もろもろの 渇愛捨てて 出家する 渇愛消えた 彼はバラモン(416)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
渇愛って何ですか?
のどがかわいたときに、
水を欲しいと思うような
気持ちです。


○パーリ語原文と訳語

ヨーダ   タンハン  パハントゥワーナ
Yodha    taṇhaṃ   pahantvāna,
この世で  渇愛を   捨てて

アナーガーロー   パリッバジェー
anāgāro       paribbaje;
家なき者として   遍歴する

タンハーバワパリッキーナン
Taṇhābhavaparikkhīṇaṃ ,
渇愛の生存を 滅尽した

タマハン  ブルーミ  ブラーフマナン
tamahaṃ   brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は   呼ぶ   バラモンと


○直訳
この世で渇愛を捨てて
家なき者として遍歴する
渇愛の生存を滅尽した
彼を私はバラモンと呼ぶ


○意訳
この世の渇愛を捨て去って
出家して遊行する
渇愛のある生活が消えた人
彼を私はバラモンと呼ぶ


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年12月
*もろもろの渇愛捨てて出家する渇愛消えた彼はバラモン
http://76263383.at.webry.info/200812/article_24.html

2009年10月
*もろもろの渇愛捨てて出家する渇愛消えた彼はバラモン(416)
http://76263383.at.webry.info/200910/article_29.html


○一口メモ
今回の416番の詩は、415番の欲望(カーマ)が渇愛(タンハー)に変わっただけの詩です。

欲望は一般用語でも使いますが、仏教用語として使うときは、五感の刺激による欲望(五欲)です。

渇愛は仏教用語です。喉が渇いた人が激しく水を求めるような欲求を言います。渇愛は三種類に分類されます。
1.欲愛(カーマ・タンハー):五欲に対する渇愛(物や楽しみを求める欲求)
2.有愛(バワ・タンハー):生存に対する渇愛(なんとしてでも生きていたいという欲求)
3.無有愛(ヴィバワ・タンハー):非生存に対する渇愛(死んですべてを終わらせたいという欲求)

仏教で渇愛という言葉が使われる主な文脈は2つあります。

1.四聖諦:ブッダが悟られた四つの聖なる真理
①苦という聖なる真理 : 生まれは苦です。老いも苦です。死も苦です。愁い・悲しみ・憂い・悩みも苦です。愛さない者たちと会うのは苦です。愛する者たちと会わないのは苦です。求めて得られないのは苦です。身心への執着は苦です。

②苦の生起という聖なる真理 : 再生を起こし、喜び貪りを伴い。ここかしこで歓喜する渇愛です。すなわち欲愛と有愛と無有愛です。(これが三種類の渇愛です。)

③苦の滅尽という聖なる真理 : 渇愛の消滅による完全な滅尽・捨棄・破棄・解脱・無執着です。

④苦の滅尽に至る行道という聖なる真理 : 聖なる八正道、すなわち正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定です。

2.十二因縁の教え
無明に縁って行が生じる。行に縁って識が生じる。
識に縁って名色が生じる。名色に縁って六処が生じる。
六処に縁って触が生じる。触に縁って受が生じる。
受に縁って渇愛が生じる。渇愛に縁って固執が生じる。・・・(ここに渇愛がある。)
固執に縁って有が生じる。有に縁って生が生じる。
生に縁って老、死、憂愁、悲泣、苦しみ、悩み、落ち込みが現れる。
このようにして、このすべての苦蘊の生起がある。
(日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」p25より)
 
この渇愛さえなくせば、すべての苦が消滅し、渇愛をなくした人は解脱するのです。解脱した人は阿羅漢であり、バラモンと呼ぶべき人なのです。
(以上2009年10月の記事を一部修正)


もろもろの 渇愛捨てて 出家する 渇愛消えた 彼はバラモン(416)


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎2013年3月25日(月)~3月31日(日)はワンギーサが熱海における一週間宿泊自主冥想会を担当するために、ゴータミー精舎の朝晩の自主冥想会はお休み致します。
4月1日(月)からは通常通り朝晩の自主冥想会は再開致します。ご注意お願いいたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

カエルくん
2013年03月15日 23:03
こんばんは。

もっともっとと思うから苦しいのですね。
もうちょっと○○があればいいのに…と考えがちですが、やめるように気を付けています。
足るを知ることが大切、と思いますが、渇愛を全て手放す、というのは少欲知足のさらに上の境地ですよね、きっと。
あすか
2013年03月17日 10:18
渇愛とは本当によく言ったものですね。
その苦しいこと苦しいこと。
しっかり観察して、もうこりごり、
となればいいのですが、なかなか。^^;

こころざし
2016年02月08日 07:38
渇愛という言葉に最初慣れませんでしたが、よく意味を表しているなと感じます。
渇愛が強いと、日常生活も支障をきたす状態になりかねないと思います。酒・異性・賭博みたいなものも同類になるでしょうか。
渇愛を減らすように、無くすようにしていきたいです