一切の 結縛断った 解脱者を 時に応じて 供養しなさい<491>及び<492>

○少年少女のためのスッタニパータ<491.492.>
・・・
生命は見えない
ロープで縛られています。
欲のロープ、怒りのロープ、
無智のロープなど、
10本あると言われています。


第3 大きな章 5.マーガ経 5.6.

○中村元先生訳
491
一切の結び・縛めを断ち、
みずから慎しみ、解脱し、苦しみなく、欲求のない人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

492
一切の結び・縛めから解き放たれ、
みずから慎しみ、解脱し、苦しみなく、欲求のない人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。
──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。


○正田大観先生訳
496.(491) 
彼ら、一切の束縛するものと結縛するものを断ち切った、
調御者にして解脱者たち、煩悶なく願望なき者たち
――彼らにたいし、〔正しい〕時に、捧げものを献じるがよい。
すなわち、功徳を期す婆羅門として、祭祀をするのであるなら。(5)

497.(492) 
彼ら、一切の束縛するものから解き放たれた、
調御者にして解脱者たち、煩悶なく願望なき者たち
――彼らにたいし、〔正しい〕時に、捧げものを献じるがよい。
すなわち、功徳を期す婆羅門として、祭祀をするのであるなら。(6)


○パーリ語原文
495.
イェー      サッバサンヨージャナバンダナッチダー
‘‘Ye       sabbasaṃyojanabandhanacchidā,
その人達は   一切の束縛する拘束を断ち切った

ダンター    ウィムッター    アニーガー    ニラーサー
dantā      vimuttā       anīghā       nirāsā;
制御した    解放した      苦悩のない    願望のない

カーレーナ    テース   バビャン    パウェッチェ
Kālena       tesu     habyaṃ     pavecche,
時に応じ     その人達に 供物を     供養するがよい

ヨー    ブラーフマノー    プンニャペッコー    ヤジェータ
yo     brāhmaṇo       puññapekkho      yajetha.
もし    バラモンが      功徳を望んで     祭祀をするのであるなら


496.
イェー       サッバサンヨージャナウィッパムッター
‘‘Ye        sabbasaṃyojanavippamuttā,
その人達は   一切の拘束から解き放たれた

ダンター    ウィムッター    アニーガー    ニラーサー
dantā      vimuttā       anīghā       nirāsā;
制御した    解放した      苦悩のない    願望のない

カーレーナ    テース    バビャン    パウェッチェ
Kālena       tesu      habyaṃ     pavecche,
時に応じ     その人達に  供物を     供養するがよい

ヨー    ブラーフマノー    プンニャペッコー    ヤジェータ
yo     brāhmaṇo       puññapekkho      yajetha.
もし    バラモンが      功徳を望んで      祭祀をするのであるなら


○一口メモ
今回の491偈と492偈は、一語の一部が異なるだけで、それ以外はすべて同じ言葉できた同じ偈です。
異なる部分はsabbasaṃyojanabandhanacchidā(一切の束縛する拘束を断ち切った)と sabbasaṃyojanavippamuttā(一切の拘束から解き放たれた)です。
これもほぼ似たような意味ですが、細かく言えば、「断ち切って」から「解き放たれる」という順番のようです。断ち切った時解き放たれるので同時とも言えます。

では何故、この言葉だけを少し変えて、二つ掲載したのでしょうか?私は今回の偈で述べたいことを強調したいという意味があるのだと思っています。

ではこの偈の意味を調べてみましょう。長い言葉の中のsaṃyojanaは結(十結)と訳される仏教用語です。このブログでも何回か説明しました。ブログ内検索で調べれば分かります。輪廻の原因になる以下の煩悩です。
1.有身見(うしんけん):永遠不滅の真我があると言う誤解 (自我があるという誤解)
2.疑:迷って確信がないこと
3.戒禁取(かいごんしゅ):無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼
4.貪欲:五欲に執着すること
5.瞋恚(しんに):いらいらして怒ること
6.色貪(しきどん):色界禅定に執着すること
7.無色貪(むしきどん):無色界禅定に執着すること
8.慢:自分と比較すること。自分を重要と思うこと
9.掉挙(じょうこ):落ち着きのないこと
10.無明:真実を知らないこと
(これまでは述べませんでしたが、十結には経蔵の分類と論蔵の分類があることを知っておいてください。上と異なる記載があればそれは論蔵の分類だと考えて下さい。)

上記の10の煩悩が生命を束縛する拘束なのです。491偈では、これらの煩悩を断ち切った人について述べています。492偈ではこれらの煩悩から解放された人について述べているのです。

実は、これらの煩悩を断ち切って、解放された人は涅槃を体得した阿羅漢なのです。阿羅漢は自己を制御し、解放した(執着から離れた)、苦悩のない、何も望むことのない(何事にも満足した)方なのです。

そのような方を供養すれば、その功徳は大きいということです。

既に何度も述べましたが、十結と悟りの関係は、1.2.3.の煩悩がなくなれば預流果の悟り、かつ4.5.の煩悩が少なくなれば一来果の悟り、1.2.3.4.5.の煩悩がなくなれば不還果の悟り、1.から10.までの煩悩すべてがなくなれば阿羅漢果の悟りで修行の完成です。


一切の 結縛断った 解脱者を 時に応じて 供養しなさい<491>

一切の 結縛離れた 解脱者を 時に応じて 供養しなさい<492>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎7月4日(金)から7月8日(火)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会はお休みいたします。朝5時から7時の自主瞑想会は通常通り行います。朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催いたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

こころざし
2016年07月11日 20:35
10本のロープに縛られていて、輪廻の道から外れる事とは遠い状態の自分がいます。ですが、長老に教えて頂いて、そのロープを少しづつ切ろうとしています。有身見・疑・戒禁取はかなりない(?)・・ように思いますが、では預流果に悟れているのか、と思いますと、単に知識状態というのが実情の様に感じます。
本当の意味で捨てれるように修行したいです。