ブッダ様 仰る通りの 方ならば この世において 正遊行する<375>

○少年少女のためのスッタニパータ375
・・・
お釈迦様の懇切丁寧な
説法を聞けばよく分かる。
あとは実践するだけだ。


スッタニパータ375. 第2 小さな章 13.正しい遍歴遊行経 17.

○中村元先生訳
375
「尊いお方(ブッダ)さま。まことにこれはそのとおりです。
このように生活し、みずから制する修行者は、
あらゆる束縛を超えているのです。
かれは正しく世の中を遍歴するでしょう。」


○正田大観先生訳
378.(375) 
〔化仏が言った〕
「世尊よ、まさに、たしかに、このことは、まさしく、そのとおりです。
すなわち、彼が、比丘として、このように〔世に〕住む者であり、
〔心身が〕調御された者であり、一切の束縛するものの束縛を超克した者であるなら、
彼は、世において、正しく遍歴遊行するでしょう」〔と〕。ということで――(17)


○パーリ語原文
377.
アッダー    ヒ    バガワー   タテーワ   エータン
‘‘Addhā    hi     bhagavā    tatheva     etaṃ,
確かに    まさに  世尊よ    その通り    これは

ヨー   ソー    エワンウィハーリー   ダントー    ビック
yo     so      evaṃvihārī        danto      bhikkhu;
者は   彼は    このように生活する  調御する者  比丘として

サッバサンヤジャナヨーガウィーティワットー
Sabbasaṃyojanayogavītivatto,
一切の結縛と束縛を克服した者

サンマー  ソー   ローケー    パリッバジェッヤーティ
sammā    so    loke        paribbajeyyā’’ti.
正しく    彼は  この世で    遍歴遊行するだろう・と


○一口メモ
今回の偈はブッダに「正しい遍歴遊行について」質問したブッダの化身が述べたものです。
その質問に対して、ブッダは15の偈で答えてくれました。それに対して化身のブッダはその説法を「確かに、世尊よ。その通りであります。」と褒め称えます。その説法の内容の概略は次の通りです。

吉凶の 占いやめた 修行者は この世において 正遊行する<360>
修行者は 迷いの生活 超越し この世において 正遊行する<361>
順逆の 思いをやめた 修行者は この世において 正遊行する<362>
束縛から 解放された 修行者は この世において 正遊行する<363>
生存の 要素は無我と 知る比丘は この世において 正遊行する<364>
心口意で 逆らうことない 修行者は この世において 正遊行する<365>
感情に 支配されない 修行者は この世において 正遊行する<366>
渇愛を 捨て疑いを 無にすれば この世において 正遊行する<367>
比丘らしい しぐさで行い 法知れば この世において 正遊行する<368>
願うこと 求めることない 修行者は この世において 正遊行する<369>
他の人と 比べる心 ないならば この世において 正遊行する<370>
法則を 理解している 賢い人は この世において 正遊行する<371>
煩悩の 勝利者である 阿羅漢は この世において 正遊行する<372>
解脱者は 過去も未来も 悩まずに この世において 正遊行する<373>
涅槃知り 依存滅した 阿羅漢は この世において 正遊行する<374>

吉凶の占いを止めることから始まり、解脱し、涅槃を体得した阿羅漢は「このように正しく遍歴遊行するだろう」と述べられたのです。

これに対して化身のブッダは「一切の結縛を克服した者は遍歴遊行するでしょう」と表現してまとめました。

この経の終わりにおいて、百千億の神々は、阿羅漢果を得たということです。また聴衆のなかで預流果・一来果・不還果を得た者は数えきれないと言われています。


ブッダ様 仰る通りの 方ならば この世において 正遊行する<375>


◎人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎3月20日(木)から3月26日(水)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

みき
2014年03月03日 12:06
仏教徒は仏陀の言葉を信じて修行を実行したら、いいと思いますが、中々持続が出来ない私がいます。

言葉でわかっているつもりで、中々理解しきれない言葉です。少しずつでも理解出来るように日々修行を精進します。
noritarou
2014年03月03日 15:31
>一切の結縛を克服

言葉で記憶し、無常・苦・無我を理解し、正しく実践し、清らかな心で、喜びと幸福感と共に日々明るく精進し、精進出来る人生に感謝していても、解脱に達する方は、本当に少ないのでしょう。
人間に生まれたからには、個を律して涅槃に達する可能性もありますが、日々の感情や出来事から、悪に落ちる可能性の方が高いでしょう。
苦・無常・無我をお護りにして、慈悲の心で生きられたらと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
SRKWブッダ
2014年07月26日 17:43
赤色を一度理解したならば、一生涯その理解が損なわれることがない。これは記憶に頼ったことがらではないからである。覚りは一度達したならば、決して衆生に逆戻りすることがない。これも記憶に頼ったことがらではないからである。この意味において、修行は何かを記憶する過程ではない。修行とは、功徳を積む過程の総体なのである。

苦も世のことがらであり、無常であると、もろもろの如来は見極めた。ゆえに、苦は滅ぼすことが出来るものである。これは、人の覚りを保証する根底の根拠となる。もし、苦が無常でないならば、覚ることは出来ないであろう。

人々(衆生)は、苦に安住している。その悲しむべき実相を見極めた時、出離の気持ちが定まり、ついに解脱が起こる。

無我(あるいは非我)を知らなくても、人は覚る(=解脱する)ことが出来る。無我の真相は、覚ったあとに知ることになる。

これらのことを理解したならば、覚らない人など一人もいない。地獄に堕ちる心配もない。 世に覚りに達する人が少ないのは、自ら構えた偏見に固執しているからである。遍歴とは、この偏見を捨て去るために自ら(の明知によって)見い出し、実行されるあらゆる過程を差す。このような人は、慌てなくても、適時に解脱を生じるであろう。修行者は、静けさを目指してゆっくりと邁進せよ。その先に、確かにニルヴァーナが存在しているからである。

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こころざし
2016年06月06日 19:26
家庭・仕事があり遍歴出来る様な環境ではない自分ですが、今の日常の中で実践し、なんとか成長して、出来れば悟りたいと思います。何処までやれば預流果の域にいけるか分かりませんが、ブッダの教えに確信を持っています。
毎日夜叉のようや誘惑に変われて時々頂けない状況になり反省しますが、その愚かさに気が付いて誘惑に負けない精神を持ちたいです。