コーカーリヤは 舎利弗・目連を 誹った 紅蓮(地獄に 堕ちたと言われる<657の前の序>

○少年少女のためのスッタニパータ<657の前の序>
・・・
聖者をののしると
地獄に落ちると言われています。
だれが聖者か分からないから
人をののしるのはやめた方がよい。


第3 大きな章 10.コーカーリヤ経 序

○中村元先生訳
わたしか聞いたところによると、──或るとき尊き師(ブッダ)は、サーヴァッティー市のジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者の園>におられた。そのとき修行僧コーカーリヤは師のおられるところに赴いた。そうして、師に挨拶して、傍らに坐した。それから修行僧コーカーリヤは師に向っていった、「尊き師(ブッダ)よ。サーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。悪い欲求にとらわれています。」
 そう言ったので、師(ブッダ)は修行僧コーカーリヤに告げて言われた、「コーカーリヤよ、まあそういうな。コーカーリヤよ、まあそういうな。サーリプッタとモッガラーナとを信じなさい。サーリプッタとモッガラーナとは温良な性の人たちだ。」

 修行僧コーカーリヤは再び師にいった、「尊き師よ。わたくしは師を信じてお頼りしていますが、しかしサーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。悪い欲求にとらわれています。」

 師は再び修行僧コーカーリヤに告げて言われた、「コーカーリヤよ、まあそういうな。コーカーリヤよ、サーリプッタとモッガラーナとを信じなさい。サーリプッタとモッガラーナとは温良な性の人たちだ。」

 修行僧コーカーリヤは三たび師にいった、「尊き師よ。わたくしは師を信じてお頼りしていますが、しかしサーリプッタとモッガラーナとは邪念があります、悪い欲求にとらわれています。」

 師は三たび修行僧コーカーリヤに告げて言われた、「コーカーリヤよ、まあそういうな。コーカーリヤよ、サーリプッタとモッガラーナとを信じなさい。サーリプッタとモッガラーナとは温良な性の人たちだ。」

 そこで修行僧コーカーリヤは座から起って、師に挨拶して、右まわりをして立ち去った。修行僧コーカーリヤが立ち去ってからまもなく、かれの全身に芥子粒ほどの腫物が出てきた。(初めは)芥子粒ほどであったものが、(次第に)小豆ほどになった。小豆ほどであったものが、大豆ほどになった。大豆ほどであったものが、棗の核ほどになった。棗の核ほどあったものが、棗の果実ほどになった。棗の果実ほどあったものが余甘子ほどになった。余甘子ほどであったものが、未熟な木爪の果実ほどになった。未熟な木爪の果実ほどであっものが、熟した木爪ほどになった。熟した木爪ほどになったものが破裂し、膿と血とが迸り出た。そこで修行僧コーカーリヤはその病苦のために死去した。修行僧コーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナとに対して敵意をいだいていたので、死んでから紅蓮地獄に生まれた。

 そのときサハー(老婆)世界の主・梵天は、夜半を過ぎた頃に、麗しい容色を示して、ジェータ林を隈なく照らして、師のおられるところに赴いた。そうして師に敬礼して傍らに立った。そこでサハー世界の王である梵天は師に告げていった。「尊いお方さま。修行僧コーカーリヤは死去しました。修行僧コーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナとに対して敵意をいだいていたので、死んでから紅蓮地獄に生まれました。」サハー世界の主・梵天はこのように言った。このように言ってから、師に敬礼し、右まわりをして、その場で消え失せた。

 さて、その夜が明けてから、師は、諸々の修行僧に告げて言われた、「諸々の修行僧らよ。昨夜サハー世界の主である梵天が、夜半を過ぎた頃に、麗しい容色を示して、ジェータ林を隈なく照らして、わたくしのいるところに来た。それからわたくしに敬礼して傍らに立った。そうしてサハー世界の主である梵天は、わたくしに告げていった。『尊いお方さま。修行僧コーカーリヤは死去しました。修行僧コーカーリヤは、サーリプッタとモッガラーナとに対して敵意をいだいていたので、死んでから紅蓮地獄に生まれました』と。サハー世界の主である梵天はこのように言った。そうして、師を敬礼し、右まわりして、その場で消え失せた。」

 このように説かれたときに、一人の修行僧が師に告げていった、「尊いお方さま。紅蓮地獄における寿命の長さは、どれだけなのですか?」

 「修行僧よ。紅蓮地獄における寿命は実に長い。それを、幾年であるとか、幾百年であるとか、幾千年であるとか、幾十万年であるとか、数えることはむずかしい。」

 「尊いお方さま。しかし譬喩を以て説明することができるでしょう。」

 「修行僧よ。それはできるのです」といって、師は言われた、「たとえば、コーサラ国の枡目ではかつて二十カーリカの胡麻の積荷(一車輌分)があって、それを取り出すとしょう、ついで一人の人が百年を過ぎるごとに胡麻を一粒ずつ取り出すとしよう。その方法によって、コーサラ国の枡目ではかって二十カーリカの胡麻の積荷(一車輌分)が速やかに尽きたとしても、一つのアッブタ地獄はまだ尽きるに至らない。二十のアッブダ地獄は一つのニラッブダ地獄[の時期]に等しい。二十のニラッブダ地獄は一つのアババ地獄[の時期]に等しい。二十のアババ地獄は一つのアハハ地獄[の時期]に等しい。二十のアハハ地獄は一つのアタタ地獄[の時期]に等しい。二十のアタタ地獄は一つの黄蓮地獄[の時期]に等しい。二十の黄蓮地獄は一つの白睡蓮地獄[の時期]に等しい。二十の白睡地獄は一つの青蓮地獄[の時期]に等しい。二十の青蓮地獄は一つの白蓮地獄[の時期]に等しい。二十の紅蓮地獄[の時期]に等しい。ところで修行僧コーカーリヤは、サーリプッタおよびモッガラーナに対して敵意をいだいていたので、紅蓮地獄に生まれたのである。」

 師はこのように言われた。幸せな人である師は、このことを説いてから、さらに次のように言われた。──


○正田大観先生訳
このように、わたしは聞きました。或る時のことです。世尊は、サーヴァッティーに住んでおられます。ジェータ林のアナータピンディカ〔長者〕の聖園において。そこで、まさに、コーカーリカ比丘が、世尊のおられるところに、そこへと近しく赴きました。近しく赴いて、世尊を敬拝して、一方に坐りました。一方に坐った、まさに、コーカーリカ比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、サーリプッタとモッガッラーナは、悪しき欲求ある者たちであり、諸々の悪しき欲求の支配に赴いた者たちです」と。
 このように言われたとき、世尊は、コーカーリカ比丘に、こう言いました。「コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕なりません。コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕なりません。コーカーリカよ、サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を清信しなさい。サーリプッタとモッガッラーナは、博愛なる者たちです」と。
 再度また、まさに……略……三度また、まさに、コーカーリカ比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、たとえ、何であれ、世尊が、わたしにとって、信とする方であり、縁とする方であるとして、ですが、まさに、サーリプッタとモッガッラーナは、まさしく、悪しき欲求ある者たちであり、諸々の悪しき欲求の支配に赴いた者たちです」と。三度また、世尊は、コーカーリカ比丘に、こう言いました。「コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕なりません。コーカーリカよ、まさに、このように〔言っては〕なりません。コーカーリカよ、サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を清信しなさい。サーリプッタとモッガッラーナは、博愛なる者たちです」と。
 そこで、まさに、コーカーリカ比丘は、坐から立ち上がって、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、立ち去りました。そして、長からずして、立ち去ったコーカーリカ比丘の全身は、芥子粒ほどの諸々の吹出物で充満したのです。芥子粒ほどのものと成って〔そののち〕、小豆ほどのものと成りました。小豆ほどのものと成って〔そののち〕、大豆ほどのものと成りました。大豆ほどのものと成って〔そののち〕、棗の核ほどのものと成りました。棗の核ほどのものと成って〔そののち〕、棗ほどのものと成りました。棗ほどのものと成って〔そののち〕、アーマラカ〔の果実〕ほどのものと成りました。アーマラカ〔の果実〕ほどのものと成って〔そののち〕、未熟のベールヴァ〔の果実〕ほどのものと成りました。未熟のベールヴァ〔の果実〕ほどのものと成って〔そののち〕、ビッラ〔の果実〕(パパイヤ)ほどのものと成りました。ビッラ〔の果実〕ほどのものと成って〔そののち〕、破れました。しかして、膿が、さらには、血が、流れ出ました。そこで、まさに、コーカーリカ比丘は、まさしく、その病苦によって、命を終えました。そして、命を終えたコーカーリカ比丘は、パドゥマ地獄(紅蓮地獄)に再生しました――サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を憤懣させて。
 そこで、まさに、梵〔天〕のサハンパティは、夜が更けると、見事な色艶となり、全面あまねくジェータ林を照らして、世尊のおられるところに、そこへと近しく赴きました。近しく赴いて、世尊を敬拝して、一方に立ちました。一方に立った、まさに、梵〔天〕のサハンパティは、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、コーカーリカ比丘が、命を終えました。尊き方よ、そして、命を終えたコーカーリカ比丘は、パドゥマ地獄に再生しました――サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を憤懣させて」と。梵〔天〕のサハンパティは、この〔言葉〕を言いました。この〔言葉〕を言って、世尊を敬拝して、右回り〔の礼〕を為して、まさしく、その場において、消没しました。
 そこで、まさに、世尊は、その夜が明けると、比丘たちに語りかけました。「比丘たちよ、昨夜、梵〔天〕のサハンパティが、夜が更けると……略……。比丘たちよ、梵〔天〕のサハンパティは、この〔言葉〕を言いました。この〔言葉〕を言って、わたしに右回り〔の礼〕を為して、まさしく、その場において、消没しました」と。
 このように言われたとき、或るひとりの比丘は、世尊に、こう言いました。「尊き方よ、どれだけの長さが、いったい、まさに、パドゥマ地獄における寿命の量となるのですか」と。「比丘よ、長いのです。まさに、パドゥマ地獄における寿命の量は。それは、計測することが為し易くはなく、あるいは、『幾年である』と、あるいは、『幾百年である』と、あるいは、『幾千年である』と、あるいは、『幾百千年である』と、〔計測できないのです〕」と。「尊き方よ、ですが、諸々の喩えを作り為すことはできますか」と。「比丘よ、できます」と。世尊は言いました。
 「比丘よ、それは、たとえば、また、コーサラ〔国の枡目〕で二十カーリ(重さの単位・一石)の胡麻の積み荷があるとして、その〔胡麻の積み荷〕から、人が、百年が〔経過し〕百年が経過しては、一つ一つの胡麻を取り出すとします。比丘よ、よりすみやかに、まさに、その、コーサラ〔国の枡目〕で二十カーリの胡麻の積み荷は、このやり方によって、完全なる滅尽へと〔赴き〕、完全なる収奪へと赴くでしょうが、まさしく、しかるに、一つのアッブダ地獄〔の寿命〕は、〔そのようなことは〕ありません。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のアッブダ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのニラッブダ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のニラッブダ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのアババ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のアババ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのアタタ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のアタタ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのアハハ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のアハハ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのクムダ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のクムダ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのソーガンディカ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のソーガンディカ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのウッパラカ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のウッパラカ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのプンダリーカ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、それは、たとえば、また、二十のプンダリーカ地獄〔の寿命〕があるとして、このように、一つのパドゥマ地獄〔の寿命〕があります。比丘よ、そして、まさに、パドゥマ地獄に、コーカーリカ比丘は再生しました――サーリプッタとモッガッラーナにたいし、心を憤懣させて」と。

世尊は、この〔言葉〕を言いました。善き至達者たる方は、この〔言葉〕を言って、しかして、他にも、〔世の〕教師たる方は、こう言いました。

○パーリ語原文

この経の<序>のパーリ語原文は省略します。

○一口メモ
今日から、「コーカーリヤ経」が始まります。この経は66お偈に至るこの経の前半は、サンユッタ・ニカーヤの6篇第1章第10節のコーカーリヤ経とほとんど全文一致しています。その内容はコーカーリヤ比丘がサーリプッタ(舎利弗)・モッガッラーナ(目連)を誹謗したので地獄に堕ちたという話しであります。
つまり、聖者を誹謗することの恐ろしさを述べた経であります。


コーカーリヤは 舎利弗・目連を 誹った 紅蓮(地獄に 堕ちたと言われる<657の前の序>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎11月1日(土)から11月2日(日)は八王子市の正山寺のカティナ衣法要が開催されます。この法要は11月1日の夕方から始まり、夜を徹して読経をし、2日朝と昼の食事のお布施などが行われます。私ワンギーサはこの法要に参加しますから、11月2日のゴータミー精舎での朝の瞑想会は行いません。


◎11月3日(月)はゴータミー精舎でのカティナ衣法要が行われます。この日は朝の瞑想会は行いますが、カティナ衣法要に伴う行事の終了時間が確定しませんので、夜の瞑想会は中止します。
しかし、皆さんカティナ衣法要に奮って参加してください。この法要に参加する人には大きな功徳があると言われています



◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年10月26日 16:29
なるほど怖い。
目をそらさず、
しっかり学ばねば。
^^;
Mason
2014年10月26日 23:57
想像してみてほしい ---- もし想像がつくなら、の話しだが。
あなたに良心というものがかけらもなく、どんなことをしても罪の意識や良心の呵責を感じず・・・不道徳な行為をしても、恥をまったく感じないとしたら。 ・・・人はだれでも、人間には良心が当然そなわっているものと思いこんでいるから、あなたはなんの苦もなく自分に良心がない事実を隠すことができる・・・  そんなあなたは、どんなふうに人生を送るだろう。(p.p.7-8)

少数の人々を怯えさえ、おろおろと走りまわらせ、彼らから盗んだり--- 理想的には --- 彼らに自分が悪い
のだと思わせる状況をつくりあげることができる・・・なにより気分がいいのは自分より頭がよく、教育程度が高く・・魅力があり・・人格的にすぐれた相手を打ち負かすことだ。・・・・良心が欠けているので実行は驚くほどたやすい。あなたは上司または上司の上役にそっと嘘を耳打ちし、空涙を流し、同僚の企画をぶちこわし、患者(あるいは子ども)の期待を打ち砕き、甘い約束で人を釣り、自分が情報源だと絶対にさとられないように誤報を流す。(p.p.10 - 12)

『良心をもたない人たち』 マーサ・スタウト
Mason
2014年10月26日 23:58
およそ25人に1人の割合でサイコパス、つまり良心をもたない人たちがいる。彼らは・・・頭で善と悪のちがいはわかっても、ふつうの人びとのように感情が警鐘を鳴らし、赤信号をつけ、神を恐れることがない。罪悪感や良心の呵責がまったくないため、できないことはなにもない人が25人に1人いる(p20)

『良心をもたない人たち』 マーサ・スタウト
こころざし
2016年08月27日 19:19
人をののしってしまうと、それはその後損にしかならない流れになると感じています。冷静にその人の欠点なり何かを指摘するとは違う、自分が汚物を投げる時にすでに手に持つことで汚れている、の状態になると同じと思いますからです。
そのような損をせず、智慧・慈しみを持って、発する言葉を制したいです。