瞑想を 楽しみながら 専念し 静かな場所で 満足味わう<709>

○少年少女のためのスッタニパータ<709>
・・・
瞑想は何かを
知りたければ
黙って座って
見つけて下さい。


第3 大きな章 11.ナーラカ経 31.

○中村元先生訳
709
かれは思慮深く、瞑想に専念し、
林のほとりで楽しみ、
樹の根もとで瞑想し、
大いにみずから満足すべきである。


○正田大観先生訳
715.(709) 
彼(牟尼)は、瞑想(禅・静慮:禅定の境地)を追求する慧者として、
林の外れで喜びある者として、〔世に〕存するように。
自己を満足させながら、
木の根元で瞑想するように。(31)


○パーリ語原文
714.
サ     ジャーナパストー   ディーロー
‘‘Sa    jhānapasuto       dhīro,
彼は    瞑想に専念する    賢者

ワナンテー    ラミトー    スィヤー
vanante      ramito     siyā;
林の隅で     楽しむ    ように

ジャーイェータ    ルッカムーラスミン
Jhāyetha        rukkhamūlasmiṃ,
瞑想するがよい   木の根元で

アッターマビトーサヤン
attānam・abhitosayaṃ.
自分を・満足させつつ


○一口メモ
パーリ語のjhāna・pasutoのjhānaは「深思すること、禅那、禅定、静慮」などの訳があります。瞑想という訳もよく使われます。pasutoは「専念すること、熱中すること」です。jhāna・pasutoは「瞑想に専念すること」。つまり八正道の「正定」を実践することです。

「正定」は「正しい瞑想」と言う意味です。その内容は第一禅定、第二禅定、第三禅定、第四禅定であると定義されています。「瞑想に専念する」とは第一から第四禅定に専念することになります。第一禅定から第四禅定の意味についてはブログ内検索で検索し、是非調べて下さい。

簡単に説明すれば、禅定に入るためには、静かに坐るなどして、五蓋(欲貪、瞋恚、昏沈・睡眠、掉挙・悪作、疑)いう煩悩の機能を停止する必要があるのです。五蓋の機能が停止すると、自然に五支禅(尋、伺、喜、楽、一境性)が現れ、第一禅定に入ります。そうすると一時的に煩悩がない状態を経験するのです。しかし、禅定により煩悩がなくなったわけではありませんから、禅定から出ると煩悩は現れます。第二禅定はより一境性(集中力)が高まり、尋(大まかな思考)、伺(細かい思考)が消えた状態です。第三禅定は更に一境性が高まり、喜が消えた状態です。第四禅定は更に一境性が高まり、楽も消えた状態です。しかし、先ず始めの第一禅定に入れば、喜びや楽が経験できます。この偈に書いてあるような体験ができる訳です。

瞑想や禅定に関して参考なるダンマパダの偈を紹介します。
282 瞑想で 智慧が生じる 生じては 滅する真理を 体得すべし
282 http://76263383.at.webry.info/201211/article_16.html

ダンマパダ282番の中村先生訳は次の通りです。

実に心が統一されたならば、豊かな智慧が生じる。
心が統一されないならば、豊かな智慧が滅びる。
生じることと滅びることのこの二つの道を知って、
豊かな智慧が生じるように自己を整えよ。

ここで大切なポイントは二つあります。心の統一とは禅定です。禅定がなければ、智慧が現れない。また、智慧がなければ禅定に入れないということです。もう一つは物事の生滅という真理を知るということです。瞑想によりこの重要なポイントを体得できるのです。


瞑想を 楽しみながら 専念し 静かな場所で 満足味わう<709>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。御支援をお願い致します。


この記事へのコメント

元協会員
2014年12月16日 06:43

洗脳仏教とはそちらのテーラワーダ仏教協会の教え方だと思います。
慈悲の瞑想で、人間関係の問題がすべて解決するとか効果を喧伝しすぎです。 協会関係者のかたは話し方がツケツケしていてキツイ口が悪い方も沢山おり、俗世間の知人のほうがよほど慈悲の念があると感じます。
スマナサーラ長老の影響をモロにうけて、受け売りをそのまま他人に話すようでは実践も自分なりの咀嚼も できてはいないでしょう。
私はこの会に関わって時間を無駄にしました。修行だ経典だ人格の向上だと、あしげく協会に通ううちに赤ちゃんを授かれる時期を逃しました。
悲しくて悔しくて、涙が溢れてきますが時間はもとにもどりません。
少しはスマナサーラ長老に批判の言える人間は育たないのかと、ヴィパッサナーをしても冷静に長老を見られる人間はいないのかと残念でなりません。
あすか
2014年12月16日 07:31
禅定とは、あぁこれだ、と、
自覚できるものなのでしょうか。
現代も経験者はそれなりに
いらっしゃるのでしょうか。

経験できたら…。
りんご
2014年12月16日 09:05
『智慧がなければ禅定に入れない・・・』
この場合の智慧とはどの様なものなのでしょうか?
てくてく
2014年12月16日 18:09
こんばんは。
元協会員さんのお話を慎んでお受け致します。自分も元会員でしたから、自分を省みています。自分を省みる限り、自分は確かに人を悲しませました。自分は「正しい」という怒りをぶつけて来たこと恥ずかしく思います。もう二度とそのような過ちを為さないと誓います。

どうか、幸せになることを諦めないで下さい。

悩み苦しみが無くなりますように。幸せでありますように。
カエルくん
2014年12月16日 20:15
禅定についての解説は、遠い国の物語のようで、知識として頭に入ってくるだけです。
あまり気張らずに、一歩ずつ、と思っています。

今朝、このブログを読み、一日中、なるべく念を入れながら仕事をしてみました。
帰る頃には、疲労困憊です(笑)。
でも、念を入れて集中してした仕事は、自分なりに満足がいき、充実感を味わえました。
一挙手一投足を、より丁寧に。最近心がけていることです。
SRKWブッダ
2014年12月16日 23:46
過失を犯せば、(悪の)報いがある。過失を見て、それを責め立てる過失を犯せば、それにも報いがある。過失を見て、見て見ぬ振りをすれば、それもまた過失である。過失を善行だとみなせば、共に地獄に堕ちる。

〈道の人〉は、他人の過失をそもそも見ることがない。心に過失あるゆえに、他人の過失を見る。心に過失無きゆえに、自分自身の過失を正しく見る。自分自身の過失を正しく見ることは、道の糧となる。

こころある人は、他人の過失を見ることのない境地に達せよ。そこに至れば憂いがないからである。

***
元協会員
2014年12月17日 07:56
てくてくさん

お心あるコメントをありがとうございました。涙が出てしまいました。

優しい言葉が返ってこないと、覚悟の上で書きましたので。

たいがい、削除されて終わってしまうのです。

しっかりと心を正しく生きようと必死になりすぎれば、普通のひとが怠け者で迷いが多くうそつきに見えるものです。

もっとささやかな心遣いとか、日常をたいせつにやさしく生きて生きたいと思っています。

忙しい仕事や家族の健康、お金のこと みんな悩みがあります。

明快な教え・言葉で悩みを割り切ったつもりになっても 零れ落ちてしまったものがないのか 気持を押さえつけて無視しただけでないのかと・・・考えてみていただきたいなと思います。

ありがとうございました。
てくてく
2014年12月17日 11:12
こんにちは。
てくてくでございます。

改めまして、元協会員さんのコメントを慎んでお受け致します。

どうか、悲しまないで下さい。
ここにおいて人の悲しみを見逃しません。

そこに起きた悲しみも自分に起きた悲しみも別はありません。
同じく受け止めます。
だから、どうか、悲しまないで下さい。

何かあったら、また、コメントして下さい。

いつも見ています。
こころある方々は、必ず他にもいらっしゃいます。

幸せを諦めないで下さい。
必ズ為し遂げるのだと自身を信じて下さい。

悩み苦しみが無くなりますように。幸せでありますように。
身の丈修行者
2014年12月17日 11:45
元協会員様貴重なコメント有難うございます、興味深く拝見しました。

今まさにマイブーム?か、スマナサーラ長老・日本テーラワーダ協会の事に熱が入りつつある自分でしたので、ハッとする思いが致しました。

私事ですが、家庭も仕事もあるので身の丈の無理のない範囲で冥想や協会のイベント等に参加している所です。

身の丈で修行をするうちに分かった事は、スマナサーラ長老の言われている事は本当らしいなという事です。

ですが、本当にそうだとしてもそれを正義の剣?や使命感??のように人に出してしまったら、もうそれはNGというか本筋が違うように思います。

慈悲も出来る範囲で実践していると、周りの人が穏やかになるのが分かります。同居の義母との関係も随分と穏やかになりました。

成果をうたって勧誘してしまう・・とするとそれはNGと思いますが、お金の話になりますが以前十数万円↑のセミナーに参加して成果は??のような機会等の事から、喜捨で運営されているのは良心的に感じています。

以前ある団体に入った時、自分の家族や友人・知り合い等々新規で勧誘する事がノルマの様にあるのを知りすぐ脱退しましたが、今の所こちらでそのような様子を感じた事はありません。

Aが駄目ならBがあるかもと思いますが、そのようにCやDや色々に行って結局漂流してしまうような状況を拝見した事があります。

元協会員様がお幸せになるような流れになりますようにと心より願ってこのコメントを記載させて頂きます。


カエルくん
2014年12月17日 21:16
元協会員様

まだこのコメントを読まれているでしょうか。
ずいぶん、苦しまれている様子で、どんな言葉を言えばいいのか、一日考えてしまいました。

実は私も元協会員です。
私は家族に反対されて、継続をできませんでした。
会誌が届くので、会員であることを内緒にできないんですよね。
でも、協会は入るときも出るときも自由で、やめた今もお布施は出来るし、講演会にも行けるし。いちいちどこの誰かということを問わない、随分とオープンな組織だなあと思っています。

協会員であることで苦しみが増すのなら、やめられたことは正解だと思います。
過去は変えられないけれど、未来はこれからのことですので。
元協会員様の苦しみが、少しでも減りますように。
私は信徒なので、こんな時勧められるのはやはり慈悲の瞑想だけなのですが(もう絶対に嫌なら、こんなことを言ってごめんなさい)。
人間関係の改善には万能ではなかったかもしれませんが、苦しんでいる心のためにはやはり良く効く瞑想だと思います。
今日は私も、元協会員様のことを思って、慈悲の瞑想をいたします。
どうかお幸せでありますように。
少しでも心の痛みが減って、悩み苦しみがなくなりますように。
てくてく
2014年12月17日 22:36
こんばんは。
カエルくんさんのコメントを拝読いたしまして、自分も退会理由を残しておきたいと思います。

自分が退会したのは、頼る気持ちを断つためです。もしも、何か努力したことがあったとしたら、それは、ひとりぼっちだったとしても努力しただろうか?

自分は、独りでも努力するだろうか?
それを確かめるためです。

独りぼっちでも努力することを諦めない。
その決心を試すために退会しました。

今もそのテスト期間中ではありますが、為し遂げるまで諦めない覚悟です。

悩み苦しみが無くなりますように。幸せでありますように。
カエルくん
2014年12月18日 00:37
何度も書き込みしてすみません。

てくてくさんのコメントを拝見して、皆思うところがあって入会したりやめたり、いろいろするのだな、と思いました。
私は協会員だった頃も、ほぼ誰とも親しくなれなかったので、このブログを通しての方がよほど他の方の意見に触れたり、自分の気持ちを言葉に出来たりしています。
仏教の話をすることに飢えているので、すごくありがたいです。

頼る、とかでなく、三帰依して五戒を守っている人はみんな同じ方向を向いている仲間のような気がしています。
皆様、これからもどうぞよろしくお願いします。
あすか
2014年12月18日 18:00
元協会員さん

私は協会員ではありません。
無宗教です。
どうしたら幸せになれるかな、
と、いろいろ勉強しています。

この件、
ずっと考えていたのですが
うまく言葉にできません。
ただ、間違いなく
私もまた元協会員の幸せを
望んでいます。

*〜*〜*〜*〜*〜*

元協会員さん、
コメントを書いている皆さん、
ブログを読んでいる皆さん、
お互い幸せへの道を
歩んでまいりましょう。

生きとし生けるものが
幸せでありますように。
身の丈修行者
2014年12月19日 07:55
あすか様宜しければで質問させて下さい。

どうしたら幸せになるか、の答えこれまであすか様が勉強された結果として如何ですか。

私のケースを記載させて頂きます。
○今の現状を幸せと思って(色々に)執着しないと、幸せを感じました
○(色々な・無くても生活が困る訳ではない)欲求を少なくするようにすると、幸せに思う(不幸に思わない)機会が増えました
○もう不要と思ったものを全て処分したら(捨てる前には思いもしなかった身軽な)幸せを感じました

これらは(その他でも得られた事はありますが)スマナサーラ長老からお釈迦様の事を学んで何故そうなるかの真意を知りました。

余談になりますが、○○教を信じますとか無宗教です等々は人それぞれで・・と思いますが、お釈迦様のファンである事は有効ではと感じています。

あすか様・皆様今日も幸いでありますように
あすか
2014年12月21日 07:12
身の丈修行者 様

はじめに、
とくに無宗教にもこだわりません。
宗教関連の方からも学べることは
学ぶ心構えです。
元協会員さんの抵抗が
すこしでも和らげば、と、
この表現を選びました。
その点、
お釈迦様のファンという言い方、
すごくいいですね。^^

さて、お返事ですが、
学び始めたばかりで
まだまだおこたえできるような
立場ではございません。

身の丈修行者さんの言葉に
答えがあるかもしれません。

ありのままを受け入れ、
何事にも執着しない。
そして、どんな場合でも
慈悲の心と気付きを忘れない。

今言えるのは
こんな所でしょうか。

こちらこそ 身の丈修行者 さんから
学ぶことがたくさんありそうです。
どうぞよろしくお願い致します。

あすか


元協会員
2014年12月21日 07:48
てくてくさん、身の丈修行者さん、カエルくんさん、あすかさん、コメント拝読しました。

みなさんの身におきかえて親身に聞いていただき、ありがとうございました。

また、協会を離れた方が名乗り出てくださり、個人としてお話していただけたことが嬉しい驚きでした。

十把一絡げでなく、個別にお返事するべきですがまずはお礼まで。
身の丈修行者
2014年12月21日 14:54
あすか様有難うございます。

私が先のコメントで記載させて頂きました事は、全てスマナサーラ長老(の本等)から学んだ事です。

私事ですが、挫折・どん底状態から這い上がってくる中で自己啓発や心理学・(目に見えない世界?)などを少々学びました。

お金を出せば容易に色々なセミナー等々に参加出来る訳ですが、そこに行くのか・行かないのか、ではなく、自ら変わろう・成長しようとする、自分の心がないと何も変わらない・・を体験致しました。

「心を明るく・透明にすると良いですよ」と知りましたが、では何故それが良いのか、その真意的な所は明確な説明に出会う機会を得られませんでした。

ですが、偶然拝見したスマナサーラ長老の本にこの真意が書いてある事を知り、吃驚致しました。これまでの経験からこちら1本で充分と判断し、勉強している所です。

私(身の丈修行者)から学ぶこと・・などとんでもございませんので、どうぞスマナサーラ長老・ワンギーサ長老らからと思います。

今日も幸いでありますように。
身の丈修行者
2014年12月21日 15:01
元協会員様

コメントを拝見し、何か安心致しました。

どうぞお幸せでありますようにと心より願って、このコメントを記載させて頂きます。

私の主観で恐縮ですが、日本テーラワーダ仏教協会に限らず人が集えば様々な事があると思います。

私自身もそうですが、ついつい外のせいにしてしまいますが、結局は「自分の心」という事になるみたいですね。

私事で恐縮ですが、自分がどのように生きるかを決めるのは自分・自分の人生は自己責任とのように認識しています。

どんな状況でも心が安定しているような、そんな自分になりたいなと身の丈で修行しています。

(・・な時はそのままこちらの協会の長老に、文をまとめて質問してみるのは有効かと思います。メルアドもこのHPに掲示されてますので、匿名でも可能かと思います)

その後もどうぞ良い流れとなりますように。

そして元協会員様・皆様の今日が素晴らしい一日となりますように。
カエルくん
2014年12月22日 04:32
元協会員様

コメントを拝見して、この数日、いろいろと考えるきっかけになりました。
私は仏教にも、スマナサーラ長老にも傾倒してますが、無批判に盲信しているだけなのだろうか、とか、そういうことです。
答えはうまく出ないのですが、教えを実践することで、教えの正しさを確かめているところのような気がします。
教わった通りにしているつもりでも、うまくできていなかったり、条件が整わず、善行為の結果がすぐに出なかったり。
まあ、そういうこともあるよね、くらいの気持ちで、かなりマイペースにのんびりやっています。

元協会員様が、一生懸命やり過ぎて、他の人の不真面目さが目についてしまう、というのは、やはりどこかで無理をされいたのだろうと思います。
仏教徒である無しに関わらず、慈悲の念を持った人はいるということ、ささやかな心遣いや日常を大切に生きていきたい、という言葉に、私も同意します。
どんな大きな目標があっても、まず目の前のこと、身の回りのことを大切にすることからだと思います。

私は10年くらい、サボりサボりでも慈悲の瞑想をしながら暮らしていたら、周りに慈悲の念の強い人が増えた気がします。そうでないと話が合わないというか…。
あと昔からの知り合いとの関係も、優しいものになった気がします。こちらの慈悲の念は、相手の慈悲の念を引き出すというか。そんな感じです。

元協会員様が、日常を大切にすることで、穏やかな毎日を送れますように。
それから、このブログを読んでいる皆様が幸せでありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
こころざし
2016年09月14日 07:25
今朝も座る冥想を1時間しました。ですが途中で足は崩すし痒い所をかくし、どれだけ集中していたか・・と思いますと、ただやった状態に近いかと、残念ながら思います。やらないよりは良いようにも思いますが、もっと集中して出来るようにしたいです。