聖賢と 共に生きれば 幸せだ 愚かな者に 会わないことも(206)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。
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9月23日(日)ゴータミー精舎 バザーのご案内
来る9月23日(日)、東京・幡ヶ谷のゴータミー精舎にて、有志の方が東日本復興応援バザーを開催します。詳細はこちらをご覧下さい。http://www.geocities.jp/msrwp662/
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○子供のためのダンマパダ
聖者にあうのは楽しいよ
いっしょに生活できればなお楽しい
わがままな人と
いっしょでないのなら苦労はない
○パーリ語原文と訳語
サーフ ダッサナマリヤーナン
Sāhu dassanamariyānaṃ,
よい 聖者に会うことは
サンニワーソー サダー スコー
sannivāso sadā sukho;
共に住むことは 常に 幸せ
アダッサネーナ バーラーナン
Adassanena bālānaṃ,
会わないことで 愚者に
ニッチャメーワ スキー スィヤー
niccameva sukhī siyā.
常に 実に 幸せな者で あるだろう
○直訳
聖者に会うことはよい
共に住むことは常に幸せ
愚者に会わないことで
常に実に幸せな者であるだろう
○一口メモ
余計な説明はいらないような気がします。ブッダの言葉を繰り返しお読みください。
とは言っても、何かを言うならば、聖者は最高の善友です。善友に会えれば幸せだし、一緒に生活できれば最高に幸せです。
聖者とはどんな人かの説明は必要ですね。ここでは聖者とは、悟った人々と悟る一歩手前の人のことです。ブッダは四段階の悟りがあると教えています。一段階は預流果、二段階は一来果、三段階は不還果、四段階(最終段階)は阿羅漢果です。それぞれにその一歩手前の人(悟る準備のできた人)がいますから、八種類の聖者がいるのです。
悟ったからには、一度は無明が破れ、涅槃を体験しているのですが、煩悩は心にこびりついていて、一編には心から無くすことはできないのです。最初の悟り、預流果では有身見(永遠不滅の真我があるという誤解)、疑(仏教の真理にたいする疑い)、戒禁取(かいごんしゅ:無意味な苦行や宗教儀式や儀礼)の三つの煩悩がなくなります。阿羅漢果ではすべての煩悩がなくなります。という訳で、最初の悟りを体験しても、いわゆる悟後の修行が必要なのです。
聖者に会うことに反して、愚かな人々に会い、一緒に生活しなければならなければ、どんなに大変でしょう。ですから愚かな人々に会わないだけでも幸せになります。
聖賢と 共に生きれば 幸せだ 愚かな者に 会わないことも(206)
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_17.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_2.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_8.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
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記事内容の改善の参考にしたいと思っています。
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○子供のためのダンマパダ
聖者にあうのは楽しいよ
いっしょに生活できればなお楽しい
わがままな人と
いっしょでないのなら苦労はない
○パーリ語原文と訳語
サーフ ダッサナマリヤーナン
Sāhu dassanamariyānaṃ,
よい 聖者に会うことは
サンニワーソー サダー スコー
sannivāso sadā sukho;
共に住むことは 常に 幸せ
アダッサネーナ バーラーナン
Adassanena bālānaṃ,
会わないことで 愚者に
ニッチャメーワ スキー スィヤー
niccameva sukhī siyā.
常に 実に 幸せな者で あるだろう
○直訳
聖者に会うことはよい
共に住むことは常に幸せ
愚者に会わないことで
常に実に幸せな者であるだろう
○一口メモ
余計な説明はいらないような気がします。ブッダの言葉を繰り返しお読みください。
とは言っても、何かを言うならば、聖者は最高の善友です。善友に会えれば幸せだし、一緒に生活できれば最高に幸せです。
聖者とはどんな人かの説明は必要ですね。ここでは聖者とは、悟った人々と悟る一歩手前の人のことです。ブッダは四段階の悟りがあると教えています。一段階は預流果、二段階は一来果、三段階は不還果、四段階(最終段階)は阿羅漢果です。それぞれにその一歩手前の人(悟る準備のできた人)がいますから、八種類の聖者がいるのです。
悟ったからには、一度は無明が破れ、涅槃を体験しているのですが、煩悩は心にこびりついていて、一編には心から無くすことはできないのです。最初の悟り、預流果では有身見(永遠不滅の真我があるという誤解)、疑(仏教の真理にたいする疑い)、戒禁取(かいごんしゅ:無意味な苦行や宗教儀式や儀礼)の三つの煩悩がなくなります。阿羅漢果ではすべての煩悩がなくなります。という訳で、最初の悟りを体験しても、いわゆる悟後の修行が必要なのです。
聖者に会うことに反して、愚かな人々に会い、一緒に生活しなければならなければ、どんなに大変でしょう。ですから愚かな人々に会わないだけでも幸せになります。
聖賢と 共に生きれば 幸せだ 愚かな者に 会わないことも(206)
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_17.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_2.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_8.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
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この記事へのコメント
皆さんコメントありがとうございます。
しかしそうは言っても、相変わらず自分にとって嫌な場面もしばしばやって来て、そんな時思わず怒りが出て来てしまいますし、
自分にとってお気に入りの場面が巡って来た時は思わず、「もっと引き寄せよう」と欲が出てきてしまいます。
しかしすぐにそこに気づいて、貪りや怒りの状態に自分の心がならないようにするのは、たいへん根気のいる作業だと思います。
すぐにくじけそうになり、その自分を覆う貪瞋痴に一体化してしまい、負けてしまいそうになります。
しかし皆さんの励ましの声に元気づけられ、今日も仕事場で自分の心が汚れないよう、佛法僧のご加護のもとサティを入れてみたいと思います。ありがとうございました。
ネットで見られるようになるのは、素晴らしいことではありますが、生にはかないません。
実際に飛行機を使って、九州から来られる方や、新幹線で来られるかたもいらっしゃるのです。
その方々が損をしているかというと、そうでもないのです。
それだけ、時間とお金を使えば、真剣に聞くのです。
怠けとは、そういうものだと思います。
忙しい人ほど、せめて一年に一回は、生で法話を聞くことをオススメします。
そういう意味では、来月の銀座はオススメです。
………
蒼氓さんの善行為に随喜致します。
聖者に会えなくても、私たちには法がありますね^^
>仏法がある限り、我々には最高たる賢者がいるのです。
自己に従え、法に従え、と言われます。
この場合の自己とは、「本当の」自己のことでしょう。また、人を相手とせず、天を相手とせよ、と言われます。
>月が星の道に従うように
月の軌道は、他の天体全ての引力関係から導き出されると言われます。
私の身体は、私以外のすべてから成り立っていると言われます。
ゆえに、私たちは、法に沿って生きることで幸福になれるということでしょう。
>愚者に会わないこと
私は、自分の中で「貪瞋痴に煩わされる自分に出会わないこと」と理解しました。
みなさまと共に学べることに感謝致します。
○○しようと戒めましょう。
とサッレーカスッタを唱えたりしますが
人は弱いもの。周りの影響は大きいです。
選択できるかぎり、善い人とのみ交流し、
やむを得ずそうでない人と接触する場合も
こちらの心まで汚れないよう気をつけます。
朱に交われば赤くなる、で、染まりやすい私です。
この染まりやすさをなんとかしたい、と思っています。心の乱れた人のそばにいて尚、穏やかさをキープできる自分でありますように。
道徳を守らない様な方とのご縁を大事にしても、自身が堕落する流れにしかならないと思います。
聖者に学び、そして自身の生き方がそれに伴うように努め、そして接する人皆様に慈しみの気持ちを持って生きて参りたいです。
https://noritsu.seesaa.net/article/201209article_20.html