正覚者 どこでも生まれる わけはない 彼が生まれた 世界は幸福(193)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。
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○子供のためのダンマパダ
人間の幸せを教えてくれるお釈迦さまは
どこにでも生まれるわけじゃないよ
お釈迦さまの教えを知って
学べる人々は幸せになれますよ
○パーリ語原文と訳語
ドゥッラボー プリサージャンニョー
Dullabho purisājañño,
得がたい 高貴な人は
ナ ソー サッバッタ ジャーヤティ
na so sabbattha jāyati;
ない 彼は どこでも 生まれ
ヤッタ ソー ジャーヤティ ディーロー
Yattha so jāyati dhīro,
場所は 彼 生まれる 賢者が
タン クラン スカメーダティ
taṃ kulaṃ sukhamedhati.
その 家は 安楽に栄える
○直訳
高貴な人は得がたい
彼はどこでも生まれない
彼賢者が生まれる場所は
その家は安楽に栄える
○一口メモ
この詩の因縁物語は次の通りです。ブッダのお世話をしていたアーナンダ長老がある時「ブッダのような高貴な方はどのような所に生まれるのであろうか?」と考えましたが、答えが見つからず、ブッダにたずねました。ブッダは「アーナンダよ、聖者を見つけることは困難なことです。聖者はどこにでも生まれるわけではありません。そのような聖者が生まれた家は安楽に栄えるのです。」と答えられ、この詩を語りました。
ここでは、一行目のpurisājaññoを「高貴な人」と訳しましたが、「駿馬のような人」と言う和訳もあります。どちらの訳も可能なのです。しかし、いずれにしても、因縁物語から分かるように、その言葉はブッダを意味しているのです。
四行目の「その家は安楽に栄える」は、実際のブッダが生まれた王家を指すと言うよりは、広大な宇宙的時間と空間の中では、ブッダが生まれてその影響力がある時代と地域ととらえてもいいのではないかと考えています。なぜならブッダの教えに従って生き、修行している人々は安楽に栄えていると言えるからです。
正覚者 どこでも生まれる わけはない 彼が生まれた 世界は幸福(193)
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_7.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_20.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_29.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
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○子供のためのダンマパダ
人間の幸せを教えてくれるお釈迦さまは
どこにでも生まれるわけじゃないよ
お釈迦さまの教えを知って
学べる人々は幸せになれますよ
○パーリ語原文と訳語
ドゥッラボー プリサージャンニョー
Dullabho purisājañño,
得がたい 高貴な人は
ナ ソー サッバッタ ジャーヤティ
na so sabbattha jāyati;
ない 彼は どこでも 生まれ
ヤッタ ソー ジャーヤティ ディーロー
Yattha so jāyati dhīro,
場所は 彼 生まれる 賢者が
タン クラン スカメーダティ
taṃ kulaṃ sukhamedhati.
その 家は 安楽に栄える
○直訳
高貴な人は得がたい
彼はどこでも生まれない
彼賢者が生まれる場所は
その家は安楽に栄える
○一口メモ
この詩の因縁物語は次の通りです。ブッダのお世話をしていたアーナンダ長老がある時「ブッダのような高貴な方はどのような所に生まれるのであろうか?」と考えましたが、答えが見つからず、ブッダにたずねました。ブッダは「アーナンダよ、聖者を見つけることは困難なことです。聖者はどこにでも生まれるわけではありません。そのような聖者が生まれた家は安楽に栄えるのです。」と答えられ、この詩を語りました。
ここでは、一行目のpurisājaññoを「高貴な人」と訳しましたが、「駿馬のような人」と言う和訳もあります。どちらの訳も可能なのです。しかし、いずれにしても、因縁物語から分かるように、その言葉はブッダを意味しているのです。
四行目の「その家は安楽に栄える」は、実際のブッダが生まれた王家を指すと言うよりは、広大な宇宙的時間と空間の中では、ブッダが生まれてその影響力がある時代と地域ととらえてもいいのではないかと考えています。なぜならブッダの教えに従って生き、修行している人々は安楽に栄えていると言えるからです。
正覚者 どこでも生まれる わけはない 彼が生まれた 世界は幸福(193)
○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_7.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_20.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_29.html
○人生の万能薬(慈悲の瞑想)
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように
*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。
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