執着 悟り終わって 疑惑なく 涅槃に達した 彼はバラモン<635>

○少年少女のためのスッタニパータ<635>
・・・
失敗したことは
終わったことだ。
明日のことは
分からない。
気にしない、気にしない。


第3 大きな章 9.ヴァーセッタ経 42.

○中村元先生訳
635
こだわりあることなく、
さとりおわって、疑惑なく、
不死の底に達した人、
──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。


○正田大観先生訳
641.(635) 
彼に、諸々の執着が見い出されず、
〔一切を〕了知して、懐疑なき者となるなら、
不死への沈潜(涅槃)を獲得した者であり、
わたしは、彼を『婆羅門』と説きます。(42)


○パーリ語原文
640.
ヤッサーラヤー  ナ   ウィッジャンティ
Yassālayā      na    vijjanti,
その人に執着は ない  見出さ

アンニャーヤ  アカタンカティー
aññāya      akathaṃkathī;
完全智の    疑のない

アマトーガダマヌッパッタン
Amatogadhamanuppattaṃ,
不死に到達した

タマハン ブルーミ  ブラーフナン
tamahaṃ  brūmi    brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ    バラモンと


○一口メモ
この詩のキー・ワードは無執着です。これさえできれば修行は完成です。しかし、この無執着とはどのようなものか、実は私たちは知らないのです。経験したことがないからです。ですからいろいろな言葉で、或は執着を分解して、それぞれに対する執着をなくすように学びました。例えば、62番、345番、346番、348番など、「バラモンの章」では385番があります。その他たくさんあります。

愚か者 子や財産で 苦悩する 自分も自分の ものではないのに(62)
http://76263383.at.webry.info/201205/article_7.html
これは子供や財産また自分自身にも執着するなと教えています。

鉄製や 木や麻のかせ 強くない 財産子供 妻が強いかせ(345)
賢者らは 固くはないが 強いかせ 執着捨てて 諸国をめぐる(346)
http://76263383.at.webry.info/201301/article_9.html
この詩も、財産や子供や妻への執着を捨てよと教えています。

前をすて 後を捨てて 中間を 捨てた人たち 心は自由(348)
http://76263383.at.webry.info/201301/article_11.html
さらに、この詩は過去、未来、現在への執着もなくせと教えています。それぞれの執着の意味するところは上記のアドレスの記事をお読みください。これはすべての執着を捨てよということです。

好き嫌い ない人間は 苦悩ない 私は彼を バラモンと呼ぶ(385)
http://76263383.at.webry.info/201302/article_12.html
この詩では、「執着のない」を「好き嫌いのない」と言う言葉で説明しています。

執着は私たちが、五つの感覚で快や不快を感じる所から生じます。そうするとそこに渇愛が生まれ、執着が生じるのです。その過程をストップさせることで、執着をなくすのです。ヴィパッサナー瞑想はその方法及びその練習です。さらに具体的に述べれば、感覚に対するいろいろな外部刺激とそれを感じた時の感覚、その時に起こる心の変化を観察するのです。渇愛が生まれ、執着が生まれる過程をつぶさに観察するのです。何度も何度も観察するのです。それが意味のないことだと分かってきます。その時智慧が現れているのです。そのようにすると、自然に執着がなくなるのです。

「疑いのない」のないの「疑い」は、1.ブッダを疑う。2.ダンマを疑う。3.サンガを疑う。4.修習を疑う。5.過去を疑う。6.未来を疑う。7.現在を疑う。8.縁起を疑うことだと言われています。

「不死」とは涅槃を意味します。

以上は2013年3月の解説からの引用です。


無執着 悟り終わって 疑惑なく 涅槃に達した 彼はバラモン<635>


この偈の解説は次の記事を参考にしてください。
2008年12月
http://76263383.at.webry.info/200812/article_19.html

2009年10月
http://76263383.at.webry.info/200910/article_24.html

2013年3月の解説
http://76263383.at.webry.info/201303/article_10.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎10月11日から10月17日まで熱海に瞑想合宿があり、ワンギーサ比丘はそれに参加しますが、ゴータミー精舎における朝の自主瞑想会は代理人により通常通り開催します。しかし、この期間の夜の自主瞑想会は行いませんので、御注意お願いします。


◎雨安居中のゴータミー精舎では火曜日の夜の自主瞑想の始めに「初法輪経」を唱えることにしました。興味がある方は是非参加してください。心が穏やかになり、「眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明らかになり、光が生じる」気がします。(初転法輪経の言葉)


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

SRKWブッダ
2014年10月05日 13:37
無執着というのは、執着の消失というほどのことである。

たとえば、大人は子どもじみた玩具には何の興味もない。この世界からそれらがすべて無くなっても、自分はまったく困らないと思う。同様に、解脱した〈道の人〉は、世俗のことがらへの根本の興味を消失している。具体的に言えば、たとえば覚ると酒がいっさい飲めなくなる。すなわち、〈道の人〉にとって、この世から酒がすべて無くなっても構わない。執着の消失とはこのようなことを指す。

大人は、大人の楽しみが子どもじみた楽しみよりもすぐれていると感じ比較して子どもじみた玩具に興味が無くなるのではない。そうではなくて、大人は本質的に子どもじみた玩具への興味を消失するのである。同様に、覚った人は、世俗のことがらについての執着を根本的に消失するのである。

なお、この執着の消失と同時に人を煩わせ苦しめる識別作用も止滅する。ここに一切の苦悩からの解脱が為し遂げられるのである。解脱知見を生じ、修行の完成を自ら識ることになる。

***
あすか
2014年10月05日 15:35
智慧の開発により執着は自然になくなる。

ということは。

無くそう。
無くなるといいな。
もし、…。

なんて妄想まみれではまだまだ。
(>_<)
こころざし
2016年08月20日 20:01
以前のめり込んで色々買って・集めて・やってと、散々時間とお金と労力を使ったものが、ある時を境にポンと卒業し、全て処分した・・みたいな経験を幾つかしています。あるゲームだったりスポーツ(バトミントン)、ボディボード等様々です。その卒業スィッチは単に「飽きた」というものもありました。そのようなものを次々に変えてのめり込むのではなく、執着自体を無くせる様に精進したいです。