友がいる 満足してる 徳がある 苦悩なければ 幸福という(331)及び(332)(333)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
何が幸福なことか知っていますか?
良い友だちがいること、
なんでも満足できること、
お母さんの手伝いができること、
お父さんのお世話ができること、
先生を尊敬できること、
お年寄りを大切にできること、
道徳をまもること、
智慧が増えること、
悪いことをしないこと、
以上です。


○パーリ語原文と訳語

331.
アッタンヒ  ジャータンヒ  スカー  サハーヤー
Atthamhi   jātamhi     sukhā   sahāyā,
必要が    生じた時    幸福だ  友だちは

トゥッティ  スカー  ヤー  イタリータレーナ
tuṭṭhī      sukhā   yā    itarītarena;
満足は     幸福だ  こと   どんなことでも

プンニャン  スカー   ジーヴィタサンカヤンヒ
Puññaṃ    sukhaṃ   jīvitasaṅkhayamhi,
福徳は    幸福だ   命が尽きる時に

サッバッサ  ドゥッカッサ  スカー   パハーナン
sabbassa    dukkhassa   sukhaṃ   pahānaṃ.
すべての    苦の     幸福だ   捨てること

332.
スカー  マテッヤター    ローケー
Sukhā   matteyyatā     loke,
幸福だ  母を敬うことは   この世で

アトー  ペッテッヤター   スカー
atho    petteyyatā     sukhā;
また   父を敬うことは   幸福だ

スカー  サーマンニャター   ローケー
Sukhā   sāmaññatā      loke,
幸福だ  沙門を敬うことは   この世で
 
アトー  ブラフマンニャター   スッカー
atho    brahmaññatā      sukhā.
また   阿羅漢を敬うことは   幸福だ

333.
スカン  ヤーワ  ジャラー  スィーラン
Sukhaṃ  yāva   jarā     sīlaṃ,
幸福だ  まで   老年     戒を守ることは

スカー  サッダー  パティッティター
sukhā   saddhā   patiṭṭhitā;
幸福だ  確信が   確立している

スコー  パンニャーヤ  パティラーボー
Sukho   paññāya    paṭilābho,
幸福だ  智慧を     得ることは
 
パーパーナン  アカラナン     スカン
pāpānaṃ     akaraṇaṃ     sukhaṃ.
諸悪を     為さないことは   幸福だ


○直訳
必要が生じた時、友だちは幸福だ
どんなことでも、満足は幸福だ
命が尽きる時、福徳は幸福だ
すべての苦の捨てることは幸福だ(331)

この世で母を敬うことは幸福だ
またこの世で父を敬うことは幸福だ
この世で沙門を敬うことは幸福だ
また阿羅漢を敬うことは幸福だ(332)

老年まで戒を守ることは幸福だ
確信が確立していることは幸福だ
智慧を得ることは幸福だ
諸悪を為さないことは幸福だ(333)


○意訳
困ったときに友がいるのは幸福です
どんなことにも満足するのは幸福です
命が終わるとき福徳のあるのは幸福です
一切の苦を捨てるのは幸福です(331)

この世で母孝行できるのは幸福です
またこの世で父孝行できるのは幸福です
この世で出家者を敬うのは幸福です
またこの世で阿羅漢を敬うのは幸福です(332)

老いるまで道徳を守るのは幸福です
確信が揺るがないのは幸福です
智慧を得るのは幸福です
悪いことをしないのは幸福です(333)


○一口メモ
現代の日本で代々続く自民党政権、民主党政権の悪政のもとで、苦しんでいる日本人にとっても参考になるのが今回の三つの詩です。ブッダが愚かな王の悪政のもとで苦しんでいる人々のために考えられたことだからです。

「殺すことなく、あるいは武力で征服することなく、あるいは武力で征服することなく、あるいは新たに悲しみの原因が生じることなく、正義と公正だけでこの悪政を改め、統治することができないだろうか?」とブッダは黙想されました。因縁物語では、その際悪魔が出てきて、ブッダにいろいろ言ったと述べられていますが、ここでは省略します。

ブッダの出した結論は「どんな悪政のもとでも、次の12項目の事柄があれば、人々は正しく、幸福に生きることができる」ということです。

1.困ったときに、友だちがいることです。ここでも、友だちとの付き合いの重要性が第一に述べられています。国民の生活にためには、友だちが第一なのです。人間(生命)は一人では生きられないのです。生命のネットワークの中で生きているのですから、友だちは大切なのです。人々の幸福は付き合う人で決まります。だから、友だちが大切なのです。嘘をついてはいけないということも、信頼が友情の基礎だからです。

2.どんなことにも満足することです。あるもので満足できれば、不満がありません。不満がなければ幸福です。今ないものは、なくても問題ないのです。

3.命が終わるとき福徳のあること。福徳とは善業です。善い結果になるのです。死後も幸せになるのですから、死んでも心配ありません。ですから、死が怖いということもないのです。これは信じられなくもよいのです。

4.一切の苦を捨てること。これは一切の苦しみをなくすことです。解脱です。涅槃に至ることです。仏教の最終目標です。これができれば、政治がどうあろうとも、それを超越しています。

5.この世で母孝行できることです。今すぐ母孝行をしてください。

6.この世で父孝行できることです。今すぐ父孝行をしてください。

7.この世で出家者を敬うことです。

8.この世で阿羅漢を敬うことです。現在どなたが阿羅漢かわかりませんが、もし阿羅漢がおられたら、また会うことができたら、この上ない幸せだと思います。

9.老いるまで道徳を守ることです。道徳心が失われている人々の中で、正しい道徳を知り、それを守ることはどんなに気分がよいことか、実践すればわかることです。

10.確信が揺るがないことです。確信がなくいつも不安の中で生きている人々が多い中で、確信があることはどんなに素晴らしいことか、確信があれば分かります。

11.智慧を得るのはことです。智慧があればすべてが解決します。困ることはありません。

12.悪いことをしないことです。どんな悪政のもとでも、悪いことはしないという意志があり、それを実践すれば、物事は好転します。それが因果法則です。

これらの三つ詩で「象の章」をおわります。


○友がいる 満足してる 徳がある 苦悩なければ 幸福という(331)

○親孝行 この世で行い 出家者と 阿羅漢敬う 幸福という(332)

○老いるまで 戒を守って 信があり 智慧を得ること 幸福という(333)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
この御説法は日本テーラワーダ仏教協会のHPにアップされていません。
2011年11月号のパティパダーの巻頭言に掲載されています。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*331~333.困ったとき友がいるのは幸福です
http://76263383.at.webry.info/201006/article_27.html

*友がいる満足してる徳がある苦悩なければ幸福という
http://76263383.at.webry.info/200908/article_21.html

*善友満足福徳捨苦 孝行敬出家阿羅漢 道徳確信智慧不悪行
http://76263383.at.webry.info/200810/article_12.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎年末年始も、ゴータミー精舎での自主瞑想会は常通り行います。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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この記事へのコメント

カエルくん
2012年12月30日 07:01
おはようございます。
4月からの生活のことで、迷っていることがあったのですが、今日の詩を読んでふっきれました。
現状に満足すること、足るを知ることを思い出しました。そうすると、迷うのは自分の欲のせいだということに気が付きました。
まさに、「困った時はダンマパダ」です(*^^*)

現状のままで、充分幸福な自分に気が付きました。
あすか
2012年12月30日 10:34
幸不幸を世の中のせいにするのは
簡単です。が、自分で国や地域を
おさめたらうまくいくかというと…。
どの方も頑張っているのでしょう。

必ずしも何でも思い通りは無理です。
ですがどんな環境でも
幸せになることはできるのですね。
大変ありがたいです。^^

ワンギーサ先生
英訳ダンマパダのサイト
紹介ありがとうございます。
詳細は別途メールにて。
みどり
2012年12月30日 16:25
初めてコメントいたします。いつも、よく生きるための勉強として拝見しております。

質問ですが、母父に対して孝行をしなさいと述べられておりますが、これはそのために何か具体的なことをしなくてはいけないということでしょうか。
私は、自分が心身とも健やかに正しく生活していれば、それだけで母父に対する孝行になるのではないかと思っているのですが。
何か具体的なことをすると、見返りを求めるような問題が発生しそうで却って「不孝行」になるのでは、と心配しています。
ワンギーサ
2012年12月30日 18:09
みどりさんコメントありがとうございます。
質問にお答えします。
「シガーラ教戒経」には両親に対するお勤めは次のように述べられています。
1.両親に育てられたのだから、私は両親の面倒をみます。
2.両親の仕事・義務などは私が継ぎます。
3.両親の家柄を守ります。
4.両親の財産をきちんと管理します。
5.それから両親が亡くなったら、亡き人々のために供養・廻向してあげます。
両親が歳をとってくると、両親の住むところや服や食べ物を全部、全面的に面倒を見なければいけません。あなたの考え方は少し自分に都合のよいように考えているように思います。両親に対する具体的な行為は必要です。歳をとった両親からは見返りを求められないでしょう。相続の問題を考えているのでしたら、それはあなたの気持ち次第なのです。
Mason
2012年12月31日 04:13
前回の記事を読み返していて疑問がありましたので質問させてください
(前回からの引用)
スマナサーラ長老の瞑想指導がゴータミー精舎で行われました。その中で、長老はある人の「業について質問」に次のように答えられました。「私たちは無限の過去から、現在も無数の行為を行って来ました。ですから、それらの行為によって業を蓄積しています・・・無数の業がありますけど、それらの業は条件が整わなければ結果が現れずに消えてしまうということもあるのです」(引用おわり)

とありますが、スッタニパータ666段には「けだし何者の業も滅びることはない」とありますよね。これについて、ご解説願えると幸いです
ワンギーサ
2012年12月31日 10:36
Masonさんにお答えします。
何者の業も滅びることはないから、無数に繰り返す輪廻の中で生命は無数の業を蓄積しています。その業はそのエネルギーの強いものから、条件の整ったものから発現するのです。現実問題として、無限と言ってもよい業は、一つの生命の一生ですべての業は発現できません。埋もれてしまう業もあるのです。殺人などでできた業は強いものですから、埋もれることなく7代も続くと言われています。それ以上には私は説明できません。
みどり
2012年12月31日 16:03
お応えありがとうございました。

言葉足らずだったようでしたが、私は現在家族とは別居中です。1年に1度母父のもとに帰る程度のおつきあいです。
母父の希望する人間として生きてこなかったので、つまらない確執をつくらないためにお互いの平和のために別居しました。それでも孝行することができるかを考えたのですが、その経によれば何の条件もなく不可能ということで理解しました。
何れにせよこれからもお互いの平和のために具体的なことはしないつもりですが、しかし、よく生きるために何をすればよいかは常に考えていたいと思います。人格者であろうとするために。
カエルくん
2012年12月31日 17:29
こんばんは。

みどりさんのコメントが気になって、再コメントです。
かつて親と確執を持ち、十年間独り暮らしをしていた者として。
うまくいっていない家族の顔を見に、例え年一回でも実家に帰るのは負担なことだと思います。
それでもあえてお伝えしたいことは、絶対にほどけることはない、と思っていた確執でさえ、無常である、ということです。
親も自分も変化し続けています。

どうか、仏道がみどりさんの救いになりますように、と思いながらコメントさせてもらいました。
Mason
2013年01月01日 05:53
業についてのご回答ありがとうございました。
無始無終の時間に積み重なった業の量と、生命一代の寿命とでは比較にならないから、特に弱い業など「果が現れるチャンスがない」こともある、ということでしょうか

ご丁寧なお返事、重ねて御礼もうしあげます