いにしえの バラモンたちは 妻たちの 月経時は避けて 秩序を守った<291>

○少年少女のためのスッタニパータ291.
・・・
遊びは自由に
行なえばよいのですが、
みんなで仲良く行うことは
必要なことです。


スッタニパータ291. 第2 小さな章 7.バラモン法経 8.

○中村元先生訳
291
(同棲して楽しんだのではあるけども)、バラモンたちは、
(妻に近づき得る)時を除いて
月経のために遠ざかったときは、
その間は決して婬欲の交わりを行わなかった。


○正田大観先生訳
294.(291) 
〔適切な〕その時より他には、
月経で離れている〔妻〕に向かって、
〔その〕間、婆羅門たちは、
まさに、淫欲の法(性質)に赴きません(性交しない)。(8)


○パーリ語原文
293.
アンニャトゥラ    タンハー     サマヤー
‘‘Aññatra       tamhā       samayā,
他は         それより      時より

ウトゥウェーラマニン     パティ
utuveramaṇiṃ         pati;
月経時を避ける(妻に)   対して

アンタラー    メートゥナン    ダンマン
Antarā       methunaṃ     dhammaṃ,
その間      淫欲         法

ナッス     ガッチャンティ    ブラーフマナー
nāssu      gacchanti       brāhmaṇā.
決してない  行く          バラモン達は


○一口メモ
昔のバラモンが妻を求め、性的な関係を持つのは、息子を作り、家系を断絶しないためでありました。ですから、その行為は欲望のためというよりは、秩序を守るためでした。ですから、妻の月経時はその行為の目的に沿うものではありませんから、その時期の性交は決して行いませんでした。

家系の存続を大切にする意味はあまりないとは思いますので、意味のない行為における正しいあり方を問題することもあまり意味がないとは思います。しかし、それが秩序を乱すことにならないように、それなりに正しく行うことは必要なことだと思います。


いにしえの バラモンたちは 妻たちの 月経時は避けて 秩序を守った<291>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎12月14日(土)の夜の自主瞑想会は、都合によりお休みいたします。ご了承をお願いいたします。


◎12月28日(土)から1月3日(金)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。

この記事へのコメント

ごろた石てつや
2013年12月07日 12:28
生命において、性行為は、違う性質のDNAを結合をする事(子孫)により、環境の適応性を強化する事が、目的の第一番目です。
そして優位(強い)なDNAを残す為に、争いが起こります。

性交は、最も強い心の揺れを招き、快感を得ます。
その快感に執着すると思います。
人間と極一部の生命は、発情期のサイクルがなく日常生活の中で性交を重ねます。

これらの事実に蓋をするのでは無く、冷静に観察し、本質を理解し、その中で自分の心の揺れを捨てる鍛錬を行い、どの様に乗り越えるのかを模索し、実践して、理性を磨く必要があると思います。

私が、悟りに興味が無いと言っているのは、悟るという究極な目的の前に、まずは自分が乗り越えなければいけない目の前の現実があるからです。
それは、「心の揺れを捨てる鍛錬」です。
心の揺れを捨てて、理性が完熟した時に、悟りの道が見えて来ると思います。

Vayadhammā saṅkhārā appamādena sampādethā
櫻井由紀
2013年12月07日 13:01
家系の存続にこだわる人々は
どこかにその家系の「始まり」が
あると思っているのでしょうか?

生きとし生けるものが幸せでありますように
鹿野苑の馬鹿凡
2013年12月07日 21:13
(1)ここでは、ワンギーサ先生のご指摘のとおり、昔のバラモンは跡継ぎを絶やさなさいためという目的の下に自己の性欲を制御した、という点を押さえることが重要だと思います。

この点、「欲望の充足こそが幸せの道ではあるものの、欲に目がくらんで暴走すれば不幸になるので何事も程ほどにせよ」ということは昔も今も世間の良識でしょう。そこからは、欲望自体を目的化することを前提としつつ、「健全な性生活は夫婦円満の秘訣の一つ」等とされるのがせいぜいのところでしょう。「適量の酒は百薬の長」というのと相通じるところがあるような・・・

これに対して、性欲に「子孫を儲けるため」という合目的的な限定を加える昔のバラモンの規律は、「程ほどの欲望であれば良い」という上記の世間の良識からは一歩進み出た赴きがあると見ることもできるのではないでしょうか。
ただし、完全な智慧がなければ欲望を完璧に抑える、ないしは欲望を消し去ることはできません。そのように完全な智慧を獲得する道が一般に開かれるようになるためには、ブッダのご出現を待つしかなかったのだと・・・
鹿野苑の馬鹿凡
2013年12月07日 21:17
(2)それでも、昔のバラモンの智慧は結構イイ線にまで行っていたのかもしれません。そうだとすれば、ブッダが出現される前の時代における最善の智慧を、家系を繋ぐことで後世に伝えていくことに意味を見出すこともできたのではないでしょうか。なぜなら、昔のバラモンの家系・伝統が、その中から独覚が現れる可能性を高めたかもしれませんし、ブッダが出現された際には昔のバラモンの伝統を受け継いで守っていた者からいち早くブッダのダンマの恩恵に預かることが容易にできたのではないかと思われるからです。例えば、サーリプッタ尊者もモッガラーナ尊者もバラモンのご出身でした。
また、お釈迦様はクシャトリアのご出身ですが、過去仏にはバラモンのご出身もいらしたそうですし・・・
まあ、いろいろと見方はあるのではないかとちょっと考えてみたところです。

皆様に智慧の光が輝きますように
生きとし生けるものが幸せでありますように

ななつ
2013年12月07日 21:43
昔のバラモンの人々は、その戒律に心を清らかにする意味があるかどうかはさておき、当時バラモン人が守るべき戒律はしっかり守っていたということなんですね。
私も仏教の戒律の意味をしっかりと理解して守らなくてはいけないなあと思いました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
こころざし
2016年05月10日 07:14
変な話になりますが、性欲が旺盛で妻が月経でも容赦なかった記憶があります。それがどうしたの?という感じでしたが、理性はなかったと言い切れるように感じます。そのような意味で、バラモンは理性を的なものを感じました。
今は性欲自体を制御して参りたいです。