智慧の人 道理と無理を 見極める 無理が通れば 道理が引っ込む(256)及び(257)

○子供のためのダンマパダ。
桃太郎は、
犬の望みを聞いて、
きび団子を一つあげました。
猿の望みを聞いて、
きび団子を一つあげました。
キジの望みを聞いて、
きび団子を一つあげました。
皆に同じようにあげました。


○パーリ語原文と訳語

ナ   テーナ   ホーティ  ダンマットー
Na   tena     hoti    dhammaṭṭho,
ない それによって なら    法住者

イェーナッタン     サハサー  ナイェー
yenatthaṃ        sahasā   naye;
それによる者は 義を  強引に   導くことで

ヨー チャ  アッタン  アナッタンチャ
Yo   ca   atthaṃ   anatthañca,
者は しかし 義を    義でないことを と

ウボー  ニッチェッヤ  パンディトー
ubho   niccheyya    paṇḍito.
両方を  見分けられる  賢者は(256)


アサーハセーナ  ダンメーナ
Asāhasena     dhammena,
強引でなしに    法によって

サメーナ  ナヤティー  パレー
samena   nayatī     pare;
正しさで  導く     他人を

ダンマッサ   グットー  メーダーヴィー
Dhammassa   gutto    medhāvī,
法の       守護者   智慧者

ダンマットーティ  パウッチャティ
dhammaṭṭho’ti   pavuccati.
法住者   と   言われる(257)


○直訳
義を強引に導くことによって
それによる者は法住者にはならない
しかし、彼が義と義でないことを
両方を見分けられる者は賢者(である)。(256)

強引でなしに、法によって
他人を正しく導く(者は)
法の守護者、智慧者
法住者と言われる(257)


○意訳
無理な方法で行う人は
その故に道理に従う人ではない
道理と無理の
両方を賢者は見極める(256)

無理なく道理によって
他の人を平等に導き
道理を守る智慧者は
道理に従う人と言われる(257)


○一口メモ
今回の詩から、「第19 法住者の章」が始まります。愛(欲)、怒り、汚れ(煩悩)をテーマにする章が続き、それらの煩悩をなくすことについて述べられてきました。では煩悩を捨てた生き方はどのようなものなのでしょうか?煩悩を捨てて、法(真理、道理、法則)に従って生きる人を法住者といいます。法住者の生き方はどのようなものか、この章で学んでいきましょう。

「無理な方法で行う人は、その故に道理に従う人ではない」。無理にことを行おうとすることは法に反しているのです。そのようなことをする人は法住者ではありません。法に従ってものごとを処理する人は、多くの人にそのやり方を支持されます。合理的ですから、無理はありません。その人には自我はなく、慈悲の心でものごとを行っているのだろうと思います。

「道理と無理の両方を賢者は見極める」。そのような人は、道理と無理をよく理解した賢者なのでしょう。

「無理なく道理によって他の人を平等に導き」。無理なく道理によって他の人を導くためには、平等という要素が必要なのです。人々は不平等には不満を持ちます。平等に安心するのです。これは人間のみならず、すべての生命について言えることです。ですから仏教はすべての生命を害することなく、慈しみを持つように指導しているのです。

「道理を守る智慧者は道理に従う人と言われる」。このような道理を守る人は智慧者であり、道理に従う人すなわち法住者と言われるのです。すでに述べました自我のないダンゴムシのような生き方をする人は法住者ではないでしょうか。


智慧の人 道理と無理を 見極める 無理が通れば 道理が引っ込む(256)
無理がなく 道理によって 導く人を 道理に従う 人と言われる(257)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_15.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_30.html
http://76263383.at.webry.info/201005/article_6.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年10月28日 06:49
おはようございます。
平等に振る舞う。簡単なようでいて難しい、と思いました。
でも例えば、自分が差別されたら、もしくは過剰に贔屓をされたら、きっといやな気持ちがすると思います。
平等に振る舞うことが大切、と覚えておくとともに、政治家もそのような人を選ばなければいけないのだな、と思いました。見極めるにはやはり知慧が必要ですよね。
2012年10月28日 07:16
おはようございます。
唐突ですが(笑)、僕は昨日のスマナサーラ長老のご法話で以下の内容が勉強になりました。

夫婦の在り方について、
夫婦はお互い
①夫は、自分が妻子に何ができるか?自分が妻子に対してまず出来る事をする

②妻も、夫に対してまず自分が出来る事をする

そうすればお互い仲良く長生き出来る。

いわゆるgive アンドテイクではなく

長老曰く「ギブ・
アンド・レシーブ」

まず最初に与えて、受け取るが正しい関係。

初めから相手に対して「取りたい、取りたい」ではうまく行かない。

あすか
2012年10月28日 12:23
法住者などと耳なれない言葉に
ドキッとしましたが、
法に従う人という意味なのですね。
難語や漢字にアレルギーでしたが
字面の難しさに逃げず向かい合えば
理解も深まっていき
面白くなってくるものですね。
第19章.法住者の章も楽しみです。

早速、自我を極力減らし、(「なくす」
とはまだ言えないのですが^^;)
慈悲の心で仕事に望んでみます。
てくてく
2012年10月28日 21:53
今日は一口メモから中部経典の19番と20番にトライしました。19番の双考経は、思いを2つに分けるところから始まり、牛番のお話、森の鹿のお話と分かり易い例え話で面白く、チャレンジしてみるぞぅ~、と思いました。20番は、どうしても克服できない悪い思いと悪戦苦闘するお話で、こちらも面白く、チャレンジしてみよう~、と思いました。
今ある命はすべての生命のおかげです。
生きとし生けるものたちが幸せでありますように。
m(_ _)m

MK
2012年10月28日 22:59
こんばんは。
道理に従って物事を判断しようとする人は結構いるように思うのですが、ダンゴムシのように自我を張らずに方向転換できる人はかなり少ないように思います。
いくら初めに立てた計画が道理に適っていたとしても、進行途中で壁にぶつかる度に、無理を通そうとする。結果、道理が引っ込んでしまう。多いのはそういう人々ではないでしょうか。
自分で言っておきながら、耳が痛いです;

壁にぶつかったとき、自我を張っている自分にすぐ気づくことが、無理と道理を見極める賢者となるために必要なことではないか。と思いました。
こころざし
2015年12月25日 12:55
法に従ってどなた様にも平等に接する方は、尊敬されて敬われると思います。
長老の姿勢から学ばせて頂き、そして少しでも成長出来るように・日常で実践出来るように努めたいです。