昼も夜 仏陀の弟子は 生命を 慈しみつつ 見事に目覚める(300)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
生きとし生けるものは
幸せありますようにと
いつも思っていると
智慧と慈しみのある人間になります。


○パーリ語原文と訳語
スッパブッダン   パブッジャンティ
Suppabuddhaṃ   pabujjhanti,
よく目覚めて    目覚める

サダー  ゴータマサーワカー
sadā    gotamasāvakā;
常に   ゴータマの弟子は

イェーサン   ディワー  チャ  ラットー  チャ
Yesaṃ      divā    ca    ratto    ca,
彼らにとって   昼    も    夜    も

アヒンサーヤ  ラトー     マノー
ahiṃsāya    rato       mano.
不害の     楽しむならば  心を


○直訳
彼らにとって昼も夜も常に
不害の心を楽しむならば
常にゴータマの弟子は
よく目覚めて、目覚める


○スマナサーラ長老 訳
日夜 慈しみに喜びを感じる
こころを常に持つ仏弟子は
見事に目覚めるのです


○一口メモ
今回の詩のテーマはアヒンサー「不害」です。慈悲の心を育てることです。

以前、このブログでも書きましたが、仏教の目標を一言で言えば、涅槃になりますが、二言で言えば慈悲と智慧です。(この二つの言葉は二つですが、不可分のものです。)

慈悲を育てる修行法は慈悲の瞑想です。智慧を育てる修行法はヴィパッサナー瞑想です。ヴィパッサナー瞑想は明日のテーマになります。

慈悲の瞑想は毎日、このブロッグ記事の終わりに「人生の万能薬」として紹介しています。読み飛されている方は、再確認してください。

本当に人生のどんな時にも、慈悲の瞑想の言葉に立ち返れば、困った時も、迷っている時も、苦しい時も、辛い時も、悲しい時も、さびしい時も、落ち込んだ時も、明るくなります。元気がでます。嬉しい時も、楽しい時でも慈悲の瞑想は役にたちます。そのとき心は落ち着いて、成長するのです。

なぜでしょうか? それは「私は幸せでありますように」と言う言葉は人生の原点だからです。原点が確認できれば、しっかり立てるからです。しっかり立てれば歩き出せるのです。歩けば元気がでるのです。

さらに、「私の親しい人々が幸せでありますように」と思えると心に余裕が出てきます。
さらに、「生きとし生けるものが幸せでありますように」と言う心が現れると、心に喜びが生まれてきます。この喜びは心を明るく元気にするのです。

そうすると、さらに「私の嫌いの人々も幸せでありますように」「私を嫌っている人々も幸せでありますように」と唱えると、面白くなります。初めは難しいかもしれませんが、不思議な喜びを感じられるようになります。

慈悲の瞑想は、慈しみという友情の心ばかりでなく、憐れみの心、共感の喜びの心を育てます。また、人々の心に壁を作り、高慢や差別を生み、いじめや孤独などを作る自我をなくす捨の心(智慧)をも育てます。この四つの心は、慈悲喜捨と言う無量の心、無限に大きく強くなる心なのです。

最後に、この慈悲の冥想の十一の功徳を紹介します。
1.安眠できること
2.気持ちよく目覚めること
3.悪い夢を見ないこと
4.人々に愛されること
5、神々に愛されること
6.神々に守られること
7.火災、中毒、武器などの害を被らないこと
8.気持ちが落ち着き、集中力が増すこと
9.顔が清らかになること
10.安心して死ねること
11.この世で阿羅漢になれなくとも、死後に梵天になること
慈悲の瞑想を以上の功徳があるのです。


昼も夜 仏陀の弟子は 生命を 慈しみつつ 見事に目覚める(300)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
*昏水状態から目覚めて生きる道 ~清らかなこころは最強のお守りになる~
http://www.j-theravada.net/howa/howa177.html

○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*296.~301.日夜ブッダに向けた気づきを実践する仏弟子は
http://76263383.at.webry.info/201006/article_6.html

*昼も夜仏陀の弟子は覚醒し不害の心を楽しんでいる(300.301.)
http://76263383.at.webry.info/200907/article_30.html

*仏陀の弟子はよく覚めていて不害の心を楽しむよ(300)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_18.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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この記事へのコメント

カエルくん
2012年12月04日 06:21
おはようございます。
人を傷つけないことの難しさを日々感じます。
良かれと思ってしたことが、裏目に出るとき、ああ「智慧」が足りなかったのだな、と思います。
本当の意味で慈悲深くなるためには、智慧が不可欠なのですね。

それから、先生ひとつ質問です。
慈悲の瞑想の功徳なうち、最後の「梵天になれる」ですが、慈悲の瞑想をすることで禅定に達した場合、ということでしょうことでしょうか。
ご教示くださいm(__)m
ワンギーサ
2012年12月04日 10:39
カエルくん、おはようございます。
質問にお答えします。
慈悲の瞑想で育てる心は梵天の心と同じです。
ですから、慈悲の瞑想で梵天の心になっている方は亡くなられると梵天になるのです。
慈悲の瞑想で禅定に達したということもできるでしょう。
ぱん
2012年12月04日 11:18
私も一つ質問があります。
出家について問いたいと思うのですが、半年前にコメント欄で問うと、そういう一大事は、コメント欄で問うべきではないと回答をいただきました。そのお考えに変わりはないですか?

私のように、人生の万能薬を読み飛ばしてきたような人間が、こういう問いを発するのはまだまだ早いとは思うのですが、念のため、半年に一度くらいは問いたいと思いまして、
あすか
2012年12月04日 12:28
慈悲の冥想は効果絶大です。
夜眠るのが怖くなくなりました。
先日は苦手な人から
なんとお褒めの言葉!
きっと八百万の神様も。
となるとこの先もきっと。
安心して、しかし怠けないよう、
修行に励みます。^^;
ワンギーサ
2012年12月04日 12:34
ぱんさん、こんにちは。

人生の一大事は直接面接して問うべきでしょう。それが不可能な場合を除いて。それは私の考えです。

仏教で出家したいと思うならば、因果法則を否定するような考え方があれば、駄目でしょう。
神を肯定すると、因果法則を否定することになります。
才木広之
2012年12月04日 16:33
自分の今の状態は、自分の心が作り出してると私は感じることがあります。
才木広之
2012年12月04日 16:43
助けてもらう
自分が成したいことがあれば、
助けてあげようという気に、相手になってもらわないと成し得ません。
それは自分の責任です。
ぱん
2012年12月04日 17:15
ワンギーサさん

ご回答ありがとうございます。仰るとおりです。一大事は面接で問うべきですね。

今年は教会にも通いましたが、どうしても神を信じることができない。教会で「仏教に絶望しきらないといけない」と一つの壁にぶつかりました。仏教に希望がゼロになるまでは、仏教に当たって砕けるしかないのです。
カエルくん
2012年12月04日 19:04
こんばんは。
先生、ご教示ありがとうございますm(__)m

お返事を読んで、禅定を目指すために、もしくは梵天を目指すために慈悲の瞑想をするのではなく、無心で実践するべきなのだな、という気持ちになりました。
初心にかえって頑張ります(^-^)
MK
2012年12月04日 19:48
こんばんは。
心理学の教科書で感情制御の分野を見ると、感情を制御する心のエネルギーは、有限であり、一旦使い切ると回復に時間がかかる。とあります。
でも仏教では、今日のご解説の通り、怒りと反対の慈悲は無量心であり、いくらでも育てることが出来ると説かれています。

俗世間的に考えると、感情を制御して正しい方向へ導くことは、難しく、精神的にしんどい作業であると考えるのが普通です。
でも、仏教的に考えると、慈悲のエネルギーは枯渇するどころか無量に増え続け、いとも簡単に悪感情を制御することが出来る。

同じように(?)心を科学しているはずなのに、こうも答えが異なると、不思議で面白く思います。そして仏教の教えの方がわかりやすく即効性もある。
本当に不思議です。
もくぎょ
2012年12月04日 22:20
先生、皆さまこんばんは。コメントいっぱい(^^)わいわいがやがや。ぱんさんのコメントは真剣ですね。もくぎょも見習わなければピョン。
ぱんさんのコメントを読みますと、

「仏教に対する希望がゼロになると、教会の神さまを信じることができる」と言うふうに読めるのですが、そうなんですか(?_?)

もしそうなら、現在、仏教に対する希望をゼロにするため、
ヴィパッサナー実践を頑張っていると言うことなんですか??
な、なんかもくぎょの頭ではよく解らなくなりましたけども・・。
ぱん
2012年12月05日 07:36
もくぎょさん

私もよくわからないのですが、仏教に対する希望がゼロになるか、仏教に対する希望が100になるか、二つの道があると思います。ゼロになったならばクリスチャンですし、100になったならば、仏教徒ということになると思います。
kumetsu
2012年12月05日 08:59
例えば、スマナサーラ長老の法話を良く聞いて、五戒を守って、サマタ瞑想(慈悲の瞑想など)やヴィパッサナー瞑想を頑張って続けてみる。そうすると、自分の苦しみが確実に減ってくることが実感できると思います。その実感があるならば、やがて苦しみが全て無くなるという最高の幸せ(涅槃)も実現できるのではないか、という気持ちが自然にわいてくるのではないでしょうか。
それが仏教に対する希望だと思います。
仏教に対する希望が100%になるということは、仏教に対する疑がゼロ%になるということでしょうから、それは預流果になるということでしょう。しかし、まだ聖者(預流果以上)ではない人でも仏教徒になれるはずです。
仏法は正しく実践すれば良い結果が必ず出ることになっている教えだということですので、仏教に対する希望がゼロになりそうな疑問や障害があるならば、ワンギーサ先生やスマナサーラ長老に具体的な問題として質問するのが良いと思います。先生も長老も必ず親身になって答えて下さるはずですから

皆様の悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
カエルくん
2012年12月05日 18:49
こんばんは。

ぱんさんへ
私はぱんさんと逆で、キリスト教に100%絶望して仏教徒になりました。
どんなお祈りの言葉より、慈悲の瞑想に救われました。
でも人それぞれですよね。
キリスト教と仏教と、両方に惹かれる今の状態は、きっと苦しいことと思います。全然別の世界観だから。
仏教徒の私は、やはりぱんさんの悩み苦しみがなくなりますように、と願ってしまいます。そしてできればいつか、仏教に100%納得する形で解決してほしいです(>_<)←でもこれは私のエゴですね。すみません。

もくぎょ
2012年12月05日 19:04
皆さまこんばんは。

ぱんさん、教会の神さまを、信じきることができ
ない理由は何なのでございますか?

教会の神さまを信じきることができないのは、教
会の神さまのせいだと思うのですが、
それがどうして、仏教の希望をゼロにすると神さ
まを信じきることに繋がるんですか(?_?)

もくぎょには難しすぎて、分からないのでよかっ
たら教えてくださいませ~。
あ、あ、もくぎょの頭の上から白煙が~~・・
ぱん
2012年12月06日 19:36
もくぎょさん

スマナサーラ長老が、天国に心惹かれるのは渇愛が原因だと、今月のパーリ経典講義で仰っていました。クリスチャンも、渇愛を完全に拭いきれていない、というのが長老の仰っていることだと思います。仏教の阿羅漢は、その渇愛から完全に自由であると。ですから、まずは、その阿羅漢を目指して、なれれば、ああ、長老の言うことは本当だったということで、別に神や天国を求める心がなくなったならば、そのまま仏教徒でいることに何の不都合もないのです。後は長くなるので、また機会があれば、
ぱん
2012年12月06日 20:03
今年半年間、LTLキリスト教会に通い、その牧師さんからそういうことを言われたのです。仏の教えに対する迷いがあると、教会に通うほかの兄弟姉妹に悪影響がある。だから、しばらく、祈り会や礼拝には参加しないでほしいと。ただ、個人的に悩み相談にならば応じますと。その牧師さんはとてもいい人なので、まあ、半年間教わることができた。ご迷惑をおかけしてはいけないと、そんなような感じで、再び仏の教えに集中しようと考えているのです。
こころざし
2016年01月05日 07:57
慈しみの実践をしていると、敵が出来ない・嫌な目に遭い難い印象を感じています。それはどのような状況でも慈しみをもっていれば、僕から攻撃を受けた!との状況にならないからかなと感じています。
慈しみを実践し、そして智慧を持てるように精進したいです。