冥想を 放逸しないで 実践し 欲望に勝ち 苦しむなかれ(371)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
良い子になろうとしているのに
うそを言ったり
友だちをいじめたりするのは
なぜかな?


○パーリ語原文と訳語

ジャーヤ  ビック   マー   チャ  パマードー
Jhāya    bhikkhu   mā    ca   pamādo,
瞑想せよ  比丘よ   なかれ  また  放逸である

マー   テー   カーマグネー  ラメッス   チッタン
mā    te     kāmaguṇe    ramessu   cittaṃ;
なかれ  汝らの  欲の対象に   楽しませる  心を

マー   ローハグラン  ギリー  パマットー
Mā    lohaguḷaṃ    gilī    pamatto,
なかれ  鉄丸を     飲む   放逸によって
 
マー   カンディ  ドゥッカミダンティ  ダヤマーノー
mā    kandi    dukkhamidan’ti   ḍayhamāno.
なかれ  号泣する  苦だ これが と   焼かれながら

○直訳
比丘よ、瞑想せよ。また放逸であるなかれ。
汝らの欲の対象に心を楽しませるなかれ。
放逸によって鉄の玉を飲むなかれ。
これが苦だと焼かれながら号泣するなかれ。


○意訳
比丘よ、冥想しなさい、放逸であってはならない
欲望の対象に心を迷わせてはならない
放逸によって鉄の玉を呑み込んではならない
焼かれながら、「これが苦だ」と泣いてはならない


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。

2008年11月
*冥想を放逸しないで実践し欲望に勝ち苦しむなかれ
http://76263383.at.webry.info/200811/article_8.html

2009年9月
*冥想を放逸しないで実践し欲望に勝ち苦しむなかれ(371)
http://76263383.at.webry.info/200909/article_14.html


○一口メモ
今回の詩は単刀直入に、「瞑想しなさい」と教えています。釈尊は丁寧に、一人ひとりに応じた説法をされましたが、その真理を自分のものにするためには、釈尊の言葉を自分で確かめる必要があるのです。その最高の手段が冥想です。釈尊は説法の終わりに、比丘たちにすぐ、瞑想するように勧めています。私たちもダンマパダの言葉を学んだらすぐ冥想をした方がいいのです。

しかし、ほとんどの方は本当は瞑想は嫌いです。ある程度、瞑想の必要性を理解した人でも瞑想はすぐに嫌になるのです。瞑想をいなければいけないと思いながらも、いろいろな理由のために、瞑想はしません。瞑想を初めても、すぐ心は瞑想を嫌がっています。足が痛くなる前に、本当は心が苦しいのです。心はいつも自分かってに好きなことがしたいのです。心にとっては瞑想に縛られるのは本当に嫌なのです。実は心は五欲(快い感覚を求める欲)に縛られた五欲の奴隷ですが、そのことには気がついいていません。五欲に縛られるなということを、上の詩では「汝らの欲の対象に心を楽しませるなかれ」という言葉で表現しています。

五欲の支配はあまりにも強く、しかもそれに気づかない、或は気づこうとしないものなので、それに対して悪魔という言葉も使います。悪魔が瞑想の邪魔をします。悪魔は瞑想をさせたくないから、多くの人は瞑想が嫌いなのです。悪魔は瞑想によって、自分の正体が暴露され、自分の支配から離れさせないようにしているのです。

ですから、瞑想をしたくないと思うのは普通の現象で、瞑想をしなくはいけないのに、できないと悩む必要はありません。ですが、いつまでも悪魔のかってを許すわけにはいかないと思います。この悪魔が私たちの苦しみの原因だからです。敵は強力、強敵ですから、一編には倒せません。しかし、敵の搦め手もあります。敵の搦め手は正体を知られることです。悪魔は正体が暴露されることを一番嫌います。悪魔は正体が暴露されるとすごすごと退散するという性質もあります。退散してもまた現れるというしつこい面もありますが、悪魔の正体を見極めることです。悪魔すなわち五欲がどのように現れ、どのように心を支配しているのかを見極めることです。それがヴィパッサナー瞑想です。

瞑想して、慈悲の心を育て、穏やかな心になろうとして取り組むのは非常に大切なことですが、瞑想をやりたくない時は悪魔が邪魔をしているのだと思って、悪魔に負けないぞという気持ちも大切です。これは自分自身に負けないと言うことでもあります。悪魔は自分の欲望なのですから。


冥想を 放逸しないで 実践し 欲望に勝ち 苦しむなかれ(371)


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

ぱん
2013年01月30日 18:41
瞑想したくない、これはわかります。私は仏道修行十年ですが、最初の5、6年ほどは、ほとんど瞑想してませんでした。今でも毎日、悪魔が邪魔してきます。十年で決着がつかなかったので、もう十年かけるくらいの気持ちで、気長に修行をしてゆきたいと思います。
カエルくん
2013年01月30日 20:11
こんばんは。
瞑想、サボってます…。
仏教に出会ったばかりのころの方が真剣でした。いろいろ苦しいことが多かったので。
本を読んだり瞑想をすることで価値観が変わり、苦しみが減ったことで怠けが出てきました。
特に眠気との戦いです。「勇敢に」眠気と戦います(^^;
あすか
2013年01月31日 16:57
足が痛いだのなんだのは
言い訳というのはよくわかります。
欲で夢中になり足がしびれたどころか
お腹がすいたのも眠いのも忘れ、
ということがあるからです。
マーラにまけないようがんばります。
こころざし
2016年01月24日 08:50
私事ですが、昨日東海ダンマサークル自主冥想会に参加して参りました。普段している1時間の座る冥想等と比べ、時間だけで言うと数倍の実践の機会を頂きました。
座る冥想1時間の2回目・・とやっていくと、疲れも出るのかだんだんと「冥想よりもっと他にやる事があるのでは?」「これ(冥想実践)に意味があるのか?」みたいな悪魔のような声が自分の中から出てきました。その思考?・煩悩に流されると、容易に冥想の継続は困難になりそうな状況になりました。早期にサティして止める大切さを実感するような機会になりました。
(自分的に比較的)長めに冥想実践する時も、サティに徹する事が出来る割合を増やせるように精進したいです。