貪欲に 駆り立てられて 思う人 考えること すべて外れる(349)及び(350)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
欲しい欲しいと考えていると、
いらないものまで欲しくなり、
満足できずに、苦しくなる。
・・・
よけいなことを考えず、
静かな心を楽しむと、
何でも満足できて、幸せ。


○パーリ語原文と訳語

ウィタッカパマティタッサ  ジャントゥノー
Vitakkapamathitassa     jantuno,
思考が混乱した       人は

ティッバラーガッサ  スバーヌパッスィノー
tibbarāgassa      subhānupassino;
激しい貪欲の     清浄と見る人は

ビッヨー   タンハー  パワッダティ
Bhiyyo    taṇhā    pavaḍḍhati,
より多く   渇愛は   増大する

エーサ  コー  ダルハン  カローティ  バンダナン
esa    kho   daḷhaṃ   karoti     bandhanaṃ.
この   実に  強固な   作る     結縛を(349)


ウィタックーパサメー  チャ   ヨー   ラトー
Vitakkūpasame      ca    yo    rato,
思考の安静を      しかし  人は   楽しむ

アスバン   バーワヤテー   サダー  サトー
asubhaṃ    bhāvayate    sadā    sato;
不浄観を   修習して     常に   念ある人は

エーサ  コー  ビャンティカーヒティ
Esa    kho   byantikāhiti,
これは  実に  終わるだろう
 
エーサ  チェッチャティ  マーラバンダナン
esa    checchati     mārabandhanaṃ.
この   断つ       悪魔の結縛を(350)


○直訳
思考が混乱した人は
激しい貪欲の(肉体を)清浄と見る人は
より多く渇愛は増大する
実にこの強固な結縛を作る(349)      

しかし、思考の安静を楽しむ人は
不浄観を修習して、常に念ある人は
この悪魔の結縛を断ち
実にこれ(渇愛)は終わるだろう(350)


○意訳(スマナサーラ長老訳)

貪欲に支配され、思考に乱れ
世を美化して観る人に
渇愛は増大し
執着は強化される(349)

もっぱら思考を制御して
常に気づき「美のものならず」と思う
彼は渇愛を滅して
死王の束縛を断ち切る(350)


○一口メモ
今回は思考が問題になります。「人間は考える葦である」(パスカル)という言葉があるように、思考は人間の特性を示す働きのように考えられています。そして、子供の頃から家庭でも学校でも「よく考えなさい」と教えられてきました。しかし、実はどのように考えるべきか教えられていないのです。ただ考えることが重視されてきました。ですから人々はめちゃくちゃに考えます。そのため世間は混乱しているのです。

この詩の通り、世間の人々は貪欲に支配されて思考します。ですから思考は乱れるのです。欲しいものは美しく見、嫌いなものは汚いと見たりします。無智に基づいているのです。そこから差別意識なども生まれます。最悪の場合は戦争になり、殺し合いを始めるのです。

ブッダは人間の苦しみの原因は渇愛であると発見されましたが、この渇愛を思考が増大させるのです。そのため苦しみはますます増大するのです。ここに思考に重大な問題があることを知らなければなりません。ただ思考すればよいのではありません。正しく思考しなければならないのです。正しく思考する方法を教えているのは仏教だけなのです。仏教では八正道の二番目の正思(正思惟)を教えています。その内容は、①欲から離れて考えること、②怒りから離れて考えること、③生命を害することなく考えることです。このように、分かりやすく明確に、正しく教えている宗教・思想・哲学は仏教以外にありません。

353番の詩の解説で述べることになると思いますが、涅槃に達した一切智者は考えることはないと思います。すべて分かっているのですから。分からないことがあるから考えるのです。考えることはそれまでのつなぎでしょうが、それまでは正しく考えることが必要なのです。また、正しく考えることが涅槃に近づく道なのです。


貪欲に 駆り立てられて 思う人 考えること すべて外れる(349)

考えの 乱れを正し 思考する 彼は渇愛 滅し楽しむ(350)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
この御説法は日本テーラワーダ仏教協会のHPにまだアップされていません。
2012年10月号のパティパダーの巻頭言に掲載されています。

○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*349.350.思考が混乱して激しい貪欲で、清浄と見る人は
http://76263383.at.webry.info/201007/article_4.html

*肉体を清浄であると見る人は渇愛増えて執着強まる
http://76263383.at.webry.info/200908/article_32.html

*肉体は清浄であると見る人は渇愛増えて執着強まる
http://76263383.at.webry.info/200810/article_23.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎本日1月12日(土)月例講演会があるため、夜の自主瞑想会はお休みします。

◎1月18日(金)の夜、1月19日朝及び夜の自主瞑想会はお休みします。
ワンギーサがマーヤーデーヴィー精舎における新年祝福法要に参加するためです。

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

カエルくん
2013年01月12日 09:28
こんにちは。
不浄観は自分に必要な観察だな、と思います。
最低限の持ち物で暮らしていたはずが、生活の変化に合わせて、気がつけばまた物であふれています。いらないものを持っていると、心が負担を感じます。
何が必要で何がいらないか、判断できるように、不浄観を始めたいです。
kumetsu
2013年01月12日 10:11
ワンギーサ先生

今日もダンマの核心に触れる貴重な解説を下さり、誠にありがとうございます。

「人間は考える葦である」とは真実であると思います。
ただし、この真実の評価が、世間と出世間では真っ二つに分れるようです。

世間では、「人間は考える葦である。だから、人間は素晴らしい。人類は思考という武器によってこそ霊長類の頂点に君臨できるのだ。」と「考える」。

これに対し、出世間では、「人間は考える葦である。だから、人間はエゴ妄想に捉われて苦から逃れられず、苦しみの輪廻が続くよ、どこまでも。」と(智慧によって)みる。
確かに、「思考の危険性」をここまで端的に示した上で、さらにその処方箋まで説いているのは仏教だけでしょう。

苦しみをなくすために、人間が目指すべき最終目的として仏教が設定しているのは、「諸行の無常・苦・無我、そして涅槃という真理を目の当たりに知る智慧」ですが、かかる智慧は、「思考(によって推論を積み重ねた理解)」とは全く異質のものだと思います。

思考は人間に便宜をもたらす一方で、自己破壊や大量虐殺の元凶ともなり得る極めて危険なものですから、何よりも細心の注意を払って取り扱わねばならないものと言えましょう。
その正しい取り扱い方法が、正思惟すなわち「離欲」「離瞋・無害(≒慈悲)」の思考に限定することであると。

353番の詩の解説も楽しみです。

皆様に智慧の光が輝きますように
生きとし生けるものが幸せでありますように
あすか
2013年01月12日 11:54
同じ「考える」でも、
正しい思考が大切ですね。
妄想にふりまわされると
せっかくの今もこれからも
台無しになってしまいます。

まずは妄想ストップ!
妄想を手放し、軽くなってから
正しく考えます。
こころざし
2016年01月18日 19:49
一杯考えている・・と以前は思っていましたが、単に欲を満たすために必死で・・という状況にしかなっていません。しかもその考えた事は、まさにロクな事がなかったように思います。
冥想実践をしていく事で本当に大切な真理、無常・苦・無我等が分るように、正しい思考が出来るように精進したいです。