ナーラカは 叔父の教えに 従って ブッダを待って 慎み暮らす<697>

○少年少女のためのスッタニパータ<697>
・・・
アシタ仙人は人のためを考える人
未来を予見できる人でした。
ナーラカ少年はその彼に教えられ、
ブッダを待ってまじめに暮らした。


第3 大きな章 11.ナーラカ経 19.

○中村元先生訳
697
その聖者は、人のためをはかる心あり、
未来における最上の清らかな境地を予見していた。
その聖者に教えられて、かねて諸々の善根を積んでいたナーラカは、
勝利者(ブッダ)を待望しつつ、みずからの感官をつつしみまもって暮らした。


○正田大観先生訳
703.(697) 
そのような〔他者の〕利益に意ある者によって、
未来における最高の清浄を見る者によって
――彼(アシタ聖賢)によって教え示された、
〔まさに〕その、ナーラカ(人名・アシタ聖賢の甥)は、功徳の積量を蓄積し、
勝者(ブッダ)〔の出現〕を待ち望みながら、
〔感官の〕機能(根)を守り、〔世に〕住していた。(19)


○パーリ語原文
702.
テーナーヌスィットー    ヒタマネーナ     タディナー
Tenānusiṭṭho         hitamanena      tādinā,
彼に教えられて      利益を意にかける  そのような(人の)

アナーガテー    パラマウィスッダダッスィナー
anāgate        parama・visuddha・dassinā;
未来における    最高の・清浄を・見る

ソー    ナーラコー    ウパチタプンニャサンチャヨー
So     nālako       upacita・puñña・sañcayo,
彼     ナーラカは    積むこと・福徳の・集積

ジナン    パティッカン   パリワスィ    ラッキティンドゥリヨー
jinaṃ     patikkhaṃ     parivasi      rakkhitindriyo.
勝者を   期待しつつ    暮らす       感官を守って     


○一口メモ
この偈では、「その聖者」は誰を指しているか分かりにくいのですが、「アシタ仙人」を指しています。そして勝利者(勝者)はブッダを指しているのです。

ですから、「人のためをはかる心あり」と「未来における最上の清らかな境地を予見していた。」はアシタ仙人が人のためをはかる心あり、アシタ仙人が未来における最上の清らかな境地を予見していたということです。

このようなアシタ仙人にナーラカ少年は、善い行いをしながら、菩薩がブッダになるのを待ち望んでいたのです。この時のナーラカ少年の歳は正確には分かりませんが、例えば10歳とすれば、お釈迦様が覚りを開かれるのはそれから、35年後ですから、彼はブッダに会うことが出来たのは45歳になりますね。これはちょっと余計な計算でした。


ナーラカは 叔父の教えに 従って ブッダを待って 慎み暮らす<697>


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~~お知らせ~~~~~~

◎12月6日(土)のゴータミー精舎における夜の自主瞑想会は、初期仏教月例講演会の開催のためにお休みいたします。


◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

あすか
2014年12月04日 08:23
何十年も準備をしていた
ナーラカさんもまた素晴らしいですね。
どんなに楽しみにしていたことでしょう。

こうしてお手軽に教えを学べる有り難さに
あらためて感謝。
こころざし
2016年09月10日 07:42
ナーラカさんが素晴らしい志を持って善い行いをしながら何十年も待たれた様子、凄いなと思いました。それだけの熱意・時間をかけても、ブッダが出現下さらないと、悟りは得られないのかとも想像しました。そのブッダの教えを得られる自分の幸いを改めて思います。