飾られた 車のような 世の中に 悟った人は 執着しない(171)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

君たちはどんなものが好きですか?
男の子は仮面ライダー
女の子はリカちゃん人形かな
大人になるとどちらもいらないよ


○パーリ語原文と訳語

エータ  パッサティマン  ローカン
Etha   passathimaṃ    lokaṃ,
来て   見よ       世界を
   
チッタン  ラージャラトゥーパマン
cittaṃ    rājarathūpamaṃ;
飾られた  王車のようなものを

ヤッタ   バーラー   ウィスィーダンティ
Yattha    bālā     visīdanti,
そこに   愚か者は   溺れる
   
ナッティ  サンゴー  ウィジャーナタン
natthi    saṅgo    vijānataṃ.
ない    執着は   知る者には


○直訳
来て、世界を見よ
飾られた王車のようなものを
そこに愚か者は溺れる
知る者には執着はない


○一口メモ
以前書いた「子供のためのダンマパダ」とは変えてみました。
「子供のためのダンマパダ」と書いて見ると余計な説明はいらないように思いますが、何も書かないのは少し寂しいですね。

大人と言ってもそれほど智慧が発達しているのではないのですが、それでも子供より少し、智慧が生まれているのでしょうか。さすがに、大人は仮面ライダーやリカちゃん人形に心が奪われることはないようです。しかし、大人になってもミニ・コレクションに夢中の方もおられますから、どうなっているのでしょうか?

「来て、世界を見よ」という時の世界は、世界の人々の意味でしょうね。
「知る者」とは、世界と自己を知った人の意味で悟った人の意味でしょう。

歩く瞑想で一歩、一歩を観察しているとどの一歩も異なる一歩で、一歩が生まれ消えて行くことに気づくことがあります。その時、ほのかな喜びを感じます。

座る瞑想でも同じです。どのお腹の膨らみ、縮みも違うのです。ぎくしゃくした膨らみ、縮みも嫌わないでください。それぞれの個性だし、その膨らみ縮みも消えてしまうのです。どの膨らみ縮みも愛しんで下さい。あなたの心に慈しみと智慧が現れているでしょう。


「飾られた 車のような 世の中に 悟った人は 執着しない」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200905/article_3.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_12.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年08月20日 06:27
おはようございます。

瞑想中、お腹の膨らみ縮みを愛しむ、という発想がありませんでした。できれば自然体で上手に呼吸をしたい、と思っている自分に気付きました。それが既に不自然ですよね。

物への執着はだいぶ減りましたが、人への執着はどうしても強いです。普通につきあいつつ、執着を手放すのは難しいですね。やはりつきあいを少しずつ減らす必要があるのかな、と思います。

2012年08月20日 07:51
おはようございます。この偈の如く執着しないようにと思いました。
>さささん
如是語経は昔、講談社から出た原始仏典シリーズか、協会機関紙パティパダー連載かなどで読めますが、折をみまして概略等簡単に転載致したいと思います。



noritarou
2012年08月20日 10:15
私は、以前にワンギーサ先生が書かれた、
>ミニカーを集めるのはいいけれど
>取り合ってけんかしないように
>集めることより大切なことは
>皆で仲良く遊ぶこと
という解説も、とても好きです。

今、目を開けて世界をみると、飾られた王車のようなものしか見えません。肉体も皮膚で覆われていて、あるがままには見られません。
王車は、タイヤや躯体などの部品で出来ているように、人間も五蘊から出来ていて、形成されたものに過ぎないと言われます。

>「この世は舞台のように飾っているものだと知るならば苦しみがない」
この世(全て)は舞台(生滅変化する)ものの意味にも思えました。
この意味が理解できたならば、目が開く(明く)ことでしょう。
高橋優太
2012年08月20日 12:59
ワンギーサ先生、皆様、こんにちは。
人生であらゆるもの(知識、技術、幸福、お金、家族など)を集めようと努力しますが、本当は執着の苦しみを理解し、捨てていくことが正解だと思いました。悟らない限りみんな溺れているんですね。生きとし生けるものに悟りの光が現れますように。

ところで、前に大学のプリンタでこのサイトをコピーして勉強すると書き込みましたが、学術・研究・就職活動以外コピー禁止でした。このサイトも学術に入るといえば入りますが、自分の学科・ゼミの内容とは違うので、コピーは与えられていないものを取ることになるので、やめます。一部コピーしてしまいましたが、これからまたしっかり五戒を守ります。一切の過ちを懺悔いたします。
あすか
2012年08月20日 21:06
物への執着は減りつつありますが
考え方、価値観への執着はまだまだ。
邪見だよね、と理解したつもりでも
なかなか感情がついてきません。
精進、精進。^^;
ささ
2012年08月20日 22:05
瞑想についてのお話。ぎくしゃくした膨らみ縮みという表現。ありますあります。また、思ってもみない観点に気づかされました。と同時に、先生の慈しみも感じました。
ありがとうございます。

いらない執着はだいぶ減ったと思うものの、未だ残っているとらわれていることこそ、大きな課題なのかもしれませんね。無理のない範囲でまた少しずつ減らしていけたらと思います。
>蒼氓さん。ありがとうございました。探して確認してみます。