子も父も 死神からは 守れない 親類縁者も 守れないのだ(288)及び(289)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
お父さんもお母さんも,、
死んだ子供は救えない。
この事実を知って、
いつ死んでもいいように、
心をきれいにしておきましょう。


○パーリ語原文と訳語

ナ  サンティ   プッター  ターナーヤ
Na   santi    puttā    tāṇāya,
ない あるのでは  息子は   救護者として
  
ナ   ピター  ナーピ  バンダワー
na    pitā   nāpi   bandhavā;
ない  父も   ない   親族も

アンタケーナーディパンナッサ
Antakenādhipannassa,
死神にとらえられた人には

ナッティ  ニャーティース   ターナター
natthi    ñātīsu       tāṇatā.
いない   親族に       救護者は(288)


エタマッタワサン  ニャトゥワー
Etamatthavasaṃ   ñatvā,
この 道理を    知って

パンディトー  スィーラサンヴトー
paṇḍito     sīlasaṃvuto;
賢者は     戒により 制御する

ニッバーナガマナン  マッガン
Nibbānagamanaṃ   maggaṃ,
涅槃に 導く     道を

キッパメーワ    ヴィソーダイェー
khippameva    visodhaye.
直ぐに まさに  清めるように(289)


○直訳
息子は父も親族も
救護者としてあるのではない
死神にとらえられた人には
救護者は親族にいない(288)

この道理を知って
賢者は戒により制御する
涅槃に導く道を
まさに直ぐに清めるように(289)


○意訳
死神に襲われた人を
子供も救えない
父や親族も救えない
親類縁者も救えない

この道理を知って
賢者は戒により制御して
涅槃に至る八正道を
すぐに実践するように


○一口メモ
今回の詩も死神がテーマになっています。死神は死そのものを意味していますが、もっと広く「苦」と理解しても良いと思います。

死とだけと考えるよりは「苦」と考えた方が、応用範囲が広くなります。それは、死をもっと深く理解することだと思います。「苦」はブッダが教える真理だからです。死は苦の一つなのです。ですから「苦」が解れば、「死」は解ります。

同時に「苦」を理解するために、具体的に「死」を吟味するのです。死というものが理解できたとき、苦が理解できるようになるのです。

この詩に即して考えてみましょう。
「死神(死あるいは苦)に襲われた人を子供も救えない、父や親族も救えない、親類縁者も救えない」
死に襲われた人(死んだ人)を他人は救えないと誰でも知っています。しかし、苦しんでいる人を他人が救えないとは思ってはいません。苦しみを誰かに助けてもらえると思っています。

しかし、実は苦しみは他人に助けてもらえないのです。苦しみからは「死」と同じように他人は救えないのです。苦しみは自分の渇愛が作りだしているからです。渇愛をなくせるのは自分だけなのです。自分で渇愛をなくさなければいけません。

289番の「賢者はこの道理を知って」とは自分で自分の渇愛をなくさなければいけないことを知ってと言うことです。

「涅槃に導く道を」とは自分の渇愛をなくす道です。それは八正道です。

「涅槃に導く道をすぐに清めるように」は「涅槃に至る八正道をすぐに実践するように」ということになるのです。

今回の二つの詩で、いつのまにか「第20 道の章」が終わることになります。
この章で述べられている道とは八正道だったのです。これはダンマパダの第三部というべきもののまとめでした。次からは最後の第四部に入ります。微妙に難しくなるように思いますが、内容はこれまでの繰り返しです。よく考えれば解ることです。


子も父も 死神からは 守れない 親類縁者も 守れないのだ(288)

この道理 賢者は知って 戒守り 涅槃に至る 道を清める(289)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
*安全第一 ~保障がないと人生は心配~
http://www.j-theravada.net/howa/howa172.html

○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*288、289涅槃に至る道をすぐに清めるように
http://76263383.at.webry.info/201006/article_1.html
*子も父も死神からは守れない親類縁者も守れないのだ
http://76263383.at.webry.info/200907/article_23.html
*子供も父も誰も救えぬ死のことわりを知りなさい
http://76263383.at.webry.info/200809/article_9.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎11月24日(土)夜と11月25日(日)朝のゴータミー精舎の自主瞑想会はお休みします。つくば市の讃仏陀楼華寺のカティナ衣法要に参加するため。

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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この記事へのコメント

才木広之
2012年11月24日 05:53
自分の事です。本当にそうです。
誰のことでもない、自分のことです。
ただ自分が善くなるように考えれば
それすら出来ていないなら、
まずは自分です。
今後もよろしくご指導お願いします。
あすか
2012年11月24日 10:54
死から逃げるのではなく受け入れて、
今日、今世が終わってもいいよう、
日々しっかり生きていきます。
カエルくん
2012年11月24日 17:32
こんにちは。
自分も、親しい人々も、一瞬一瞬死に向かって歩んでいるのだなあ、と思いました。
助けてもらえないし、誰のことも助けられない。
ただ仏教を学ぶことだけが、できることなのだな、と思いました。
MK
2012年11月24日 22:58
こんばんは。
説明にありますように、本当に自分の苦しみは自分で解決するしかないと身を持って感じます。
もっとお釈迦様の教えが世の中に広まって、当たり前のように慈悲と智慧について語り合えるようになれば、心に傷を負った人々が強い心を持てるようになるのにと思います。
そのためにも、まずは自分がもっと強くならなくては、と思います。
noritarou
2012年11月25日 17:13
「戒」とは、「他人」や「自分」や、「この世のもの」から離れるための、あらゆる執着を離れるための実践でしょう。
「自分の肉体」「自分の考え」さえもあてになりません。
戒を保つことは、涅槃に至る為の、行為ならざる行為のことでしょう。
こころざし
2016年01月02日 19:02
苦しんでいる事がある方から相談を受けた事があります。こちらで学ばせて頂いたことを元に自分の意見としてお伝えしますが、その方自身がその苦への執着をやめる所から・・になるように思います。そして自分でその苦を捨てれたら、解決になるように感じています。
私自身も渇愛を捨てて、苦が生じない生き方になるように精進したいです。