人間の この身は不浄 悪臭で 汚物に満ちて それは流れでる<205>及び<206>

○少年少女のためのスッタニパータ205.206.
・・・
誰でも皆おなじ
不浄な身体を持ちながら、
私は偉いといばり、
他人を軽蔑する人には
何処を見ているのと言いたくなるよ。


205.206.第1 蛇の章 11.勝利の経 13.14.

○日本テーラワーダ仏教協会訳
205.
不浄で、悪臭を放つ、
この身体を人間が守っている。
種々の汚物が充満し、
ここかしこから流れ出ている。

206.
このような身体をもちながら、
自分を偉いものだと思い、
また他人を軽蔑するならば、
かれは〈観る能力が無い〉という以外の何だろう。


○毎田周一先生訳
205(13)
この人間の身が汚れてゐて
いやな臭ひを出すのをあれこれ気をつけてかばつてはみても
色々の老廃物で一杯なので
それがここかしこから滲(し)み出て来る

206(14)
こんな身を持ちながら
自分を立派だと思ひ
そして他人を軽蔑するものがあるならば
――これ以上に間違つた ものの見方が何処ににあらうか


○中村元先生訳
205
人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、
(花や香を以て)まもられている。
種々の汚物が充満し、
ここかしこから流れ出る。

206
このような身体をもちながら、
自分を偉いものだと思い、
また他人を軽蔑するならば、
かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。


○正田大観先生訳
207.(205) 
この二足の者(人間)は、不浄で、悪臭があり、
〔諸々の香料によって、悪臭から〕守られている。
種々なる死骸(汚物)で遍く満ち、
そこかしこから、〔汚物が〕流れ出ている。(13) 208.(206) 
このようなものである〔不浄の〕身体によって、
彼が、傲慢たるべく思いなし(他者に褒められたいと思い考え)、
あるいは、他者を見下すなら、
〔彼は〕見なき者より他の、何だというのだろう
(盲者以外の何ものでもない)。ということで――(14)

○パーリ語原文
207.
ディパーダコーヤン    アスチ
Dipādakoyaṃ        asuci,
二足者は  これを     不浄で

ドゥッガンドー     パリヒーラティ
duggandho      parihīrati;
悪臭があり      守られている

ナーナークナパパリプートー
Nānākuṇapaparipūro,
色々な死骸(汚物)が満ちている

ウィッサワントー    タトー      タトー
vissavanto         tato       tato.
流れでつつある      それから   それから

208.
エターディセーナ     カーイェーナ
Etādisena          kāyena,
このような         身体によって

ヨー     マンニェー     ウンナメータヴェー
yo      maññe        uṇṇametave;
彼は    思う          自分を偉いものだ

パラン    ワー     アワジャーネッヤ
Paraṃ    vā       avajāneyya,
他人を   或は      軽蔑するならば

キマンニャトゥラ     アダッサナーティ
Kimaññatra        adassanāti.
他の何であろうか     見識のない者 と


○一口メモ
205偈と206偈は「勝利の経」のまとめです。193偈からいろいろ身体について見てきました。そして身体は、不浄で、悪臭を放つものであり、身体の穴からは汚物が絶えず流れているのだというのです。人々は自分の身体に執着して、身体は一番大切、一番かわいいと思っているからです。そのように思っている限り、人は身体に拘束、束縛されることになるのです。そのように思っている限り、心は身体の奴隷になっているのです。

身体の奴隷とは何か、それは五感の奴隷ということです。五感から心に欲や怒りが生まれます。五感に快の感覚があれは欲が生まれ、不快があれば怒りが生まれます。五感の奴隷とは欲と怒りの奴隷ということです。すなわち、身体に執着すると、欲や怒りの煩悩の奴隷になることなのです。身体をありのままに見ることにより、身体への執着から離れることが出来ます。そうすると、煩悩の支配から離れることが出来るのです。それは煩悩を克服することです。それがゆえに、この経を「勝利の経」と言うのです。

ところが、このような身体を持ちながらも、まだ自分を立派、偉いと思っている者は、更に、他人を軽蔑し、他人を見下す者は、ここでは単に愚か者とは言わずに、見る力がない者だと言われてます。見る力がないことが如何なることか、改めて考えてもらいたいと思います。結論を言えば、敗北者ということであります。

今回で「勝利の経」は終わり、明日からは「聖者の経」になります。


人間の この身は不浄 悪臭で 汚物に満ちて それは流れでる<205>

それなのに 自分を上に 他を下に 思いなす者 見る力なし<206>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎緊急連絡:9月15日(日)から9月19日(木)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。尚、朝5時から7時の自主瞑想回は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。しかし、朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

櫻井由紀
2013年09月14日 15:56
袋の
色・形・大きさ・感触など
どうであれ
薄い皮一枚の
悪臭放つ汚物で一杯の
肉袋。
あと何回
臭い肉袋に
戻る事になるのでしょうかね。。。。。
精進しなくては。

ワンギーサ先生の
「宝」のごとくの御解説により
御陰様でまた沢山の事を学びました。
これらを実践する事で
本当の意味で「自分のもの」にし
来世まで相続出来るよう頑張ります。
先生、ありがとうございます。
次の「聖者の経」も楽しみです。
生きとし生けるものが幸せでありますように
たにぐち
2013年09月14日 22:40
ワンギーサ先生質問です。
「なぜ人生は、うまくいかないのか?」の
P89にこうありました。
・・・・・・・・・・・・・
とくにお釈迦さまはこう言われました。
「世の中にある美しいものは何も悪いこ
とはありません。それに関わるあなたの欲、
心の束縛が問題なのです」と。
・・・・・・・・・・・・・
ここを読みますとお釈迦様は世の中には
美しいものがありますよ。と仰っているように
思うのですが、具体的に何を美しいと
仰っているのでしょうか??

よろしくお願いいたします。
ワンギーサ
2013年09月15日 04:00
たにぐちさん、おはようございます。

質問はありがたいのですが、その質問は私にはではなく、スマナサーラ長老にすべきだと思います。
日本テーラワーダ仏教協会の事務局にメールすれば、
スマナサーラ長老に伝えてくれると思います。
不親切なようですが、スマナサーラ長老の本についての質問ですから、私があれこれ言うべき問題ではないと思いました。
そういうことで、よろしくお願いいたします。
たにぐち
2013年09月15日 08:07
ワンギーサ先生、皆さまおはようございます。
挨拶なしの質問文で失礼しました(^^;;
そのようにやってみます。

こころざし
2016年04月09日 10:52
先日、気持ちのよくない言葉を投げかけてくる方に、それが不快である事と・何故不快に思うのかの根拠をお伝えしました。そうしたら「もう関わらない」との返事がきました。今後も良好な人間関係を培っていく上で不快に思うことは止めて欲しいとの気持ちを持った自分が良かったのか、考える機会になりました。感じた事を感じたで止め、そして今・ここのサティで生きれるようになれば、そのような状況にもならないのではと痛感しています。実践して参ります。
たか坊
2016年08月02日 15:32
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪