托鉢を 終えて聖者は 町を出て パンダヴァ山に 登られました<414>

○少年少女のためのスッタニパータ414
・・・
昔の修行者は托鉢ができ、
修行の邪魔にならない
森や山と町の中間に
住んでいたのですね。


スッタニパータ414. 第3 大きな章 1.出家経 10.

○中村元先生訳
414
聖者は托鉢を終えて、
その都市の外に出て、
パンダヴァ山に赴いた。
──かれはそこに住んでいるのであろう。


○正田大観先生訳
417.(414) 
〔行乞の〕食の行(托鉢行)を歩んで〔そののち〕、
牟尼は、城市を出て、
パンダヴァ〔山〕へと〔歩を〕運びました。
ここが住居と成るのでしょう。(10)


○パーリ語原文
416.
ピンダチャーラン    チャリトゥワーナ
Piṇḍacāraṃ        caritvāna,
托鉢行を         行って

ニッカンマ     ナガラー    ムニ
nikkhamma     nagarā     muni;
出て         都城を     聖者は

パンダワン     アビハーレースィ
Paṇḍavaṃ      abhihāresi,
パンダヴァ山    赴いた

エッタ     ワーソー    バウィッサティ
ettha      vāso       bhavissati.
ここに     住まいが    あるのだろう


○一口メモ
今回の偈は難しくありません。書いてある通りです。例の比丘の後をつけて行ったビンビサーラ王の家来は「比丘は托鉢を行ってから、町を出て、パンダヴァ山に行った。」と観察したのです。そして「そこに彼の住まいがあるだろう」と思ったのです。

4月5日のブログ記事で次のように説明した五つの山の一つです。「『ギリッバジャ』とはラージャガハ(王舎城)の別名で、山に囲まれたという意味です。その山は五つあり、パンダヴァ(白善山)、ギジャクータ(霊鷲山)、ヴェーバーラ(広普山)、イシギリ(仙人堀山)、ヴェープッラ(負重山)です。」

またこの偈では、聖者という言葉が出てきますが、この比丘はまだ聖者になっているわけではありませんが、当時の世間の慣例で、出家者を聖者と呼んでいたからです。

また余談ですが、4月8日のブログ記事に「ある方へのアドバイス」を書きましたが、その方からメールで御返事を頂きました。その方はご自分で計画を立て、実践されていました。そしてそれなりの成果を得ているとのことでした。私の杞憂だったと安心しました。あの文章を読まれて御心配されたブログ読者の方もおられると思いまして、あえて報告させて頂きました。ありがとうございました。


托鉢を 終えて聖者は 町を出て パンダヴァ山に 登られました<414>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎4月28日(月)から5月6日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが関西ウェーサーカ祭及び熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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王の使者 命令されて この比丘の あとを追いかけ 住まいを探す<412>及び<413>

○少年少女のためのスッタニパータ412.413.
・・・
無意識に怒ったり、
笑っているのではなく、
自覚でしていれば
いろいろな能力が
向上するよ。


スッタニパータ412.413. 第3 大きな章 1.出家経 8.9.

○中村元先生訳
412
派遣された王の使者どもは、
かれのあとを追って行った。
──「この修行者はどこへ行くのだろう。
かれはどこに住んでいるのだろう」と。

413
かれは、諸々の感官を制し、よくまもり、
正しく自覚し、気をつけながら、
家ごとに食を乞うて、
その鉢を速やかにみたした。


○正田大観先生訳
415.(412) 
彼らは、命じられた王の使者たちは、
〔覚者の〕後を追いました
――『比丘は、どこに赴くのだろう。
どこが住居と成るのだろう』〔と〕。(8)

416.(413) 
〔感官の〕門が守られ、〔自己が〕善く統御された方は、
〔行乞のために〕歩々淡々と歩みながら、
すみやかに、鉢を〔施物で〕満たしました
――正知と気づきの者として。(9)


○パーリ語原文
414.
テー    ペースィター     ラージャドゥーター
Te     pesitā         rājadūtā,
彼ら   命令された      王の使者は

ピッティトー    アヌバンディスン
piṭṭhito       anubandhisuṃ;
後ろから      跡を付けた

クヒン    ガミッサティ   ビック
Kuhiṃ    gamissati     bhikkhu,
何処に   行くのだろうか 比丘は

カッタ    ワーソー   バウィッサティ
kattha    vāso      bhavissati.
何処に   住まいが   あるだろうか 

415.
サパダーナン   チャラマーノー
Sapadānaṃ     caramāno,
一歩一歩     行きながら

グッタドゥワーロー    スサンウトー
guttadvāro         susaṃvuto;
(感覚の)門を守り    威儀を正して

キッパン   パッタン    アプーレースィ
Khippaṃ    pattaṃ     apūresi,
すみやかに  鉢を      満たした

サンパジャーノー   パティッサトー
sampajāno        paṭissato.
自覚して        気づいている


○一口メモ
今回は二つの偈について説明します。始めの偈は、述べられている通りで、どこも難しくありません。

ビンビサーラ王に命じられた家来たちは、高貴な様子の比丘の後を追っていきました。彼らはその比丘は「どこに行くのだろうか? 彼のどこに住んでいるのだろうか?」と考えました。

二つ目の413番は、少し説明した方がよいところがあります。始めの言葉Sapadānaṃはパーリ語仏教辞典には、「同じ足をもって→絶えず、間断なく、次第に」と出ています。またsapadānaṃ carati は「絶えず経行す、家から家に食を乞うて行く」と出ています。経行は歩く瞑想のことです。つまり、この偈の一行目は、家ごとに、歩く瞑想をしながら、托鉢をしたということだと思います。

そして、guttadvāro「感覚の門を守り」とは、感覚により、すなわち見ること、聞くことなどで、心を動揺させることのないように歩いたと言うことです。

二行目susaṃvuto「威儀を正して」とは行住坐臥において、私は歩いている、私は立っている、私は坐っている、私は横になっていると知っている、自覚していることです。

三行目「すみやかに、鉢を〔施物で〕満たしました」とは、そのような高貴な立ち振る舞いの比丘に対して、町の人は喜んで食べ物をお布施したということだと思います。

四行目、「正知と気づきの者として」はヴィパッサナー瞑想について述べてある長部経典第22大念処経あるいは中部経典第10念処経に繰り返し述べられている「正知と念を具えて」ということです。身受心法(身体、感覚、心、真理)について気づいていて、それを自覚していることです。この説明だけではよく分からないかもしれませんが、現在日本テーラーワーダ仏協会の機関誌パティパダーに連載記事がありますからお読みください。また日本テーラーワーダ仏協会のHPにその説明はあります。

この偈は悟る以前のこのシッダルタ比丘の日常生活の態度が述べられているのです。


王の使者 命令されて この比丘の あとを追いかけ 住まいを探す<412>
この比丘は 感覚守り 威儀正し 念と正知で 托鉢していた<413>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

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眼を落とし 念ある人で 品がある 彼を追いかけ 行先調べよ<411>

○少年少女のためのスッタニパータ411
・・・
あの少年は無口だが、
眼は輝いている。
心に光るものがあるのだろう。
友達になりたいものだ。


スッタニパータ411. 第3 大きな章 1.出家経 7.

○中村元先生訳
411
かれは眼を下に向けて気をつけている。
この人は賤しい家の出身ではないようだ。
王の使者どもよ、走り追え。
この修行者はどこへ行くのだろう。」


○正田大観先生訳
414.(411) 
〔生類を殺さぬように注意深く〕眼を落とし、気づき(念)ある者である。
この者は、卑しい家から〔出た者〕のようには〔見え〕ない(人品卑しからぬ者である)。
王の使者たちよ、走れ。
比丘は、どこに赴くのだろう』〔と〕。(7)


○パーリ語原文
413.
オッキッタチャック    サティマー
‘‘Okkhittacakkhu    satimā,
眼を下に向けて     念を具えている

ナーヤン      ニーチャクラーミワ
nāyaṃ        nīcakulāmiva;
ない・この者は  賤しい家の者のようで

ラージャドゥータービダーワントゥ
Rājadūtābhidhāvantu,
王の使者達よ・走れ

クヒン    ビック    ガミッサティ
kuhiṃ    bhikkhu   gamissati’’.
何処に   比丘は   行くであろうか


○一口メモ
マガダ国のビンビサーラ王の家来への命令は続きます。「彼は眼を下に向けている。気付きを絶やさないように歩いている。彼の様子からは賤しい家のではなく、高貴な家の者のように思える。(私は彼に会って話をしたい。) 彼を追いかけ、滞在している場所を確かめよ。」と述べました。

「彼は眼を下に向けている。」という言葉は、パーリ語ではOkkhittacakkhuですが、既に学んだスッタニパータ63番の偈に同じ言葉がありました。下にその偈を要約した短歌とアドレスを記載しましたから参考にして下さい。

目を伏せて うろうろせずに 意を守り 快楽求めず 一人で歩く<63>
http://76263383.at.webry.info/201306/article_2.html

正田先生の訳には「〔生類を殺さぬように注意深く〕眼を落とし」となっています。これは注釈書にも書いてあることですが、これは意味を限定的とらえていると思います。「目を下に向けては」自己観察を表現しているのです。


眼を落とし 念ある人で 品がある 彼を追いかけ 行先調べよ<411>


○ある方へのアドバイス
このブログを読んでおられるというある方へのアドバイスです。先日その方へあるアドバイをしました。しかし、その方の住所やメールアドレスを知りませんのでそれ以後、直接連絡出来ないでいるのです。そのために、この欄を設けて、その方がこの文章を読んでくれればよいなと思って書きます。
アドバイスの内容は、具体的には書きにくいのですが、それはあることをやめた方がよいという提案です。
それは御自分でも充分承知していることだと思いますが、実際には止められないという問題があると思います。自分の心がその気にならなければ、心は決してやめないのです。心は止めたくなのです。ですから、実践する前に、先ず心が本当に止めようと思うようになるまで、心の教育をする必要があります。それには、やめた方がよいということを書いた本をいろいろ読むとよいのです。確かにやめた方がよいと思うまで勉強するのです。それから、やめる計画を立てて実践してください。

それから、大切なことは、少しずつ改善するということです。一遍に変えようと思っても、2、3日はできるかもしれませんが、すぐできなくなります。心も身体も習慣になったことを変えるのは難しいのです。心も身体もそれくらいならば、でいると思える位の少ない量を変えて下さい。一日当たり、1ミリでも、1秒でも、1本でも、1回でもよいから、少しずつ変えて行くのです。それが出来るようになったら、次は2ミリ、2秒、2本、2回にするのです。そのようにして行けば、だんだんできるようになります。その過程で心も強くなっていくのです。少しずつ前進するようにしてください。そうすれば、いつの間にか大きな変化になります。


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

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この人を よく見て下さい 美しく 大きく清らか 歩きが優雅<410>

○少年少女のためのスッタニパータ410
・・・
シッダルタ王子の
出家のすがた形は
大きく清らか
歩く様子も美しかった。


スッタニパータ410. 第3 大きな章 1.出家経 6.

○中村元先生訳
410
「汝ら、この人をみよ。
美しく、大きく、清らかで、
行いも具わり、
眼の前を見るだけである。


○正田大観先生訳
413.(410) 
〔王は言いました〕『諸君よ、このことを、こころして聞け。
〔彼は〕形姿麗しく、偉丈夫で、清らかである。
さらには、行ないを成就し、
かつまた、〔一〕ユガ(尋:長さの単位・一ユガは約二メートル)ばかりを〔隙なく〕見ている。(6)


○パーリ語原文
412.
イマン    ボントー    ニサーメータ
‘‘Imaṃ    bhonto    nisāmetha,
この人を   汝らよ    注意しなさい

アビルーポー    ブラハー    スチ
abhirūpo       brahā      suci;
美しい        大きな     清浄な

チャラネーナ    チャ    サンパンノー
Caraṇena      ca      sampanno,
行ないが      また    具わっている

ユガマッタンチャ      ペッカティ
yugamattañca        pekkhati.
一尋(ヒロ)ほどを・また  見ている


○一口メモ
昨日の偈で述べたように、マガダ国のビンビサーラ王は家来たちに次のように語ったのでした。

「家来たちよ、高楼の下を歩いている人に注目しなさい。彼はすがた形が美しく、大きく、清らかである。行いが具わっている。また、一尋(約2m)ほどを見ている。」

「行ないが具わっている」とは、歩き方が決まっている(優雅)であるということ。

「一尋ほどを見ているだけだ」とは、きょろきょろしてないということだと思います。スマナサーラ長老著「日本人が知らないブッダの話」の75ページの終わりから76ページにかけて次のような記述があります。「当時の出家者たちは国々を自由に遊行していましたから、出家を装って他国の情報を集めるスパイも暗躍していたのです。」 ですからビンビサーラ王は出家者の態度には注意していたのです。

この偈については、今日はここまでにしておきますが、昨日述べた余談の続きを少しいたします。「類は友を呼ぶ」即ち、同じ性質のものは集まるという傾向は、それは自然法則のような気がします。ではなぜそのような自然法則があるのでしょうか? 現在の私の考えは、自然は対立を避け調和を、争いを避け平和を、苦を避け楽を指向しているのだと思います。同じ性質のものが集まるとそのような現象が起こるのです。逆に異なる性質のものが集まると対立、混乱、争いが起こるのです。ですから、同じ性質のものが集まるのです。

輪廻六道の世界も同じです。六道は同じような心の状態の生命が集まってできたのです。完全に対立のない、争いのない、苦のない、大調和の世界は、輪廻の世界から解脱した世界、涅槃というのではないでしょうか。

また、対立を避ける調和という原理は、いずれ読むことになるスッタニパータの第4章でも繰り返し述べられています。これはすべてのレベルに一貫して貫かれた法則です。素粒子、原始、分子、・・・、細胞、組織、個体、集団、国、星、宇宙、・・・。そして、これはそれぞれ独立して働いています。上から命令されて働くものではありません。本来どのレベルも独自にこの大原理に従っているだけで自由です。それで全体と調和が取れているというものです。この原理は複雑系における創発というものだと思います。創発はスマナサーラ長老に聞いて初めて知った概念です。創発について興味のある方はウィキペディアで調べて下さい。以上余談はお終いです。


この人を よく見て下さい 美しく 大きく清らか 歩きが優雅<410>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

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マガタ王 高楼に上り 彼を見た 托鉢する 高貴な出家<409>

○少年少女のためのスッタニパータ409
・・・
マガダ国のビンビサーラ王は
城の窓から
高貴な姿で托鉢をする
出家者を見て、
興味を持ちました。

スッタニパータ409. 第3 大きな章 1.出家経 5.

○中村元先生訳
409
(マガダ王)ビンビサーラは高殿の上に進み出て、
かれを見た。
すぐれた相好にみちた(目ざめた)人を見て、
(侍臣に)このことを語った。


○正田大観先生訳
412.(409) 
高楼に立ったビンビサーラ(人名・マガダ国王)は、
彼を見ました。
〔聖者の〕特相を成就した方を見て、
この義(意味)を語りました。(5)


○パーリ語原文
411.
タマッダサー   ビンビサーロー
Tamaddasā     bimbisāro,
彼を・見た     ビンビサーラは

パーサーダスミン   パティッティトー
pāsādasmiṃ       patiṭṭhito;
高楼に         立った

ディスワー    ラッカナサンパンナン
Disvā       lakkhaṇasampannaṃ,
見て       特相をそなえた

イママッタン  アバーサタ
imamatthaṃ   abhāsatha.
この意味を   語った


○一口メモ
高楼に立ったビンビサーラとはマガダ国王でした。その前の7日間は星祭りでにぎわっていました。しかしその日祭りは終わり、大勢の人々は王宮の中庭に集まっていました。王は城の高楼の窓を開けて、軍隊を観閲しようとしました。その時、高貴な姿の托鉢をしている出家者を見たのです。そこで、明日、明後日の偈で述べる意味のことを家来たちに語ったのです。

高貴な姿でと書きましたが、その時のシッダルタ王子は王子の外見を示すものは何もつけていませんでした。しかし、その人の立ち振る舞いでそのことは自然に分かるものがあるのですね。

話は変わりますが、最近なぜ良いことをすると良い結果があり、悪いことをすると悪い結果があるのかなと考えました。事実を観察すれば事実だと分かるという考え方もできますが、その理由はあるはずです。そこで思いついたことがあります。

「類は友を呼ぶ」という言葉があります。その意味は同じ波長(性質)の者同士集まるということです。そうであるならば、同じ者同士を拡張して理解すると、同じ物、同じ事も集まるならば、良い事をすれば良い事が集まってくるので、良い事をすれば良い事があるのではないかと思いました。いかがでしょうか。皆様にもっとよい考え方があれば教えて下さい。


マガタ王 高楼に上り 彼を見た 托鉢をする 高貴な出家<409>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎4月28日(月)から5月6日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが関西ウェーサーカ祭及び熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


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シッダルタ マガダの国の みやこへと 赴いて 優美な容姿で 托鉢をした<408>

○少年少女のためのスッタニパータ408
・・・
王子だったお釈迦さま
29歳の時に、
家族と国を捨て、出家して、
インドの都へおもむいた。


スッタニパータ408. 第3 大きな章 1.出家経 4.

○中村元先生訳
408
目ざめた人(ブッダ)はマガダ国の(首都)・
山に囲まれた王舎城に行った。
すぐれた相好にみちた(目ざめた)人は
托鉢のためにそこへ赴いたのである。


○正田大観先生訳
411.(408) 
覚者は、ラージャガハ(王舎城:地名)へと赴きました
――マガダ〔国〕のギリッバジャ(地名・王舎城の別名)へと。
優れた〔聖者の〕特相を〔身体に〕ちりばめた方は、
〔行乞の〕食のために〔歩を〕運びました。(4)


○パーリ語原文
410.
アーガマー    ラージャガハン   ブッドー
Agamā       rājagahaṃ       buddho,
行った       ラージャガハに   覚者は

マガダーナン    ギリッバジャン
magadhānaṃ     giribbajaṃ;
マガダ(国)の    ギリッバジャに

ピンダーヤ    アビハーレースィ
Piṇḍāya      abhihāresi,
托鉢に      歩いた

アーキンナワララカノー
ākiṇṇavaralakkhaṇo.
すぐれた相好あふれた人は


○一口メモ
釈尊の生涯の物語から出家の様子を引用してみます。釈尊はシッダルタ太子と呼ばれていました。
「深夜、シッダルタ太子は愛馬カンタンにまたがり、誰にも気づかれずに宮殿を後にしました。ただ一人チャンナが従い、邪魔するものは誰もいませんでした。太子はしばらく走る馬を止め、月光に浮かぶカピラヴァストの都を感慨深く眺めるのでした。しかし、太子の出家への決心は固かったのです。

夜明けに、シッダルタ太子はアノーマ河の畔に着くと、愛馬から降り、着ていた服を脱ぎ、(髪を切りました)。太子はその服をチャンナに渡しすべてを説明するように命じました。太子はその時29歳でした。家族と国を捨て、人間の苦を克服する道を求めるため、出家者になったのであります。

シッダルタ太子はアノーマ河の畔にあるアヌピヤの都のマンゴ苑で7日過ごしてから、ビンビサーラ王の国であるマガダ国の首都ラージャガハの都に入りました。早朝、シッダルタは町の近くの河で沐浴して、他の出家者がそうであるように、町に托鉢に行きました。人々はシッダルタの人柄にひかれて、極上の食を供養しました。」

ラージャガハは当時のインドの大都市で、優れたシャモンまたはバラモンの人々が住んでいる場所のようでした。そのため、アノーマ河の畔までは約600㎞の距離を7日かけて、行ったのです。

「ギリッバジャ」とはラージャガハ(王舎城)の別名で、山に囲まれたという意味です。その山は五つあり、パンダヴァ(白善山)、ギジャクータ(霊鷲山)、ヴェーバーラ(広普山)、イシギリ(仙人堀山)、ヴェープッラ(負重山)です。

今回の偈に書かれている「すぐれた相好あふれた人」を、釈尊の生涯物語では「人々はシッダルタの人柄にひかれて」と表現しています。

この相好については、正田先生訳「優れた〔聖者の〕特相を〔身体に〕ちりばめた方」の聖者の特相と理解することが出来ます。それはブッダの三十二相と言われ、スナナサーラ長老著「日本人が知らないブッダの話」54ページに詳しく書かれています。

この出家経はブッダの伝記を知る上で重要な資料になっています。ブッダの伝記を知ると、ブッダの教えが身近に感じられることもありますから、ブッダの伝記を知ることは大切です。


シッダルタ マガダの国の みやこへと 赴いて 優美な容姿で 托鉢をした<408>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎4月28日(月)から5月6日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。理由はワンギーサが関西ウェーサーカ祭及び熱海の瞑想合宿に参加するためです。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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出家して 身体の行為 話すこと 悪を離れて 清らかになる<407>

○少年少女のためのスッタニパータ407
・・・
汚れた生活とは
贅沢な生活
不満ばかりの生活
無駄の多い生活


スッタニパータ407. 第3 大きな章 1.出家経 3.

○中村元先生訳
407
出家されたのちには、身による
悪行をはなれた。
ことばによる悪行をもすてて、
生活をすっかり清められた。


○正田大観先生訳
410.(407) 
出家して、身体による
悪しき行為(悪業)を避けました。
言葉による悪しき行ないを捨棄して、
生き方を完全に清めました。(3)


○パーリ語原文
409.
パッバジトゥワーナ    カーイェーナ
Pabbajitvāna        kāyena,
出家して          身体による

パーパカンマン   ウィワッジャイ
pāpakammaṃ     vivajjayi;
悪行為を       避けた

ワチードゥッチャリタン    ヒトゥワー
Vacīduccaritaṃ        hitvā,
言葉の悪行を        捨てて

アージーワン    パリソーダイ
ājīvaṃ        parisodhayi.
生活を        浄めた


○一口メモ
釈尊は、在家の住まいは煩わしく、塵の積る場所だと、そして出家は開かれ処だとお考えになられ出家されました。そして、先ず初めに取り組んだ課題は身体による悪行為を避けること。そしてもう一つは言葉による悪行為を捨てることでした。これは生活を浄めることでした。

身体による悪行為とは、①殺生:生き物を殺すこと、②不与取:与えられてない物を取ること、③邪淫:性的な関係を結ぶこと。

言葉による悪行為とは、①妄語:嘘をつくこと、②両舌:仲たがいをさせることを言うこと、③粗語:粗暴な言葉を使うこと、④綺語:無駄話をすること。

身体による悪行為と言葉による悪行為から離れることは生活を浄めることになるのです。生活が浄らかになるとはどういうことでしょうか。生活の汚れがなくなることです。汚れた生活とは、生活が煩悩で汚れていることです。具体的には欲まみれな生活、怒りつまり不満な生活、無知(無駄、無理、ムラ)な生活です。そうでない生活が清らかな生活です。少欲、安心、満足な生活でしょう。

これらは出家しなくても、仏教徒ならば実践すべき課題なのです。しかし、このことは釈尊が出家され、悟りを開かれて、私たちに教えてくれたから、明らかになった事柄なのです。そうでなければ、生活を浄めるためには何を為すべきか私たちには明確ではないのです。この中のいくつかは分かることはあるかもしれません。また他の宗教でも教えていることもあるでしょう。しかし、このように完全な形で今私たちが知ることができることは釈尊のおかげなのです。

私が昨日述べました悟るためには出家しなくともよいと言う見解も、釈尊が悟りを開かれ真理を明らかにされたから言えることであり、そうでなければ到底言えることではないのです。

さて、少し具体的に上にあげたいくつかの項目について調べてみましょう。生き物を殺さないことで、生活は清らかになるでしょうか。逆を考えてみれば分かりやすいと思います。動物を殺すことをイメージしてください。心は耐えられません。そうではなく、動物を可愛がっているイメージはどうでしょうか。心は優しい気持ちになるでしょう。それを実際行為した時、心はもっと大きな影響を受けているのです。身体による行為でも言葉によう行為でも、心には大きな影響があります。心が生活を作るのですから、穏やかなやさしい心は清らかな生活を作るのです。


出家して 身体の行為 話すこと 悪を離れて 清らかになる<407>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この在家 煩わしくて 汚れてる ところが出家 その逆である<406>

○少年少女のためのスッタニパータ406
・・・
悩み苦しみがあるとすれば、
それはあなたの行ないが
法則から外れているのです。
世の中は法則に従って
成り立っているのですから。


スッタニパータ406. 第3 大きな章 1.出家経 2.

○中村元先生訳
406
「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、
塵のつもる場所である。
ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」
と見て、出家されたのである。


○正田大観先生訳
409.(406) 
『この在家の居住は、煩雑で〔息苦しく〕、
塵の〔積もる〕場所(処:領域・範囲)である』と〔見て〕、
『出家は、まさしく、開かれたところである』と見て、
〔覚者ゴータマは〕出家しました。(2)


○パーリ語原文
408.
サンバードーヤン    ガラーワーソー
Sambādhoyaṃ      gharāvāso,
煩雑で  この     在家の住まいは

ラジャッサーヤタナン    イティ
rajassāyatanaṃ        iti;
塵の積る・所         と

アッボーカーソーワ      パッバッジャー
Abbhokāsova          pabbajjā,
開かれた処・まさに      出家は

イティ    ディスワーナ    パッバジ
iti       disvāna       pabbaji.
と       見て        出家した


○一口メモ
今回は、少し大胆な私の見解を述べてみます。しかし、もし釈尊が今おられたら、私の見解は間違っていないと言われるのではないかと思います。

釈尊が出家されたのは、釈尊が悟られる前の出来事です。悟ってないから出家して修行しようと思われたのです。その時の思いはこの偈にありますように、「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。」でありました。このように思うのは悟ってない人の思いです。自我がこのように思うのです。悟られて、自我のなくなった方はこのように思わないと思います。

また「ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」ということは本当でしょう。しかし、悟られた、自我のない、こだわり、執着のない方は、在家の生活であっても、このように感じられるのではないでしょうか。

しかし、アーナンダ尊者が語られた釈尊の出家のいきさつは、この偈のように釈尊が在家の生活と出家について考えておられていたことは間違いないことです。ですから、釈尊は出家して修行しようと思われたのだと思います。

とはいえ、悟られてからの釈尊も出家を奨励しておられます。それは在家生活への執着(煩悩)は在家の生活を続けていると捨て難いということがあります。出家することで、在家生活への執着を断ち切ることができやすいからだと思います。ただ、出家しても煩悩を捨てることは、その人の修行次第ですので、出家したから煩悩を捨てられるというものではありません。また在家にいても、煩悩を捨てることは可能なのです。例えば、ダンミカ経で学んだダンミカさんは在家の生活を続けながら不還果の悟りを得て、最終的には阿羅漢になられました。


この在家 煩わしくて 汚れてる ところが出家 その逆である<406>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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釈尊は 何を考え 喜んで 出家したのか 私が語ろう<405>

○少年少女のためのスッタニパータ405
・・・
インドの一つの国の王子様
城も国も財産も捨てて
何を好んで出家したのだろうか?


スッタニパータ405. 第3 大きな章 1.出家経 1.

○中村元先生訳
405
眼ある人(釈尊)はいかにして出家したのであるか、
かれはどのように考えたのちに、
出家を喜んだのであるか、
かれの出家をわれは述べよう。


○正田大観先生訳
408.(405) 
〔尊者アーナンダが言った〕「〔覚者ゴータマの〕出家〔の経緯〕を、〔あるがままに〕述べ伝えましょう
――眼ある方が出家した、そのとおりに〔その経緯を〕
――〔常に正しく〕考察している方が、
彼が、出家〔の道〕を選んだ、そのとおりに〔その経緯を〕。(1)


○パーリ語原文
407.
パッバッジャン    キッタイッサーミ
Pabbajjaṃ       kittayissāmi,
出家を        私は語ろう

タター    パッバジ   チャックマー
yathā     pabbaji     cakkhumā;
その通り   出家した   具眼者が

ヤター    ウィーマンサマーノー   ソー
Yathā     vīmaṃsamāno       so,
その通り   考えた           彼が

パッバッジャン   サマローチャイ
pabbajjaṃ       samarocayi.
出家を        喜んだ


○一口メモ
今回から、「第3章」が始まります。この章は405偈から765偈まで合計361偈であるのに対して、前の章は222偈から404偈で合計183偈でした。約倍の長さなので、前章は「小さな章」、この章は「大きな章」と言われています。

この章の始めの経が今回の「出家経」です。この経の由来は、世尊が舎衛城におられる時アーナンダ尊者に次のような思いが生じたことから始まります。「サーリプッタ長老などの大弟子の出家は皆に知れ渡っているが、世尊の出家については知られてない。私はそれを明らかにしよう。」 

という訳で、この偈が始まります。「私が語ろう」の私はアーナンダ尊者であります。

眼のある人(具眼者)は釈尊のことでありますが、注釈書によれば、五つの眼を具えた方とは①肉眼、②天眼、③慧眼、④仏眼、⑤普眼(一切を見る眼)を具えた明眼者です。

つまり、この偈はそのような釈尊はどのように出家したのか、どのように考えて、出家を選んだ(喜んだ)のかを、ありのままに語りましょうという釈尊の出家経の始まりです。ちなみに、samarocayiには「喜んだ」と「選んだ」の両方の意味があります。


釈尊は 何を考え 喜んで 出家したのか 私が語ろう<405>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

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在家者は 法に従い 財を得て 父母を養えば 自光天になる<404>

○少年少女のためのスッタニパータ404
・・・
大人になったら
まっとうな仕事で
父母を養えよ。
死後は天界に行くから。


スッタニパータ404. 第2 小さな章 14.ダンミカ経 29.

○中村元先生訳
404
正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。
正しい商売を行え。
つとめ励んでこのように怠ることなく暮らしている在家者は、
(死後に)<みずから光を放つ>という名の神々のもとに赴く。」


○正田大観先生訳
407.(404) 
法(教え)によって、母と父を養うように。
彼は、法(教え)にかなう商売に従事するように。
この〔法〕を〔常に〕転起させている、怠りなき在家者は、
『自光』という名の天〔の神々〕たちのもとへと近づき行きます(自光天に再生する)」〔と〕。ということで――(29)


○パーリ語原文
406.
ダンメーナ     マーターピタロー    バレッヤ
‘‘Dhammena    mātāpitaro        bhareyya,
法によって     母父を          養うように

パヨージャイェー    ダンミカン    ソー     ワニッジャン
payojaye         dhammikaṃ   so      vaṇijjaṃ;
従事するように     法に従った   彼は    商売に

エータン    ギヒー     ワッタヤマッパマットー
Etaṃ       gihī      vattayamappamatto,
これを     在家者は   不放逸に遂行して

サヤンパベー   ナーマ     ウペーティ    デーウェーティ
sayampabhe     nāma      upeti        deve’’ti.
自光         と名付ける   近づく       神々に・と        


○一口メモ
この偈はブッダの在家信者への最後の教えです。在家信者には日常的には五戒を守り、布薩の日は八戒を守ること、また清らか心で、喜びの心で布施をすることを教えました。

そして、今回の偈で、「法によって、父母を養え」と述べています。法によってとは、正しく得た財によってということです。では何が正しく得た財なのでしょうか? 法に従った商売で得た財です。以下に示す以外の商売で得た商売です。武器の商売、生き物の商売、肉の商売、酒の商売、毒の商売。これらは不法な商売と言われています。

以上のことを、怠らず、実践する在家者は、死後に「自ら光る」と名づけられている神々の世界に生まれ変わると述べられました。それは、以上のことを実践する在家信者の心が自ら光り輝くようになるからでしょう。

以上の事柄について少し考察してみましょう。ブッダによって教えられたことを実践すれば、それと同じことが自分に帰ってくると言うことをイメージしてください。例えば五戒です。あなたが生き物を殺さなければ、あなたは殺されません。しかし、その教えを守らなければ、あなたはいずれ殺されるということになるということです。もう少し考えてみましょう。あなたが、与えられない物を取らなければ、あなたは取られることはありません。不倫をしなければ、不倫をされることはありません。あなたが嘘をつかなければ、嘘をつかれることはありません。また酒を飲まなければ、酒に飲まれることはありません。すなわち、理性を失うことはないということです。

更に、化粧をしなければどうでしょうか。化粧は外面を飾ること、見栄を張ることです。外面を飾られること、見栄を張られることがない、即ち内面的な、真実のある対応をされるということでしょう。床に寝るは贅沢な生活をしないことです。贅沢な生活をしなければ、豊かな生活が出来ると言うことです。布施をするは分かりやすいですね。何かもらえるということです。また法に従って父母を養えば、あなたも親孝行されるということです。これらの逆の事柄も考えれば、ブッダの教えを実践しないわけにはいかないでしょう。

今回の偈で、出家者と在家者のあるべき修行について述べられたダンミカ経が終わります。

明日からは、章が変わります。「第3 大きな章」になり、新しい経「出家経」が始まります。出家経と言っても、一般的な出家について述べたものではなく、ブッダの出家のいきさつが述べられていますから、在家の皆さんにも興味のあるものだと思います。


在家者は 法に従い 財を得て 父母を養えば 自光天になる<404>


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私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

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