http://76263383.at.webry.info/201206/article_17.html


今日は、雨安吾に入って10日目になります。雨安吾に入ってからは毎日、朝5時から夜9時まで、ゴータミー精舎を解放して、いつでも精舎で瞑想できるようにしましたから、毎日、朝から夜まで、入れ替わり立ち代わり何人かの人々が瞑想をしに来ます。
彼らは「最上の勝利者である」とブッダは歌っています。彼らの力は少しずつ大きな力になると思います。また、このブログのコメントによれば、彼らに合わせて何人かの方が各自精進されているようですから、この詩を読んで悲観的にならなくてよいのです。困難を克服する人々はいるのです。ある方が言っていました。「簡単なことはやりたくない。困難だからやるのです。」と。


「悪いこと 為にならぬこと 為し易い 為になること 実に為し難い」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_26.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_5.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年08月12日 08:48
難しいからこそやりがいもあります。
スマナサーラ長老も時々仰るように
良い意味でゲームのように
明るく楽しく挑戦したいです。

失敗は反省、改善して再チャレンジ。
悩む時間がもったいないです。
ゲームオーバー、すなわち死、迄の
限られた時間、有意義に過ごします。

雨安居、直接会わずとも善友の皆様と
共に歩むのは良いものです。
世界の大勢の善友の方々が、
と考えると大変幸せな気持ちです。

皆様が、生きとし生けるものが
今日もしあわせでありますように。
カエルくん
2012年08月12日 10:40
こんにちは。

ウポーサタの精進、訳も分からないまま、聞きかじった方法をもとに始めました。これでいいのか混乱中ですが、さささんやあすかさんのコメントに勇気づけられます。コメントを続けてきて良かったな、と思います。
自分1人だったら、到底チャレンジできなかったろうと思います。ありがとうございます。

ちょっとずつ、ちょっとずつですが、善い方向に心が向かうように精進しています。
あすかさん、本当ですね。直接会わずとも、共に歩む仲間がいると思うことで、ずいぶんと力付けられています。
2012年08月12日 12:04
こんにちは。
皆さんがご精進なさっておられるご様子を伺っていますと本当に偉いなあと思いました。
そこで思い出しました事は八斉戒の中の「化粧、着飾ることから離れるという戒を受け取る(守る)」ですが、例えばミャンマーの上座仏教僧主催の一日瞑想会の時に、やはり八戒を唱えて瞑想をするわけなんですが、そんな時に中にはギンギンにお化粧をしている女性の方が不化粧戒をいきなり唱えるわけです(正確には唱えさせられる(笑)。

で僕はかって不思議に思ったので(笑)、ミャンマーの長老に質問したことがあります。戒を破った事になりませんか?と。
長老曰く
〃例えば朝家を出る前にお化粧をしてお寺に来るとする。
八戒を守るというのは、本来阿羅漢、悟った人が守っている戒の一部を在家の方が自分もトライしてみようと僧侶から戒を授かって自分が受け取って今日一日守ってみようとするもの。
なのでお寺に来て、不化粧戒を僧侶から授かった後からは、お化粧をしなければ良いということ。

つまりお寺での瞑想中は雑事から一切離れ修行するということ。(その間は当然化粧しない。)

で瞑想会が終わり、お寺を出る時に僧侶から八戒から五戒を守ることに戻してもらい、五戒を授かって自宅に戻るならば、それ以後お化粧をしても構わないという事。〃

なるほどなぁと思いました。(^_^;)
ですので僧侶から授からず、自主的にやる場合はあまり時間、規則にこだわらず出来る範囲でされても良いのではないかと僕個人は思いました。
2012年08月12日 13:19
お釈迦様がウポーサタについてどう八戒を守ったら良いか?は、在家女性の仏教確信者に具体的に説いたものが増支部経典にありますが(いずれ自分のブログに書きたいと思いますが(^_^;)
ここでは斉戒についてお釈迦様が、ガンジス河(経典ではバーフカー河)で沐浴することで、自らが清浄になり、功徳になり、積んできた悪業が洗い流せると信じているバラモン人に説いた、実に感動的なお経をご紹介致したいと思います。

中部経典第七 布経()カッコ内は注釈書からの訳(片山一良訳)

バーフカー河(etc中略)にいつも愚者は飛び込めど 黒い業は浄まらず 

バーフカー河が何をするのか
恨みをいだき罪なす人を
悪事にふける者を浄めず

浄き者にはつねに春あり
(清浄な戒などを備えていれば、日々好日であるの意。)

浄き者にはつねに布薩(ウポーサタ)あり
(清まっている者には、十四、十五日の布薩戒を受けなくても、つねに布薩戒があるの意。)

浄業をそなえた浄き者にはつねに務めが成就する

ここでのみ洗え、バラモンよ
(もし、内心の煩悩垢を除きたいと思うならば、わが教えにおいてのみ、八支道という水によって洗え。この他に術はないの意。)

生き物すべてに安穏を作れ

もしも嘘をつかないならば

もしも殺生をしないならば

もしも盗みをしないならば

信をそなえ吝嗇がなければ

ガヤー(丸い池の形をしたガンジス河の一つの渡し場)に行って何になろうか

そなたにガヤーが井戸であっても

…でこの説法を聞いたバラモンは感動して三帰依し、出家を願い、修行に励み、ついに阿羅漢の一人になったそうです。

2012年08月12日 13:38
たびたび長文投稿しまして大変すみませんが
この中部経典の布経につきまして「布薩日 在家布薩のすすめ」ダンマーサナ発行P5~の著者、酒主浄忍さんは、

「…浄き者には常に春斎あり、浄き者には常に布薩あり…」

つまり、ある人がある一日に八戒を守ろうとすれば、その日が布薩日になり、心を清めることになる
と解説されています。
今回自分が布薩について調べてみまして自分が大変勉強になりました。皆さんのおかげです。ありがとうございましたm(_ _)m
ささ
2012年08月12日 21:12
こんばんは。

朝、先生のブログを読み、帰りに皆さんのコメントを読んで、とても幸せな気持ちになりました。

ワンギーサ先生、あすかさん、カエルくん、蒼氓さん。
励みになり、そしていつも学ばせて頂いています。
ありがとうございます。<(_ _)>

今日の詩と皆さんのコメントを読み、まだまだできることがあるな、がんばらなきゃなと思いました。

お釈迦さまの教えのもと、皆さま、そして多くの善友の皆さまとのつながり。有り難いです。

今日もこれから瞑想の時間にうつりたいと思います。
ありがとうございました。

こころざし
2015年11月30日 06:21
私事ですが、協会のイベントやダンマサークル・冥想合宿等に参加させて頂いてそこで実践するのは分かり易い形になるように感じます。
ですが、日常で仏道を実践していますと言える状態になるにはかなり修行が必要になるような印象を感じます。例えば家族に対して自分も相手も周囲も嬉しい慈しみの実践が出来ているか?と言えば、冷や汗が出る状態です。
日常での仏道の実践、真摯に取り組んで、そして出来る度合いを増やして参りたいです。