バラモンは 財産をえて 欲に溺れ ヴェーダを改ざん 王をそそのかす<306>

○少年少女のためのスッタニパータ306.
・・・
一つ悪いことをすると、
また悪いことをしやすくなっる。
だから、一つでも悪いことをするな。
善いことをすると、
また善いことをしやすくなる。
だから、一つでも善いことをせよ。


スッタニパータ306. 第2 小さな章 7.バラモン法経 23.

○中村元先生訳
306
そこでかれらは財を得たのであるが、
さらにそれを蓄積することを願った。
かれらは欲に溺れて、
さらに欲念が増長した。
そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、
再び甘蔗王に近づいた。


○正田大観先生訳
309.(306) 
さてまた、そこで、彼らは、財を得て、
蓄積することを喜び合いました。
〔自らの〕欲求に沈んだ彼らに、
渇愛〔の思い〕は、より一層、増大しました。
そこで、彼らは、諸々の呪文を編纂して、
ふたたび、オッカーカ〔王〕のもとへと近づいて行きました。(23)


○パーリ語原文
308.
テー     チャ    タッタ   ダナン     ラッダー
‘‘Te     ca      tattha   dhanaṃ    laddhā,
彼らは   また     そこで   財産を    得て

サンニディン    サマローチャユン
sannidhiṃ      samarocayuṃ;
貯蔵を       喜び合った

テーサン    イッチャーワティンナーナン
Tesaṃ      icchāvatiṇṇānaṃ,
彼らの     欲に溺れたこと

ビッヨー   タンハー    パワッダタ
bhiyyo     taṇhā      pavaḍḍhatha;
益々     渇愛が     増大した

テー    タッタ    マンテー   ガンテートゥワー
Te      tattha   mante      ganthetvā,
彼らは   そこで   呪文を     編纂して

オッカーカン       プナムパーガムン
okkākaṃ          punamupāgamuṃ.
オッカーカ王のもとに  再び近づいた


○一口メモ
バラモンたちは王から、財産を得ました。彼らは長い間、ただ一日分の食べものを得て生活していましたが、財産を得て、欲に溺れてしまったので、もっと財産が欲しくなり、財産を溜めようと思ったのです。牛乳など牛の五味の味を知ったら、「肉はもっと美味しいだろう」と考えました。そこで益々渇愛が増大したのでした。

しかし、バラモンたちは「自分の手で牛を殺して食べれば、非難されるだろ」と考えて、牛を殺してもよいという聖典を編纂しました。そして、偽の聖典を携えて、再びオッカーカ王のところに行ったのでした。バラモンたちの心に欲が現れると、悪行為を重ねることになったのです。生きものを殺すことを企てること。経典を捏造すること。王を虚偽の事がらでそそのかすこと。


バラモンは 財産をえて 欲に溺れ ヴェーダを改ざん 王をそそのかす<306>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎12月28日(土)から1月3日(金)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

ごろた石てつや
2013年12月21日 23:25
これらの行いは、古からの生き物の本性であり、生命としての人間の姿です。
生命は、他の生命の命を奪い、身体に吸収し、又は利用し、命を維持しております。

私が思うに、その行為に理性があるか、ないか。
理性をもって、それらの行為をするか否か。
が分岐点だと思います。

足元(心)が浮ついているか否か。

追伸
明日、アラナ精舎にてクサラダンマ長老の法話に出席させて頂きます。
こころざし
2016年05月15日 08:57
自分の、守るものが欲の成就になってしまうと、もうすべてなし崩しになる印象を感じます。現在、法律があり警察官がいて罪を犯すと罰するという状況になっていないと、社会秩序が保てない理由になるでしょうか。悲しい事と思います。
良いことをして悪いことをせず、そして欲の方に走らずに生きれるようにしたいです。